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番外編  モトベ タツマのあまり平穏じゃなかった日々 その31

 地竜との戦いを潜り抜けたタツマの身体は消耗しきっていた。

 残された体力と魔力はあまりにも乏しい。

 しかし、それでもなおタツマを動かしていたのは強烈なまでの執念だった。

 二度と同じ間違いを繰り返さない。

 その想いだけが今のタツマを動かす原動力だった。


 執念の疾走。

 それは今のタツマの状態を鑑みるならば充分に驚異的なものだった。

 しかし、平時と比べれば、その足はあまりに遅い。

 対してガストンは地竜こそ失ったものの自身の消耗は今だ無いに等しい

 執念の追随でガストン追うが、後たった半歩、タツマの手は届かない。

 無限とも思えるその半歩の距離。

 執念と絶望感が葛藤する脳裏で、我知らず祈る。



 祖父ちゃん、神様、この際悪魔でも魔王でも構わない。

 どうか俺に力を

 後たった半歩を縮め、あの子を助ける力を・・・



 死者が生者に答えることはない。それは異世界であっても変わらない。

 神や悪魔。その存在の有無はともかく、少なくとも都合よく現れて力を貸してくれるそんな存在ではない。

 奇跡とは起こらないからこそ奇跡なのだ。

 タツマはガストンに追いつけない。

 それはこの場において誰にも覆しようのない事実だった。








 従ってそれを覆すものがあるとしたら、それは奇跡でもなければ神の恩恵でもない。

 それはまぎれもなくタツマが持つ力であり、

 多少感傷的な表現をするのであれば、祖父に憧れ、夢を目指し、傷つきながらも積み重ねてきた他ならぬタツマの「武道」こそが彼に力を貸したのだ。


 「倒木法」と呼ばれる技術が存在する。

 簡単に言えば、折れた木が倒れるが如く、己が倒れこむ力を有効活用した武術における身体操作だ。

 ガストンに追いつくことができない。

 それを悟った時、タツマ――いやタツマの武道は無意識の内に己の持つ技術の中からこの技術を持ち出した。

 もはや手は伸ばさない。

 代わりに振り上げたのは足だ。

 蹴りの為に持ち上げるのではない。

 走る足の勢いのまま足を振り上げたのだ。

 振り上がる足。

 それによってタツマの体勢は前のめりに大きく前傾する。

 傍目にはひどく不安定な姿勢。

 事実、そのままでいけば数瞬後にはタツマは前のめりに転ぶこととなっただろう。

 しかし、それこそが倒木法の要でもある。

 

 転ぶ、倒れるという動作はその印象に反して極めて強い力を持つ。

 数十キロの体重を持つ人間が勢いのまま倒れるのだ。

 それが生み出す力はけっして小さくない。

 大の大人であっても転倒が原因で骨折することがある。

 当たり所が悪ければ死ぬことさえある。

 それほどに「倒れる」という力は強いのだ。

 

 タツマは無意識の中で倒れこむような蹴りを放つ。

 脚が腕より長いのは言うまでもない。

 その上、身体の安定を捨て倒れこむように伸ばされた脚の伸びは通常の蹴りでのそれではない。

 結果、タツマの脚はタツマの体重、倒れこむ勢いを乗せたまま大きく伸び、無限とも思えた半歩の距離を踏破する。

 タツマの蹴りは前を走るガストンの腰部を捉える。

 タツマの体重、勢い、そして自身の走る力も加味された結果、ガストンは目的のアルフを飛び越え大きく吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされたガストンは樹木に激突し、更に身体を強打する。

 腰部への蹴りと樹木への激突は予想以上の効果を発揮した。

 強打された腰を始めとする節々が痺れと痛みを訴え、立ち上がることすらままならない。

 痛みに顔をしかめつつ目を開けたとき、ガストンの前にそれはいた。

 

 数十名の野盗を倒し、

 地竜の身体を素手で突き破り、

 連戦に消耗してなお自分に喰らいつかんとするそのタツマが・・・・・・



 ガストンは恐怖した。

 今度こそ打つ手がない。

 地竜を素手で倒す怪物相手に対抗する手段など到底思いつかない。

 人質を取ろうにも背後に樹木、タツマは自分の目の前に立ちふさがっている。目の前の男を潜り抜け人質を取りに行くなど到底できる気がしなかった。

 もはや万策尽きた・・・・・・・・・この場は・・・



 ガストンの前にたたずむタツマ。

 タツマが行動するのを待たず、ガストンはいち早く動いた。

 タツマに向き直り、地面にひれ伏す。


「申し訳ありません勇者様!投降します。御指示に従いますのでどうか御慈悲を!」


 恥も外聞もなく、ひれ伏し、タツマに縋る。

 命乞いであった。


「私が愚かでした。お詫びします。悔い改めます。領主の下に自首させて頂きます。だから・・・どうか、どうか御慈悲を・・・・・・」


 ひれ伏し、顔を地面にこすり付ける。

 涙を流しつつ哀れっぽく慈悲を乞う。

 これがガストンの最後の手だった。


 この場はどうあがいても勝ち目はない。

 たとえこの場を逃げることができたとしても地竜を失った今の自分では森を抜けて他領へ逃げるなど到底できないだろう。

 であるならば、この場で意地を張る必要はない。

 そしてこの男は確かに強いが弱点もある。



 ガストンが見出したタツマの弱点。

 それは甘さだった。

 タツマは確かに強い。しかし、ガストンが見たところ地竜以外はまだ誰も殺していない。

 倒れている部下達も重傷ではあるが、よくよく見れば微かに呼吸している様子が見て取れる。

 そもそも「勇者様」なのだ。

 地竜や魔獣は殺せても人間を殺すのはやはり抵抗があるのだろう。

 子供を必死で助けようとした様子から見ても、その甘さは明白だ。

 従ってこの場はひれ伏し、哀れを誘い、慈悲を乞う。

 そうすれば少なくとも殺されはしないだろう。

 たとえ一時は捕らえられても、この男の目さえ離れれば、逃げる機会はいくらでもある。


 そう考えたガストンはひたすらタツマに詫び、縋り、慈悲を乞う。

 それをどれほど繰り返したか。

 ひれ伏すガストンの前に何かが差し出される。

 視線を上げると差し出されたのはタツマの手だった。

 ガストンは内心でほくそ笑む。


 やった!引っかかった!

 計画通りだ。俺はまだ負けていない!

 ガストンは心の内で快哉を叫ぶ。


「あぁ・・・勇者様・・・・・・」


 心の中とは裏腹に哀れっぽい演技を継続する。

 涙ぐみ、声を震わせながらタツマの手を取る。

 そして・・・・・・


 ガストンの手に激痛が走る。

 巧妙に極められた手首の関節がガストンに激痛を与え、本人の意思を無視して無理やり立ち上がらせる。


「ゆ、勇者様・・・・・・?」


 激痛に苛まれながらもタツマの顔をのぞき見る。

 タツマの顔に怒りはない。

 しかし、笑みもなければ許しもない。

 ただただ無表情。

 少なくとも「慈悲深い勇者様」の顔には到底見えない。

 激痛と己を見るタツマの顔の不可解さにガストンは戸惑う。

 しかし、それに構うことなく、タツマは唐突に声をかけた。


「いくつか言っておきたいことがある。」


 声はいたって静かだ。

 しかし、返答を期待しているようではない。

 まるで独り言でも呟くように言葉を続ける。


「俺のことを「慈悲深い」とか言っていたが、悪いがそれは勘違いだ。」


 これは事実だった。

 少なくともこの夜に関して言うならば、戦う相手への慈悲など一片たりとも意識に存在しなかった。

 それでも野盗達が死なずにすんだ理由は、あくまで多人数を相手にする上で少しでも自分の消耗を抑える為、トドメを刺す手間すら惜しんだ為、その二つの理由からくる結果に過ぎない。

 仮に加減を誤り殺していたとしても、この日のタツマは別段気にも留めなかっただろう。


「後、俺は子供を傷つけようとする奴は反吐が出るほど嫌いだ。」


 ましてや、子供を人質にとろうとしたガストンである。

 タツマにとってガストンは排除すべき敵以外の何者でもなかった。


 ここに至ってようやくガストンは気付く。

 タツマがけっして怒っていないわけではないこと。無論、許したわけでもないことを。

 煮詰められた海水が塩の結晶となるように、あらゆる激情が煮詰められ、濃縮されたが故のこの無表情であることを。

 ガストンは再び恐怖に慄く。

 タツマの手から逃れようと必死で身をよじるが、その手は万力の如くガストンの手を離さない。


「最後に一つ。」


 ガストンを掴んだ方とは反対の腕を腰だめに構える。


「俺は勇者なんかじゃない。」


 腰に据えられた拳は弓の如く引き絞られる。

 武の心得がないガストンですら理解できるほどに、その拳に込められた力は絶大だった。

 もはやタツマのことを「勇者様」などとは呼ばない。

 無表情、無慈悲な様で拳を引き絞るその姿は、まさにガストンにとっての悪魔であり死神の姿であった。


「俺はただの―――」


 引き絞った拳が放たれる。


「空手家だ。」






 こうして、この夜起きた一連の事件は閉幕と相成った。

 暗い森の中、木々の合間から微かに覗く空が僅かに白み始めていた。



  

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