09.如何(どう)したらいいのか
「おまえさぁ、騎士様なんかに囲われる気?」
なんだかへとへとになってしまうほどに気疲れした副料理長との対話は、今朝を除けばティカの養子縁組が決まったとき以来かもしれない。
基本、何をしても庇護から外したりしない副料理長は、ティカがいくらミスしようと、それで怒鳴ったり尻を蹴飛ばしたりはあっても、放り出すことはしなかった。
『ぐずぐずしてんな』だの『なにやってんだ』だの、時にはクソ野郎や馬鹿といった暴言も飛び交うながら、怒鳴ればすっきりするのか、後引くことなどない。
一度、うっかり貴人の視察中に出てしまい、こっぴどく怒られたときも、被害は副料理長にまで及んだと聞くが、それについて何も言われなかった。
副料理長が怒鳴るのは仕事の出来や時間についてで、そのほかの失敗に保障や代償が求められていても、被庇護者に何か言うことなどない。それこそ、父のように、親のように見守ってくれている存在だ。
ああしてこちらの意思を問いかけたりというのも本当に珍しく、養子縁組するときですら『俺が父になる、いいな』レベルの、なんともきっぱりとした宣言の上、多少の注意事項と『よろしく』との言葉をいただいた程度だった。
そんな副料理長が、やらと気をつかった対話を持ったからだろう、おそらく、話の内容も全て聞き耳が立てられていただろう。少なくとも、あそこにいた数人の料理人の間では、ティカとエドガードの関係も、それが崩されたことも知っているということになる。
だが、聞き耳を立てたにしては、内容の理解がおっついていないようで、ティカは思わず笑ってしまった。
いくら先走りすぎだろうと、養子縁組やデビュタントや夜会まで視野に入れた結婚話を断ったのだ、それで関係がご破算になるのが普通だろう。だというのに、彼らは面倒だからと結婚を断ったのだから、気楽な愛人として囲われるつもりだという判断をしたらしい。
「未来なんかねぇぞ? そんでいいのか?」
しかも、貴族ならともかく、騎士の愛人では先が知れていると……ばかばかしいことだ、未来なんて望んでいるなら、結婚に飛びついた。それをしていない時点で、そんなもの望んでもいないのだと、なぜわからんのじゃろかと、ティカは首を傾げたくなる。
「わしに決定権なんぞねぇですけぇ……かごつくならともかく、もてあそばれてほっぽらしがせいぜいじゃろ」
囲われたところで、そのうち飽きられてしまうだなんて想像した料理人たちより、ティカのほうが幾分からく現実を見ていた。
騎士とはいえ、それなりの身分がある方に囲われれば、少なくともしばらくは贅沢を楽しむ事もできよう。だが、ティカは、端からちょっかい出されて終わりのつもりだ。そもそも、花火のしたでの逢瀬以上があるとは全く思ってもいなかった。
祭りに浮かれた貴族が、ちょっともの珍らしさで使用人に手を出した程度の話としか思っていない。いや、手を出されてると言うのも、口付けだけでは大げさすぎると言うものかもしれない。
「……も、もてあそばれてって……」
ティカの言葉に、エドガードにうつつをぬかし浮かれあがっていると思っていた相手が、冷静に現実をみているのだと気がついたか。と同時に、料理人は己の発言の失礼さにも気がついたか、ばつ悪そうに視線をそらす。
薄く笑うティカは、そう思われても当然のことと諦め切ってはいるものの、やはりそう自覚するもつらいせいもあって、ついつい饒舌になってしまう。
「わしら程度の身分で、騎士様の求めに拒否できると思っちょりますか? もてあそばれるとわかってても、何かできると思っちょりますか?」
「保護法に基づいて、特別上訴状を書けば……」
確かに、ティカたち身分の低い者たちのために、平民の健康保護条例がある。
特別上訴状を出せば、それに基き調査がなされ、事実であれば貴人でも罰せられる。こればかりは文字が書けねば意味を成さぬが、代筆してもらえばティカでも提出が可能だ。ただ、自分の名と、相手の名と、された事実だけを書いて、裁判所ないしは文部執務室へ届ければいい。直接届ける必要もなく、そのための相談窓口が町にも城の一角にも設けられている。
もちろん、軽度ならば多少の金品が国庫に納められるだけだし、重度であっても没落までの大事になることはなく、多少加害者の懐が痛む程度のもの。だが、その情報は一般に開示されており、不名誉がつきまとい、今後の接触が注意されるということの方が重要だろう。
つまり、エドガードの行動を、特別上訴状で阻止することは、ティカでもできるのだ。
「……正直……いやではないのです」
でも、ティカにそうするつもりなど、さらさらないのが実情だ。
エドガードのメルヘンチックでロマンチックで夢見がちな乙女のような発想に、疲れはするし断りたいが……逢瀬も口付けも嬉しかったし、三度会うことができるなら、やはり受け入れてしまうだろう。
今宵の約束で何かあるというのなら、流されてしまうこともやぶさかではない。拒否できぬ身分だからを言い訳に、大事にはしたくないからなんてウソをついて、押し切られることを望んでさえいる。
「いやではないって、もっもてあそばれるのが……か?」
「……結婚は無理じゃろが、しばし、こう……ひと時恋人ぶりっこするぐらいなら……許されるんじゃないじゃろか? もてあそばれる……程度の関係なら、わしでも許されるんじゃないじゃろかって……あれじゃ、火遊び」
花火の夜に始まった火遊びが、爆ぜて弾けて……飛び火する前に鎮火しなくてはいけないだろうが、それでもしばしその火花、楽しむ程度はとティカも望んでしまうもの。
もっと横柄で醜い顔でもしていてくれたら拒否もしやすかっただろうが、何の因果か見目麗しくして可愛らしい彼を、拒否するにも難しい。むしろそのまま溺れてしまい、全て受け入れてすらしてしまいたいのだが……そう呆けたことを言うには、エドガードの行動力は衝撃的過ぎた。
いや、こう、襲い掛かってあとはほっぽらしならともかく、綺麗な思い出だけでしまいにするならともかく……なんで話が結婚に向くんじゃ。
「それで、男の純情もてあそぼうってのか? ……悪女だ」
いろいろ言い訳をしながら、結婚は望まぬが拒否しきれず流されているだけというつもりが……それではティカの方がもてあそぶ側になってしまうらしい。悪女とまで銘打たれ、おもわずぎょっとして彼を見上げた。
ニヤリ口の端を上げてこちらを見る料理人は、ティカよりもいくつか年下だろうが、ティカよりも頭一つ分高く、騎士様たちほどではないながらも体格がいい。肌は外で下ごしらえすることが多いせいか浅黒く、赤ら顔なのは酒好きなせいか。赤茶けた髪を後ろで一つに三つ網にし、麻のシャツとズボンの上に、エプロンと帽子だけは清潔そうな木綿の白。
あらためて見る名前も知らぬこの料理人は、どこか副料理長のミニチュアを思わせる。
「やっ、そじゃなく……ただ、逃げてもしょうがないですけぇ、飽いるのんを待つだけじゃろ? その間くれぇ、喜んでてもいいんじゃないじゃろかって……」
違うと言い切りたいところだが、しどろもどろのその言い訳は、少しは思うところがあるせいか。ティカとてこれはまずいと思いつつ、拒否する権利もない、受ける権利もないと、ないない尽くしでどうしていいのかわからんちんだ。
「好きか?」
ただ一つ、ティカの心に聞いてみれば、その一言に頷くしかない自分がいる。
つまりは身分差もなにもほっぽりだした自分で考えれば、ティカとてただシンプルに、一つの答えが出せるので……だからこそ、そのわずらわしさをどう受けて、どう拒否すべきか困るばかりなのだ。
これが、否であるならば、特別上訴状を使うことも、姿を完全にくらますことも、別の男の影でも見せて拒否することもできようものを。
「……好いちょうと」
だから、結局のところ、ティカはその立場以上に、エドガードに弱くなってしまうのだ。あきれても、花束やら結婚やらは勘弁してほしくとも、拒否しきれないのはそこにある。
立場を考え、未来を考え、彼のためを考え……と、拒否する必要性をいくら考えようとも、でもと、でもひと時ぐらいはと思ってしまうのはそこにある。
「なら、まぁ、いいけどな……」
しょうがなねぇなぁと、どちらかと言えばティカこそが何度も心の中で呟くような言葉がこぼれてきそうないいけどなのその言葉。どうやら心配してくれていたらしき相手に、ありがとうと礼を口にしようとしたところで、後ろから髪が引っ張られた。