私だけのスタイル 兵士 セリアさんの場合③
リーゼに相談した翌日、いつもであれば午前の指導を終えた後は雑務に取り掛かるのが日課だが、その日はそのまま道場で自分の稽古を行うことにした。
昨日のリーゼの言葉は胸に刺さった。
その通りだ。自分がこの世界の人より有利な点があるとすれば身に付けた空手と武術という概念だけだ。
それを見失い、魔術に活路を求めようとするなど全く空手家として我ながら恥ずべきことである。
今日は午後にセリアさんの指導を始めるまでは特に予定もない。
自分と自分の空手を見つめ直す為にも今日はひたすら稽古に没頭することにした。
選んだ稽古は型である。
右横へ一歩進み、右腕をまっすぐ伸ばす。
右腕で相手を抱え込むようにして左肘。
左を向き下段を払い、右拳で突く。
左へ一歩進み、正面に向かって受け、裏拳を放つ。
両拳を右の腰だめに引いた後、諸手で突く。
そして今度は左右反対に同じ動作を行う。
横一直線から成るこの型を『ナイハンチ』という。
ナイハンチをひたすらに繰り返す。
派手さのない、単純な動きの型である。しかし、この型は空手の基本にして奥義とも呼ばれる程に重要な型である。
一心に型を打つ。これだけ自分の稽古に没頭するのは久しぶりである。
ひたすら繰り返す内にいくつもの「気付き」が自分の中に浮かんでくる。
まず感じたのは自分の技の鈍り具合である。
無論、身体の鍛錬を怠っていないし、生徒とともに空手の稽古も行っている。
しかし、それはあくまで指導の為の稽古である。真摯に自分の技を見つめ、それを磨いていたかと言われればそれに頷くことはできない。
そして、俺も知らず知らずの内に魔術のあるこの世界に馴染んでいたのだろう。
動作のところどころが雑になっている。【身体強化】を使えばそれでも充分に威力が出せる・・・そんな無意識の甘えがこの技の鈍りを呼んだのかも知れない。
型はその要点を厳守して初めて意味を成す。
甘えを捨て、余分な力、動きを捨てて、ひたすら自分の中に正しい型を追い求める。そうしてこそ真の意味で技を磨くことができるのだ。
次に感じたのは型のありがたさだった。
現在、俺に師匠と呼べる人はいない。
元の世界であれば、今は亡き師匠、その道の先輩方・・・いくらでも教えを乞える相手がいた。
しかしこの世界ではそうはいかない。何せこの世界には俺以外に空手を身に付けた者はいない。俺こそがこの世界の空手の第一人者ということになってしまう。
そんな状況で周りから「センセイ」などと呼ばれいい気になっていては技が鈍るのも道理である。
いまだ未熟きわまる俺には誤りを正してくれる「師匠」の存在は不可欠なのだ。
では「師匠」とは何か?それこそが「型」である。
型は先人達が連綿と磨き、そして受け継いできたものである。
その奥は深く、今の俺ではおそらくその半分の意味すらも理解できてはいないだろう。
しかしそれでも型の中に存在する要点は俺の動きを正し、導いてくれる。
背筋を伸ばせ、膝を張れ、脇を締めろ、目線を定めろ、拳を強く握れ・・・
気を抜けば容易に乱れるその要点を必死で追いかけながら型を打つ。
必死に型を追うにつれ、少しずつ俺の動きが変わっていく。
拳が重さを増し、動きのキレが増す。
それは腕力や魔力に頼ったものではない。型から・・・空手から出る武としての力だ。
最初は迷いを払うために行っていた型稽古だったが、自分の動きが磨き直される心地よさに次第に陶然としながら、ひたすら俺は型を打った。
どれほど型を繰り返しただろうか。
俺は喉の乾きを感じて型を打つ手を止めた。
「お疲れ様です。」
労いの言葉と素焼きのコップに入れられた水が差し出される。
ハッとして差し出してきた相手を見る。セリアさんだ。
慌てて時計を見ると約束の時間はとうに過ぎていた。どうやら集中しすぎて時間が経つのを忘れていたらしい。
「こ、これはすみません。声を掛けて下さればよかったのに・・・」
「いえ。あまりにも熱心に稽古されていたんで、つい私も見学をさせて頂いてました。こういうのも「ミトリゲイコ」って言うんですよな?」
微笑む彼女の顔に若干の照れと気まずさを感じ、ごまかすようにコップの水に口をつける。
程よく冷えた水が舌と喉を潤す。疲れた身体のすみずみまで甘く染み渡るような旨さだった。
しかし笑っていた彼女だったが急に顔を曇らせる。
「・・・でも、タツマセンセイの動きを見ててやっぱり思いました。私の動きなんて力も早さもまだ全然駄目なんだって・・・」
落ち込むセリアさんになんと答えるべきか戸惑う。
技の錬度の差は別にしても力についてはある程度しょうがない部分はある。俺と彼女では体格も体重も違う、女性でなおかつ細身のセリアさんでは技の力強さばっかりは男と差がつくことも物理的にしょうがないといえる。
指導者としてなんと声を掛けるべきか、どのような指導をするべきか、すぐに答えきれず俺も黙り込んでしまう。
その様子にかえって気を使わせたのか、彼女は、また明るい調子で声を掛けてくる。
「そ、それにしても今の動き不思議でしたね。「カタ」っていうんでしたっけ?」
彼女にはまだ型は教えていない。前衛に就く準備ということで組手稽古に重点を置いてきたからだ。
「えぇ。型は空手の動きや技の詰まった重要な練習なんですよ。」
「そうなんですか。・・・でも使い方の良く分からない動きもありました。ええと・・・この動きです。」
そういって彼女は正面に向け片手で下段を、もう片手で中段を払う動きをする。
おそらくナイハンチの中の「諸手受け」のことだろう。
確かにあの動きは組手で見ることはなかなか無いし、不自然な動きに見えるかもしれない。
「ああ。あれは諸手受けって言って受け技の一種なんですけど、実は他にも意味があって・・・・・・」
そのとき俺の頭で何かが繋がる。
「派遣兵士」・・・「お巡りさんみたいな」・・・「捕縛」・・・「治癒の適正」・・・「イメージ」・・・「身体」・・・「型」・・・「諸手受けの意味」・・・・・・・・・
一連の言葉が一つに繋がり俺の頭で一つの映像を成す。
急に再び黙り込んだ俺を不思議そうに見るセリアさん。
だが俺は自分の思考に没頭する。
かなりイレギュラーかもしれない。しかしこの方法ならば・・・
俺は顔を上げ、彼女に声を掛ける。
「セリアさん。すぐ稽古衣に着替えてください。あなたの指導方針が決まりました。」
派遣兵士に追われた男が1人。森を掻い潜るようにひたすら走る。
彼の名はローガン。元Fランク冒険者である。
中心街にて依頼金の支払いトラブルが元で依頼人を殺害。その後、被害者宅の金品を盗み指名手配に掛けられた犯罪者である。
その後逃走を重ね、村近くの森まで行き着いた。
警備の厳しい中心街を逃れ、田舎の村で食料と馬・・・できれば金目のものを手に入れる。
そして山で追っ手を撒き、そのまま領外まで逃走する。そういう計画だった。
しかし、その計画はあまりに杜撰だった。
村に忍び込もうとしたところで村就きの派遣兵士に見つかり指名手配犯であることまでばれた。
馬や食料の強奪は諦め、そのまま森へ逃げ込む。
犯罪者に落ちぶれたとはいえ元冒険者である。
ローガンは近接戦闘が専門であり、攻撃魔術こそ得意ではないが、【身体強化】を使用した身のこなしはなかなかのものだった。
その上、山での魔獣狩りの経験は豊富であり、従って山道での活動も慣れたものだった。
みるみる追っ手の派遣兵士を引き離すローガン。
このまま追っ手を撒き、今度こそ領外まで・・・・・・
そう考えた時、目の前に人影が現われた。
別の派遣兵士が回り込んでいたことを悟り身構えるローガン。
しかし、目の前にいたのは女・・・女の派遣兵士であった。
「殺人犯 ローガン。抵抗を辞めておとなしく投降しなさい!」
毅然と言い放つ目の前の女派遣兵士。
新たな追っ手に身構えるローガンだが、ふと気が付く。
何かおかしい。
彼女は派遣兵士の標準装備である腰の短剣すらまだ抜いていない。
自分を取り押さえるつもりならばとっくにそれを抜いて攻めかかってくる筈だ。
それとももし彼女が魔導師であるならば、もっと簡単な手がある。
こちらが気付く前に攻撃なり捕縛の魔術を放ってしまえばよかったのだ。そうすれば自分はなす術もなく捕らえられていただろう。
しかし現状、目の前に現われただけで特にどちらのそぶりも見せない。
よくよく見ればまだ若い女である。
そしてローガンは気付いた。
おおかた目の前の女はまだ新入りの兵士なのだろう。そして出て来たはいいものの内心ぶるって何も行動できずにいるのだと・・・
(これはチャンスだ。)思わずローガンの口に笑みが浮かぶ。
こんな新人であれば自分の相手ではない。逆に捕まえて人質として利用してやればいい。この女の命を盾にお仲間に馬を手配させる。そしてそのままこの女を連れて領外まで逃げてしまえばいい。その上、女は多少細いが見た目も悪くない。連れて行けば道中あれこれ楽しめそうだ・・・・・・
そうと決まればもたもたしていられない。
お仲間の派遣兵士が来る前にこの女を捕まえなくてはならない。
【身体強化】を更に強め、女に飛び掛る。
未だ女は突っ立ったまま。ローガンは勝利を確信する。
そして・・・・・・
掴みかかった彼の右腕に激痛が走る。
彼の右腕は彼女の両腕で挟まれるようにして捕らえれれている。
たいした力を入れている風でもないのに挟まれた彼の右肘には激痛が走り、その上妙に動き辛い。
ローガンは力任せに振りほどこうとするがその瞬間、彼女は腕を挟んだまま身体の向きを変える。
それだけで目の前の細い女に振り回されローガンは無様に地面に倒れ伏す。
――ローガンには知る由もないが腕を挟んだのは空手の諸手受けの応用による関節技。身体の向きを変えたのは武術で言うところの転身である。関節技によって動きの自由を奪われる、転身によって彼の腕には彼女の体重の動きがそのままかかり、見た目以上の力で彼を振り回すこととなる。いかに【身体強化】をしていたとはいえ予測もしていないその動きと力にはローガンもなす術がなかったのだろう。
倒されたことに気付き慌てて起き上がろうとするローガン。
そのとき、首筋にヒヤリとした感触を感じて動きを止める。
「おとなしく投降しなさい。」
短剣を抜いたセリアは再び毅然とした声で言い放った。
報告を聞いたのは事件の翌日だった。
勤務終わりのセリアさんが派遣兵士の制服のまま道場へ飛び込んできた。
そのまま俺に抱きつくように飛び込んできて言った。興奮した口調で犯人を捕まえたこと、空手が役に立ったことを。そして何度も俺にお礼を言ってきた。
その報告と彼女の涙交じりの笑顔は何よりの報酬だった。
嬉しさのあまり「よかった」と「おめでとう」以外の言葉が出てこない。
結局、何事かと近くを通りかかった村人が道場を覗き込むまで俺とセリアさんは延々歓声を上げ続けた。
俺が最終的に彼女に教えたのは空手の関節技と崩し技だった。
空手は打撃だけの武術というイメージが強いが実は違う。本来の空手には関節技や投げ技(崩し技)、果ては武器術まで含まれている。
打撃技や受け技、歩法まで少し使い方を変えるだけで、たちまちそれは投げ技、関節技に姿を変えられるのだ。
しかし、それらはある程度上級者が行う、いわゆる応用技のような立ち位置の技であり、一般的に初心者にあまり教えることは少ない。
しかし治癒魔術に適正を持つセリアさんは人体の構造にも精通しており、それは関節技、投げ技を覚える上で大いに役立った。人体の構造に精通していれば、関節技を使う際の骨の動きや投げ技でどのようにすれば人が倒れるかというのを理解する上で大きな力となるのだ。
彼女の適正とうまく合致したせいか、理論から説明していくと彼女の覚えはこれまでと比較にならない程早かった。彼女はどうやら組み技向けの人間だったらしい。
彼女の動きは一見、空手というよりは合気道に近いものだ、しかしその動き自体は空手の型の動きから指導したもので、紛れもなく彼女だけの空手スタイルであるといえる。
そしてそのスタイルは犯罪者を逮捕する派遣兵士の仕事ともうまく合致したようだった。
こうして彼女への指導は無事に完遂することができた。
彼女に対する個別指導はもう終わりだが、彼女自身は今後も道場通いを続けていくつもりらしい。稽古を続ければ今以上に関節技、投げ技のキレは増すだろうし、苦手な打撃もじきに様になっていくことだろう。
この結果には領主も大変満足してくれたようで、いずれ他の派遣兵士達にも指導をしてほしいと要望がきている。空手の投げ技、関節技への応用は俺自身まだまだ工夫していきたいところがあるので、その工夫がつき次第、領主の要望には答えるつもりでいる。
これにてめでたしめでたし・・・といきたい所ではあるが、最近一つだけ悩みがある。
ある日の道場にて、
「はい。セリアさん。今の関節技のタイミングいい感じでしたよ!・・・・・・って痛いイタイ!もういいですって!放してください!おい、放せ!」
ハッとした顔で慌てて放すセリアさん。しかしその顔はどこか恍惚めいた表情を感じさせる。
「すみません。タツマセンセイ。・・・・・・でも、もう一本だけお願いできませんか・・・」
あれ以来、彼女とは技の研究の為にたまに稽古に付き合ってもらっているのだが、どうも様子がおかしい。
初めて犯人を捕まえた時の感動が忘れられないのか、それともよっぽど関節技が性にあったのかは知らないがあれ以来セリアさんは人の関節を極める時、ヤバイ位イイ顔をするのだ。
それはもう、恍惚というかうっとりというか・・・・・・
いつか何かの間違いで腕を折られるんじゃないかと思うと内心戦々恐々だ。
「ねぇ・・・タツマセンセイ・・・もう一回だけ・・・・・・」
汗ばんだ肌、上気した頬、肌に張り付いた黒髪は大変艶かしくてよろしい。しかしだからってそれで骨を折られたんじゃたまらない。俺は犯罪者じゃないんだ。
何?治癒魔術で直すから大丈夫だ?・・・・・・嫌に決まってんだろ!!