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番外編  モトベ タツマのあまり平穏じゃなかった日々 その30

 子供達をカウンター近くの椅子で待たせて、俺はATMに向かった。

 ATMの前に立ち、どれくらい引き落とせばいいかなどと暢気なことを考えていた時、それは起きた。


 突如響いた乾いた異音。

 聞いたことがない訳じゃない。しかし、直に耳にするのは初めてで、実際に耳にすることになるとは思ってもみなかったその音。


 それは銃声だった。


 振り返るとカウンターの近くには異様な風体の男が2人。

 顔を覆面で隠し、その手には鉄の塊――拳銃が握られている。

 彼らは怒鳴り声を上げながら、銀行職員と客に命令をしている。

 「お前ら動くな」、「金を出せ」、概ねそんなところだ。

 疑問に思うまでもない。彼らは銀行強盗だった。

 しかし、そんなことは全て些事だった。

 俺の目に何より焼きついたのは強盗の片割れ、拳銃を持った手とは反対の手で抱えられた子供の姿。

 それはユウジだった。



 誰かが通報したのだろうか。

 強盗達が逃げる間もなく銀行の周囲は警察が取り囲んだらしい。

 そこで強盗が投降してくれればよかったのだが、彼らは職員と客を人質に篭城する手を選んだ。

 俺達は強盗に一箇所に集められた。

 抵抗などできない。

 空手をやっていたって、社会的に俺はあくまで一般人だ。

 自分の手で強盗をどうこうしようなどと考えすらしなかった。

 その上、ユウジは今だに強盗の腕に抱えられている。

 刺激するような真似などできよう筈もない。

 

 どんな形でもいい。早くユウジを解放してくれ!


 無力な俺はただただそう祈っていた。

 

 銀行の外から警察の交渉の声が聞こえる。

 投降を呼びかける警察と逃亡を望む強盗。

 二つの要望は当然の如く平行線を辿り、けっして交わることはない。

 強盗は更に苛立ち、興奮する。

 銀行内には張り詰めた重苦しい静寂が漂っていた。


 しかし、その静寂を打ち破る声が響いた。

 ユウジの泣き声だ。

 大人でさえ消耗するこの雰囲気。まだ幼児と言っても差し支えないユウジにとってはあまりに過酷なものだった。

 恐怖と困惑で泣き喚くユウジを強盗が怒鳴りつける。

 怒鳴られたことでユウジの泣き声は更に大きくなる。

 苛立った強盗の一人はとうとう平手打ちでユウジを殴りつけた。

 よほど強く殴ったのだろう。

 殴られたユウジは痛みとそれ以上の恐怖で泣き声すらあげず固まる。

 

 そんな光景に怒りが沸かなかったわけじゃない。

 しかし、それ以上に強盗を刺激してほしくなかった。

 痛いだろう。怖いだろう。

 だが、どうか今だけは我慢して欲しい。

 警察が助けてくれるまでの辛抱だ。

 どうか耐えて欲しい。

 俺はそんなことを考え、ひたすら祈り続けた。


 しかし、そう考えなかった者がいた。

 タケシだ。

 ユウジが殴られた瞬間、タケシは立ち上がり果敢にも強盗目掛け飛び掛った。

 強盗目掛け、俺が教えた空手の技で必死に戦おうとするタケシ。

 それは勇敢な行動だった。しかしそれ以上に愚かな行動だった。

 せめてタケシが中学生くらいなら話も違ったかもしれない。しかし、タケシは小学生だ。

 いくら空手をやっているからと言って、大人と子供。タケシの攻撃が強盗達に通じる訳もなかった。


 そんなこと考えなくたってわかる筈だ。

 何故そんな馬鹿な真似を?


 その時、俺に脳裏にかつてタケシと交わした会話が思い出された。



 あれはユウジが入門する少し前のことだった。

 タケシは今度弟も道場に入門すると嬉しそうに俺に話してきた。

 俺は言った。


 じゃあ、タケシはもっと頑張って練習しなきゃな。


 どうして?


 だってタケシはお兄ちゃんだから弟のお手本になってやらなきゃいけないだろ。

 それに弟が強くなるまではお前がしっかり守ってやらなきゃな。


 ・・・・・・そうだね!

 ぼく、もっと空手がんばるよ。

 お兄ちゃんだからユウジをちゃんと守ってやるんだ!


 ようし、その意気だ!


 かつて道場で交わした他愛もない会話。

 今この瞬間まで思い出しもしなかったなんてことない会話。

 まさか、あんな会話を本気にしたというのか?

 事実、弟が入門してからタケシはそれまで以上に練習に励んだ。

 その成果が実を結んで、今回の試合の勝利に繋がったのだ。  

 しかしまさか、ここまであの時の会話を本気にしていたのか?



 足元で必死に暴れるタケシ。

 しかし、それに効果はない。

 足元のタケシを小うるさげに見下ろす強盗達。

 それでも暴れ続けるタケシ。

 外を警察に囲まれた状況の中、強盗の苛立ちもついに極まったのだろう。

 強盗はタケシを殴りつけた。

 平手ではない。

 拳銃の台尻を使ってだ。

 手加減なしに殴ったのだろう。台尻はタケシの頭を捕らえ、タケシを大きく吹き飛ばす。

 吹き飛ばされたタケシは放物線を描き、まるで人形のように床へ落下する。

 タケシは泣かなかった。苦痛の声すらあげなかった。ピクリとも動かなかった。

 素人が見たってわかる。

 あの倒れ方は異常だ。

 倒れたタケシは依然として動き、反応を見せない。

 ピクリとも動かないその姿はまさに命なき人形・・・・・・


 命なき・・・・・・・・・




 そう考えた時、俺の中で何かが切れた。

 立ち上がり、強盗へと駆け寄る。

 気付いた強盗が俺に銃口を向けたが、そんなものには一切構わなかった。

 

 身体のどこかを熱いなにかが掠める。

 しかし、俺の動きは止まらない。

 ユウジを抱える強盗に肉迫すると、その顔目掛け二本指の貫手を放つ。

 二本の指は過たず強盗の両眼を捉える。

 指先に一瞬の抵抗、そのすぐ後に柔らかいものは押しつぶす気持ち悪い感触が伝わる。

 強盗は絶叫を上げるが、構わず二本の指をフック状にして自分へと引き寄せる。

 ダメ押しの膝。捉えたのは強盗の股間――金的である。

 掠めただけで充分なダメージを与えられるそこを全力の膝で蹴り潰す。

 膝にぐちゃりとした手応え。

 その後、響いた絶叫はもはや人間のものではない。

 絞め殺される家畜のような声をあげつつ、泡を吹いて強盗は倒れた。

 

 必然、抱えられたユウジも床に投げ出されるが、特に怪我などは見られない。

 それを確認できたことが、俺に残された最後の理性だった。


 俺はもう一人の強盗に向き直り、すかさず接近する。

 目の前の惨劇と変わり果てた仲間の姿に恐怖した強盗は震えながらも引き金を引こうとする。

 しかし、それは既に遅かった。

 俺は拳銃を持った右手を外側へ払いのけつつ掴む。

 すかさず相手の右肘を自分の肘でかち上げる。

 生木をへし折るような感触と共に強盗の右腕が曲がってはいけない方向へ曲がる。

 肘から覗いた真っ白い何か。それは彼の腕の骨だったのかもしれない。

 頼みの拳銃を腕ごと奪われた強盗は恐怖の声をあげて後ずさる。

 しかし、逃がさない。

 相手が下がった分と同じだけ踏み込み、恐怖に慄くその顔目掛け、上段の足刀蹴りを放つ。

 蹴りは強盗の顎を捉えた。

 素足でも充分に威力を持つ足刀蹴りだが、今は靴を履いている。

 堅い靴の踵がその威力を倍増させる。

 強盗の顎はバウンドしたボールの如く跳ね上り、自力では到底不可能なほどにその頭を仰け反らせる。

 仰け反らせ、吹き飛ばされ、そして崩れる。

 首と右肘をあらぬ方向に曲げたその姿はまさしく壊れた人形だった。



 2人の強盗を撃退し、俺はようやく息を静める。

 強盗ばかりではない。他の人質すらも俺を恐怖の眼で見ていたがそんなことはどうでもよかった。

 

 タケシはどうなった?

 もう大丈夫だからな。

 今、病院に・・・・・・


 その時、再び乾いた音が響く。

 一瞬熱を感じ、その後は急に寒さを感じた。

 見下ろすと左胸に空いた小さな穴。

 そこから冗談のように大量の血が流れ出している。

 銃で撃たれたのだ。


 視線を上げる。

 そこにいたのは一人の男。

 震えながらも銃口を俺に向けている。

 覆面はつけていない。服装もごくありきたりなものだ。

 おそらく強盗は3人組だったのだろう。

 2人が実行犯。もう1人は人質に紛れ不測の事態に対応するそんな計画だったのだろう。

 しかし、仲間2人がやられて混乱したのか、残った1人もその牙を剥いた。

 そのままじっとしていれば見つかることもなかったろうに・・・・・・


 俺から血とそれ以外の何かが流れ出す。

 そして蝋燭の最後の瞬きのように俺の中で何かが燃え上がる。


 これ以上、俺の邪魔をするな。


 俺は3人目の強盗目掛け飛び掛る。

 途中、熱い感触がいくつも俺の身体を通りすぎたが気にも留めなかった。

 接近し、左の貫手を突き出す。

 自身の身体が壊れることも厭わず放ったそれは自身の指さえへし折りながらも相手の喉を突き破り、喉から盛大な血しぶきを吹き出させる。

 飛び散り、流れ出していく紅はまさに命の流出を思わせた。

 強盗は拳銃すらも手放し、必死に両の手でそれを押しとめようとするが、俺はすかさず第二打を放った。

 右の正拳突き。

 拳は相手の顔の中心を捉える。

 一切の加減もない右拳は、己の拳そのものを砕きながらも相手の頭部を砕き、潰し、蹂躙する。

 断末魔の声すらない。

 喉を両手で押さえ、もはやどんな顔だったのか判別すらできなくなった元強盗はそのまま無言で地面に崩れ落ちた。



 3人の強盗を撃退した。

 もしかしたら死んでいるかもしれない。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 他にも隠れていないか銀行を見渡す。

 目の合った女性職員が恐怖の悲鳴をあげる。

 いくら待っても強盗は現れない。

 強盗が撃退されたことに気が付いたのか、ようやく警察が銀行に踏み込んでくる。


 ああ・・・終わったのか・・・


 僅かに緩んだ緊張。

 すかさず俺の身体が今の自分の状況をけたたましく訴える。

 激痛。そしてそれすらも霞むほどの寒さ。

 俺は地面に崩れ落ちる。

 傷から吹き出す血の勢いが先程までよりだいぶ弱い。

 どうやら血も残り少ないようだ。

 暗くなっていく視界の中で誰かが俺に声を掛ける。

 返事なんてできやしない。

 だから心の中で言う。


 俺はいいからタケシを。


 タケシはどうなった?


 ユウジは?


 怖かったよな?ごめんな?



 視界は闇い覆われ、もはや音も聞こえない。

 感じるのは凍えるような寒さだけ。

 その中で俺は思う。

 

 自分はなんて馬鹿だったのかと。

 タケシに言った「弟を守ってやれ」という言葉。

 俺はその言葉に果たしてどれほどの信念を込めていたか?

 信念なんかない。なにも考えてなんかいなかった。

 どこかで聞いた受け売りのような言葉をただ垂れ流しただけだ。

 しかし、タケシはそんな馬鹿の言葉を信じてしまった。そして疑わずそれに従ってしまった。

 無視してくれればよかったのだ。

 くだらないと吐き捨ててくれればよかったのだ。

 俺は彼らに何かを教えられるような立派な人間じゃなかった。

 ただ、祖父ちゃんに憧れ、ただその真似をして喜んでいただけのクソガキだ。

 自分の教えたことが、自分の放った言葉がどんなことを招くか考えすらしなかった。

 そんなものママゴト遊びもいいところだ。

 いや、タケシやユウジを傷つけたのだ。ママゴト遊びよりよっぽど性質が悪い。


 俺は自分を憎んだ。

 初めて自分の空手を憎み、後悔した。

 

 俺は道場なんて開くべきじゃなかった。

 いや、憧れて歩み続けた結果がこれなのだ。

 そもそも空手自体するべきじゃなかったのだ。

 そうすればきっとこんなことは起こらなかった。

 こんな思いをせずに済んだ。


 人生最後の瞬間。

 俺にあったのは後悔と自身の人生への否定だけだった。

 後悔と自身への怨嗟に満たされ俺の意識は完全に闇へと溶けた。

 












 そしてタツマは全てを忘れ、森で再び意識を取り戻す。

 異世界に召喚されたことは全くの偶然であるが、記憶を失っていたことはそうではない。

 死の瞬間の自身に対する否定。

 それが彼の記憶を封じ込め、まっさらな人間として彼を再誕させた。


 彼はごく平凡な人間として異世界で第二の生を始め、本来であればそのまま平穏に生きていける筈だった。

 しかし、そうならなかった要因は二つ。


 一つは子供を守れなかったという罪悪感。

 記憶が無くなってもなお、魂にまで刻みつけられたそれは彼を苛み、子供への恐怖という形で依然として彼の中に残り続けた。


 二つ目は空手。

 死の瞬間。彼は確かに空手を憎んでいた。否定していた。

 しかし、本部 辰馬と言う人間は「空手」という要素をなくして語ることはできない。

 幼い頃より祖父に憧れ、空手と共に育った人生、そして人格。

 そこから「空手」を削るということは大黒柱を抜き取るのと同義であった。

 結果、不安定な人格は欠けた己を探し続け、ついには危機にあたってそれを取り戻すに至った。



 タツマはここにきて悟った。

 確かに忘れたかった。逃げたかった。

 でもそれ以上に自分は子供達のことも空手のことも忘れたくは無かったのだと。

 どんなに辛いものだとしてもそれを記憶の箱に押し込め無かったことにしてしまうのは嫌だったのだ。

 

 だからもう逃げはしない。

 目の前には短刀を抜いたガストンが走っている。

 その更に向こうには幼い子供・・・・・・アルフがいる。


 逃げないならば。

 忘れたくないならば。

 今度こそ間違えない。


 これはいわば復讐だった。

 過去の弱く、愚かな自分に対する復讐だ。


 今度こそは助けて見せる。

 そう決意し、彼は駆け続けた。

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