【Nine Lives】〜9つの命
ジャンルをファンタジーにしようか。童話にしようか、ちょっと迷ってしまいましたが、とりあえす、ファンタジーで掲載させていただきました。名もない猫とネズミとニワトリの物語。
“猫は命を9つ持っている”
そんな言い伝えを知っていますか。確かに猫たちは、命を9つ持っています。でも、もしあなたが猫ならば、残念な事に9つのうち8つまでは使いきってしまっている。けれども……
* * *
ある小学校の校庭の片隅に、ニワトリ小屋がありました。とても平凡なその小屋には、ありきたりのめん鳥が飼われていました。白い体に赤いとさか、他のニワトリと違っているところといえば、少し小さくて尾が長いといったところでしょうか。
それは、秋の夜の事、ニワトリは、網目のすきまから小屋の中に入り込んできたネズミにちょっと怒ったような声をあげました。
「ねえ、それ、私のなんだけど」
ネズミは、ニワトリ小屋のエサ箱にあっったトウモロコシの粒を上手そうにほおばりながら笑いました。
「ふふん、知るもんか。そんな事、いったい、誰が決めたんだい?」
「それは、一生けんめい、ニワトリ小屋の世話をしてくれてる生徒たちが、私のために作ってくれた物なのよ」
ネズミの顔色がさわっと青く変わったのは、その時でした。
「その一生けんめいな生徒たちが、この小屋を襲いに来てるぞ……」
いかにも柄の悪そうな中学生たちが、どかどかと小屋の中に入ってくるではありませんか。
“ちがう、この子たちはここの生徒じゃない”
ネズミはいち早く柵をすり抜けて小屋の外に逃げていってしまいました。ところが、
逃げ場のないニワトリは、中学生の中でも一番乱暴そうな男子に捕えられてしまったのです。
「ちょうどいいや、この鳥、やき鳥にして食っちまえ!」
“ええっ”
ニワトリはとんでもないわと、声をあげました。
「だめ、やき鳥なんて……それだけは、絶対にだめ!」
その時、一匹のトラ猫が風のように現れました。
銀の爪に、鋭い牙。極めつけは最終兵器の猫キック。
「うわわっ、何だこの猫! どこから入ってきた!」
たちまちのうちに、中学生たちはクモの子をちらすように校庭の外に逃げていってしまいました。
「へへん、どんなもんだい。俺様は強いだろう」
トラ猫は、欠けた耳をぴんと動かすと、自慢げな茶色の目をニワトリに向けました。
「すごい。ネコ君は本当に勇敢。あんな怖そうな中学生をもろともせずに追い払うなんて」
その言葉がさらにトラ猫の気分を良くさせました。
「当たり前だろ。猫は9つの命を持っている。だから死すら恐れはしない。っていっても、ほとんどの猫は8つまでは命を使い切っちまってるんだ……でも、俺様はまだ、7つしか使っていない。だから……俺は」
“もう1回、生まれ変わる事ができるんだよ”
「すごい。命を9つも持ってるなんて」
ニワトリ小屋にもどってきて、偶然に二匹の会話を聞いてしまったネズミは、しげしげとトラ猫を見つめると、興味津々の顔をして言いました。
「でも、9つのうち、7つは使っちまったって、前の君は、一体、どんな風に死んだの」
すると、トラ猫は、困ったようにぴんとひげをたてました。
「前の事はよくは覚えてないけれど、まあ、死んだんだからな、いい気分ではなかっただろうさ。でも、俺様の遠い親戚の言うところでは6番目の俺は、獰猛な野犬たちから子猫を守って、英雄みたいに死んだそうだよ」
7番目の俺は……全然覚えていないな。
まあ、そんな事は今さら気にしてねえよと、トラ猫は笑うと、
「いけねぇ、こんな場所で油売ってる場合じゃなかった。まだ、俺様には大切な用事があったんだ」
と、大急ぎで校舎の方へ駆けていったのです。
はねるように駆けてゆくトラ猫の後姿を見つめながら、ネズミはちょっと訝しげにニワトリの方に目をやりました。
「なんか半分信じれて、半分嘘っぽい話だな。でも、命が9つっていうのはいいな。僕にも余分に命があったらなあ」
「そうかなあ……8回も生まれ変わったら、私なら退屈でたまらない。だって、自分だけが生まれ変わったって、親や兄弟や友達たちが、みんな死んでしまっていたら、楽しくも何ともないわ。永遠の命なんて、つまらないだけよ」
ニワトリの答えにネズミは、ちょっと驚いたように言いました。
「別に永遠の命とまでは言ってないけど、せめて、予備用にあと1つ命が欲しかったなあ」
やがて、校庭に吹く風が少し冷たくなってきました。
「僕もそろそろ、行こうかな。でも……その前に、あのトラ猫の行く先をチェックしてくる。えらく急いで校舎に入って行ったよな。きっと、どこぞの美人の猫とデートでもしてるんだぞ」
と、ネズミはおどけたような笑みを浮かべて、ニワトリ小屋から去ってゆきました。
どこまでも、好奇心満々のネズミにニワトリは、ちょっと苦笑いをしてしまいましたが、
なんとなく、ちぐはぐな感じ。
そんな風に感じながら、ふと見上げた夜空では、
空の月が朧にかすんで、小学校の校庭に薄暗い影を落としていました。
* * *
小学校の校舎へ潜入していったネズミは、2階にある教室をのぞき込み、そこにトラ猫の姿を見つけて、にやりと笑いを浮かべました。
やっぱり、美人ネコとデートだ。
トラ猫の相手は、真っ白い雪のような毛並みの猫でした。
「ニワトリが助けを呼んでたんだ。……で、その時の俺様はものすごく勇敢だったとおもうぜ」
おや、おや。さっそく、さっき不良を追いはらった時の自慢話かい。
ところが、ネズミはその時、あれ? と首をかしげたのです。
トラ猫のお相手 ― 教室の窓辺を背にした純白の子猫 ― のつややかな毛並みは、夜光灯に照らされて、美しく輝いていました。けれども、
あれって……どう見たって
人形だよな。
ネズミは、ふに落ちない顔をして、二匹の猫をじっと見つめ続けました。
文化祭を真近にした小学校では、子供たちが、出し物のマリオネットを粘土や絵具で様々な工夫をこらして作りあげていました。トラ猫が夢中になって話しかけている“純白の子猫”は、その中でも一番出来のいい、マリオネットの猫だったのです。
「今度、一緒に校舎の屋上に星を見にゆこう。お天気のいい夜には北斗七星が、きれいに輝いているから」
おかしいなあ。あいつ、お人形さんと空想ごっこするタイプじゃないと思うんだけどなあ……。
あまりにも熱心にマリオネットに話しかけているトラ猫の姿に、ぴんとひげを斜めに揺らした時、ネズミは背中にぞくりと悪寒を感じました。
マリオネットの猫が、一瞬、刺すような視線を、ネズミの方向に送り込んできたのです。
青い……氷みたいに冷たい瞳。
うわっ、これはヤバイ!
背中の毛がぞくりと立ち上がるような気がして、ネズミはぴょんと、一跳びすると、教室の前から全力疾走で廊下を駆けぬけ、大慌てで階段を下りてゆきました。
マリオネットの猫がいる教室。その危うい空気を感じ取って逃げる事のできたネズミは、意外と強い心をもっていたのかもしれません。ところが、心が未熟な……あのニワトリ小屋を襲った中学生たちは、ネズミとは反対にその空気に引きつけられてしまったのです。
「お、この教室、すげえ。人形がいっぱい」
3人の少年と1人のおかっぱ頭の少女。校舎の中で遊び場所を探していた彼らは、教室の棚にずらりと並べられたマリオネットたちの出来栄えに目を輝かせました。
「へええ、小学生が作ったにしてはよく出来てるな」
金の冠をかぶった王様。
「こっちには兵隊がいるぞ」
剣を携えた騎士。
弓をつがえた近衛兵。
「ほらっ、戦いだっ!」
少年たちは、マリオネットを手にとると、それぞれがふざけた仕草で戦いの真似をし始めました。
「よしなさいよっ、せっかく作った人形が壊れちゃうでしょっ」
さすがに小学生たちに悪いような気がして、おかっぱの少女が、少年たちを止めようとマリオネットの方へ手を伸ばした時、
あれ……?
妙に生き生きしすぎてる子猫の人形。
「みんな、こっちに来て! すごく綺麗な人形があるよ。この瞳、青く光ってまるでこっちを見ているみたい」
3人の少年と1人の少女は、のぞき込むように、純白の毛並みをもった子猫の人形に目をやりました。
* * *
「大変だ、大変だ、大変だあっ!」
慌てふためいて小屋に駆けて来たネズミの姿に、ニワトリは、ぱたぱたと羽を動かし言いました。
「い、いったいどうしたの? ネズミ捕りのお化けにでも追いかけられてるみたいに」
「ネズミ捕りのお化けだって?! あいつはそれよりもっと、やっかいかもしれないぞ」
「あいつって?」
合点がいかない様子のニワトリにネズミは、まくしたてるように声を荒げました。
「あの人形から、僕はものすごい悪意の力を感じたぞ」
「あの人形って……、一体、何の事を言ってるの」
ニワトリの問いに、ネズミは声を震わせながら言いました。
「トラ猫のデートの相手だよ。トラ猫は気付いてないんだ。あれは、この世のものじゃない。あのままじゃ、あいつ、とり殺されてしまうぞ。いくら9つの命を持っているってったって……」
残りはあと1つなんだろ。
* * *
輝く純白の子猫のマリオネット。少年の中の一人が、魅せられたように、白猫のマリオネットを手にとり、その青の瞳を覗き込んだ時、
ぽっと、青の瞳の中に赤い光が浮かび上がりました。
少年たちが教室に入って来た時、いち早く、掃除道具入れの後ろに逃げ込んでいたトラ猫はちぇっと、口をとんがらせました。
何だよ。俺の彼女にちょっかい出すのは、やめてくれよ。
ところが、
「うわあっ、火、火があ!!」
ぼうっと、少年の目の前で音をたてて燃え上がった、白猫の青い瞳の中の炎。慌てふためいて、少年が白猫のマリオネットを投げ出した時、その火が、教室のカーテンに燃え移って、驚くようなスピードで天井に這い上がっていったのです。
大慌てで、掃除道具入れの後ろから飛び出したトラ猫は、少年たちに
“お前ら、早く逃げろっ、この火、何だかおかしいぞっ!”
そう伝えるつもりで鳴き声をあげました。
そうだ、あの白猫は?
あせって、白猫の方に目をやってから、トラ猫は少し戸惑った表情をしました。なぜって、その白猫が赤く燃え立つ炎の中で、青い瞳をきらめかせながら、自分に微笑みかけていたのですから。
* * *
ネズミとニワトリは、小学校の校舎の2階の窓から大きく燃え上がった赤い炎に、ぎょっと目を見開きました。
慌てふためきながら、校舎の中から飛び出してきた少年と少女。
ニワトリは、その時、大きく羽を広げると、夜明けを告げるように高らかに鳴き声をあげました。
私をここから出して! このニワトリ小屋の扉を開けて!
すると、逃げてゆく中学生たちの中で、おかっぱ頭の少女だけが足を止めたのです。
「今、何か言った? 扉を開けてって言わなかった?」
戸惑いながら、少女がニワトリ小屋の扉に手をかけた瞬間、ニワトリは白い羽を大きく広げ、空に飛び立ってゆきました。
「駄目だよ、ニワトリさん、校舎の方に行っては!」
ネズミの静止をふりきって、炎を広げごうごうと燃え上がりだした小学校の校舎の中へ、ニワトリは飛んでいってしまいました。
「何で、ニワトリが空を飛ぶの? おまけに、あれじゃ……本当にやき鳥になっちまうよ」
あっけにとられながら、ネズミはその様を見つめました。
怖いけど、これは逃げてる場合じゃないな。
ネズミは勇気をふりしぼり、ぼうっと立ち尽くしている少女を置いて、校舎の方で駆けてゆきました。
小学校の校舎の2階。
突然、燃え上がった火の手。トラ猫は呆然と宙に浮かび上がった白猫に目をやりました。
バチバチと嫌な音をたてて、白猫の体からほとばしってくる火の粉。
「何でだよ?」
トラ猫の問いに白猫は冷たい瞳で答えました。
「学校は嫌い」
「お前、この世の者じゃないな。何で俺は今までそれに気づかなかったんだろ……」
白猫は小ばかにしたように、トラ猫を見下ろして言いました。
「私は可愛がられて幸せに暮らしていた子猫。でも、ある日、家の人が私に言った。“ごめんね、次の家では猫は飼えないの”捨てられた私は、仕方なく、学校の校舎に住みついた」
「そこで、生徒にいじめられでもしたのか」
小さく首を横に振る白猫をトラ猫はいぶかしげに見つめました。
「生徒は私に、優しかったわ、エサも運んでくれたし。それでも、また私はこう言われた。“ごめん。ノラ猫にエサをあげちゃ、いけないんだって”その冬、私はお腹をすかせて、体育館の床下で一人で死んだ」
「だからって、学校を恨む事はないだろう」
「学校は寒かった。一人、床下で震えて、優しかった生徒たちを思い出すのは尚更、つらかった。途中で知らぬふりをするなら、なぜ、優しくするの? 学校は嫌い、生徒は嫌い!」
「そんなの駄目だよ! 猫は9つの命をもっている。そんな風に恨みの心をもっていたら、次の命までが、その心を引き継ぐぞ!」
トラ猫はそう叫んでから、口元をきゅっと閉じて心の中で思いました。
でも、この恨みの心でいっぱいの白猫の命が9番目……最後の命だったのなら、こいつの魂は永遠に天国になんか行けないんだ。
すると、白猫はケラケラと声を出して笑いました。
「思い出せないの? 自分の事なのに」
「えっ?!」
「私はあなた。今の一つ前のあなた……ただし、私は8番目の命」
トラ猫はその時、ニワトリとネズミに言った自分の台詞を思い出しました。
“俺様は、命をあと一つ持っている。だから、もう一度生まれ変わる事ができるんだ”
「勘違いしてるでしょう? 今のあなたは9番目の最後の命。だから、もう、命なんて一つたりとも残ってはいないのよ!」
ちっとも、わけがわからない。学校を恨みながら死んでいった白猫が俺の8番目の命だって? なら、この白猫の生まれかわりが“俺”だっていうのか。
驚いて言葉も出ないトラ猫に、白猫は刺すような冷たい視線を送りました。
「9番目の私であるお前は、私があんなに悲しい思いをしたというのに、何でそんなに楽しげに生きているの? そんなの許せない。だから、もう2度と生まれ変われないように、お前もこの校舎と一緒に燃えてしまえばいいんだわ」
白猫の体が大きく赤く輝いた瞬間、トラ猫のまわりにぼうっと火の輪が燃え上がりました。
俺が、世の中を恨んでる、この白猫の生まれ変わり?
トラ猫はもう何もしたくなくなってしまいました。そして、ただ悲しげに白猫が炎の中に消えてゆく様を見つめているだけでした。
* * *
「あちちっ、駄目じゃん! こんなに火の手があがったら、学校がぜんぶ燃えちまう」
……て言うよりも、おいらも危ねえっ。
ニワトリの後を勇んで追いかけたネズミは、“止めときゃ良かった”と、ちぇっと舌をならしました。
「おーい、トラ猫、さっさと逃げないと、お前も焼け死ぬぞう!」
それでも、ネズミは炎をかいくぐりながら、2階の教室をめざして駆けていったのです。
2階の教室の中で、トラ猫は放心したかのように、徐々に自分に迫ってくる炎の輪の中に立ちすくんでいました。
あの白猫が8番目の俺?……学校と生徒を恨んで、天国にも行けないあの猫が?
自分の事だと言われても、そんなの、トラ猫の記憶には全くありません。今の自分はノラ猫でも、エサはコンビニのゴミ箱をあされば出てくるし、時には虫や鳥やネズミ(ネズミくんには悪いけど)だって狩ることができます。寝床だって、冬は風呂屋のボイラーの近くは温かいとか、そんな知恵ももっています。
自分はけっこう、毎日を楽しく暮らしている。でも、あの白猫はその事にも腹を立てているんだ。
“私があんなに苦しんで悲しい思いをしたというのに、9番目の私であるお前は、何でそんなに楽しげに生きているの!”
何でなんだよ? 俺は9番目のお前なのに、何でお前は俺の幸せを妬んでるんだよ?
白猫の言葉を思い出すたびに、トラ猫の心には、悲しいような情けないような、やるせない思いがこみあげてくるのです。
そうこうしているうちに、トラ猫の回りの火の輪は、ますます近づいてきました。
「こらっ、トラ猫、さっさと逃げろ! お前、焼け死にたいのかあっ!」
教室の出入り口から、大声で叫ぶネズミの声が聞こえてきた時、トラ猫は茶色のしっぽにちりっと嫌な痛みを感じました。
しかし、火はどうしようもないほど、真近にせまってきていたのです。
「ネズミ君か? 駄目だ。火のまわりが早くって、逃げるなんて無理だ!」
「何とかしろよっ! 何とかっ!」
「……そんな事言ったって!」
ネズミは、あちちっ、あちっと声をあげながら、自分にも迫ってくる火の粉から逃げるため、そこらここらを行ったり来たりしながらも、トラ猫にエールを送り続けました。だが、トラ猫はあきらめたように顔をあげると言いました。
「ネズミ君、お前は逃げろ。でないと、お前まで命を亡くすぞ」
「えっ、そんなの駄目だよ。おいら、一人で逃げるなんてできないよ!」
そんなネズミに、トラ猫は笑って言いました。
「馬鹿! 俺様はあと1つ、予備の命を持ってるって言ったのを忘れたのか! 俺は死んでももう一度、生まれ変わる事ができるんだよ!」
“猫は命を9つ持っている”
その言葉を思い出した時、ネズミは、はっと息を呑むように目の前の炎を見つめました。
「わかった! おいら、ニワトリ小屋の前で待ってるから! 必ず、そこに来るんだぞ」
そして、一目散に外に向かって駆け出して行ったのです。
いよいよ、火が体を飲み込もうとしてきた時、トラ猫は熱さに顔をゆがめて思いました。
ネズミ君、ごめんな。俺の命はもう、残ってないんだってよ。今の俺は9番目の俺。これは、最後の命なんだ。
でも、安心しなよ。ここで死んでしまっても、俺はみんなを恨んだりしないから……。俺は白猫と違って、いっぱい楽しい思いをしたんだから。だから……
さよなら
ところが、その時、
「トラ猫君、どこにいるの!?」
ぼんやりとした意識の中で、トラ猫は金色に輝く炎を見たのです。
鳥? でも、この鳥……燃えてるぞ
その鳥はトラ猫のすぐそばまでやってくると、翼を大きく広げました。すると、それにからめとられ、教室の炎が翼の方に移ってゆくではありませんか。
炎の翼を広げた金色の鳥
“ファイアーバード!”
伝説の火の鳥? 永遠の命を持つという
「トラ猫君、しっかりしてっ! まだ、生きる気持ちを捨てないで」
その鳥の声を聞いた時、トラ猫は、消えてゆく意識の中でふいに思い出したのです。
ファイアー・バード……でも、この声は?
「ニワトリ君……ニワトリ君なんだよな……」
トラ猫は、目の前にいるファイアー・バードを信じられない気分で見つめました。
「駄目だよ。すごく眠くって起きてなんかいられない。でも、ニワトリ君、お前、なんでそんなにゴージャスになってんの……? それとも、俺、夢を見てるのかなあ」
こっちへ来て。一緒に私と行きましょう。
あの白猫の鈴のような美しい声が響いてきて、トラ猫は“それもいいかな”と、思いはじめました。もう、炎の熱さも感じなくなっていました。
「トラ猫君! 眠っては駄目。目を開けて!」
けれども、ファイアー・バードの叫びに答える事もなく、トラ猫はかたく瞳を閉じてしまいました。その様を見て、ファイアー・バードはぽろりと涙を流しました。
すると、
トラ猫たちがいた教室全体が、黄金に輝き出したのです。
炎を糧に永遠の時を生きるという伝説の鳥。その涙は、癒しを、血を口にすると不老不死の命を授けるという
― ファイアー・バード ―
その鳥が、大きく翼を広げた瞬間、小学校の校舎に燃え上がった炎はからめとられるように、黄金の鳥の翼に吸い取られてゆきました。そして、トラ猫の体までが金色の輝き出したのです。
「トラ猫君の最後の命、私にはそれを見守る事しかできないのだけれど……」
それでも、勇敢でちょっとやんちゃな9番目の君は、あの白猫の哀しい心をちゃんと癒す事ができると思うよ。
* * *
嘘のように消えてしまった校舎の火を見据え、ネズミはニワトリ小屋の前で唖然と空に目をやりました。
遠くに去ってゆく黄金の光。
「火の鳥……?」
まさか、ありえねぇ!
その時です。校舎からニワトリ小屋に向かって駆けて来たトラ猫の姿に、ネズミは満面の笑顔を浮かべました。
「トラ猫君! 良かった。無事だったんだな! あれ? ……でも、お前、なんか変だぞ」
トラ猫君って確か茶トラだったよな……なのに今は黒トラじゃないか。
不審そうなネズミを見て、トラ猫は笑っていいました。
「当たり前だろ、俺様は生まれ変わったんだ。猫は命を9つ持っている。これは、俺の最後の命、9番目の俺の姿なんだよ」
* * *
数日後、主のいなくなった小学校のニワトリ小屋の前で、トラ猫とネズミは、手持ちぶさたな様子で校舎を眺めていました。燃えたはずの校舎なのに、焼け焦げの跡すらも今はありません。
「ニワトリ君、もどってこなかったなあ……」
トラ猫の言葉にネズミはちょっと顔をしかめて言いました。
「でも、あのファイアー・バードがニワトリ君だったか、どうかもわかりゃしない」
「ニワトリ君だよ。俺は、はっきりニワトリ君の声を聞いたんだ。それに、あいつ、やき鳥なんてとんでもないって、えらく慌ててたじゃないか。あたり前だよ、ファイアー・バードは炎の中で蘇るんだ。焼き鳥なんかにされちまったら、正体、丸バレだものな」
そりゃそうだと、ネズミは、焼き鳥が蘇ってファイアー・バードになる様を想像して、ぷうっと噴出してしまいました。
「そういえば、おいらにも思い当たる節があるぞ。トラ猫君の9つの命を羨ましいって、おいらが言ったら、ニワトリ君は“永遠の命なんてつまらない。なんて……おかしな事を言ったんだ。何か変だとあの時は思ったんだけど……」
「だ・か・ら、ニワトリ君はファイアー・バードだったって言ってるだろ」
それにしたって、行っちまう事はないじゃないか。おいら、ファイアー・バードだって、ちゃんと仲良くしてやるのに。
不満げなネズミの心を読み取ったかのように、トラ猫が言いました。
「ニワトリ君はきっと、普通のニワトリとして、ここにいたかったんだよ」
すると、ネズミは急に何かを思い出したように言いました。
「それはそうと、トラ猫君! 今のトラ猫君は9番目の最後の命。余分の命は使い切って、もう、生まれ変わる事はできないんだろ? でも、驚いたなあ。トラ猫君はあの白猫の生まれかわりで、白猫は学校と幸せそうなトラ猫君を恨んで火をつけただなんて」
ネズミの言葉にトラ猫は、少し顔をしかめました。
でも、あの白猫は俺にはもう命は残ってないっていってた。あの炎の中で俺は確かに死んだんだ。だから、生まれ変われるはずなんてなかったのに……。
勘違いしていたのは、白猫の方だったのか。それとも……これって、ニワトリ君……あのファイアー・バードの何かの力か。
「わかんねえっ! もう、どうでもいいや」
いきなり、大声を出したトラ猫にネズミはびくんっと体を強張らせました。ネズミは、投げやりな態度のトラ猫を諌めるように、こう言いました。
「何にしたって、トラ猫君、お前はもう生まれ変わる事はできないんだから、命は大切にした方がいいぞ。あの火事でトラ猫君が炎にまかれて死んだとしても、白猫は嬉しくなんかなかったと、おいらは思うけどな」
すると、トラ猫は珍しく神妙な顔をして答えました。
「そうだな。俺まで悲惨な心で暮らしていたら、あの白猫だって、いつまでも、恨みの心を持ったままだ。“猫は9つの命を持っている”それって、俺は自分以外に8個の命を背負っているって事なんだろ? だから、俺はせいぜい、楽しく生きる事にするよ。あの白猫のためにも」
ひげをぴんと立てて、そう言ったトラ猫に目をやると、ネズミはくすっと笑みを浮かべました。そして、くるりとトラ猫に背を向けました。
「じゃ、おいら、もう行くから」
「おい、おい。どこへ行くんだよ? もうちょっと、話につき合えよ」
「駄目! これから、デートなんだ。四丁目の美人ネズミと」
ちぇっ、あいつ、しっかり楽しく生きてやがる。
そそくさと、駆けていってしまったネズミを見送り苦い笑いを浮かべると、トラ猫はなにげなく空に目をやりました。
今日の空は雲ひとつない青い空です。
白猫君
お前の9番目のこの命、俺は絶対大切にするから、
安心して、ゆっくり眠りなよ。
俺はせいぜい、楽しく生きる事にするよ。他の8つの命と一緒になって。
すうっと空気を一つ吸い込むと、トラ猫はそれをふうっと吐き出し、それからネズミが駆けていった方向と反対の方向に、軽い足取りで駆けてゆきました。
【Nine Lives】〜9つの命 〜完〜
下の写真がこのお話のモデルにした私が昔に飼ってた猫たちです。可愛かったのです。