番外編 モトベ タツマのあまり平穏じゃなかった日々 その29
「子供」をターゲットとした道場経営。
最初は苦労の連続だった。
体力や集中力が大人と比べて大きく劣るのは当然として、そもそも必ずしも子供が望んで道場に来ているとは限らない。親に入れられて仕方なく道場に通っている子供達だって少なからずいたからだ。
人間、別に空手なんかやらなくたって何の支障もなく生きていける。
それを無理やり道場に入れられ、時に痛い目まで見る。子供が嫌がるのも無理のない話しだ。
稽古中に泣き出す子供。
やりたくないと駄々をこねて床を転げまわる子供。
道場を開いてしばらくはそんなことが毎回起きていた。
怒るのも怒鳴るのも簡単だ。しかし、そうやって恐怖で縛り付けて無理やり稽古をやらせるのは俺の祖父に反していた。
俺はおおいに頭を悩ませた。
毎回が試行錯誤の連続だった。
運動量を減らし負担を少なくする。
飽きさせないように稽古のバリエーションを増やす。
稽古の合間にレクリエーションを取り入れる。
試せることは何でも試した。
稽古に限らず、子供と打解ける為にあらゆる手を打った。
子供に人気があると聞けば、マンガ、アニメ、ゲーム、おもちゃ、時には少女マンガさえもらさずチェックした。
そんな俺の努力が身を結んだのか、それとも単に子供達が俺と空手に馴染んでくれたのか、少しずつではあるが子供達も稽古に取り組んでくれるようになった。
子供達は皆初心者ばかりだったが、そんなこと何の問題でもなかった。
できない動作があれば何度でも根気よく教えた。
理解できるように説明を噛み砕き、例えを用い、時には他のできている子供にどうしたらできるようになったかをこちらから教えを乞うた。
そしてできるようになった時はどんなに小さな成果であっても一緒になって喜んだ。
楽しかった。
毎日少しずつ成長していく子供達を見守るのが。
可愛かった。
少しずつ打解けて俺に懐いてくれる子供達が。
そうだ。
俺はあの子達が好きだったのだ。
職業空手家としてはあるまじき言葉だが、この子達に空手を教えられるなら金なんていらないと半ば本気で思っていた。
未婚で子供もいない俺が言うのもおかしな話ではあるが、皆実の子供のように可愛くて仕方がなかった。
そして1年が経った。
子供や両親の口コミもあってか道場の生徒の数は当初より増えていた。
初期の子供達はこの1年でまだまだ拙いながらも、だいぶ空手らしい動きが身に付きつつあった。
そこで俺と子供達は一つ新たな段階へと挑んだ。
試合への参加である。
俺自身は試合や大会というものをさして重んじているわけではない。
しかし、子供達やその両親までそうであるとは限らない。
道場の稽古だけではマンネリを感じてしまう場合もあるだろう。
それに対する変化の一環としての試合参加だった。
近隣で参加可能なオープン試合を探し、参加を申し込んだ。
事前に参加の希望は募っておいた。
目を輝かせる子供、不安そうな顔をする子供、反応は様々であったが、今回は貴重な経験ということでできる限りの参加を勧めた。
試合が決まると自然に稽古内容もそれを意識したものとなった。
本来、「試合」の為の稽古というのは個人的にあまり好ましく思っていない。
しかし、今回に限ってはそれも已む無しだった。
別に成果をあげて欲しいわけではない。
今後、試合に参加したくないという子がいれば参加を無理強いするつもりもない。
ただ参加する以上は怪我をせず、勝つにせよ負けるにせよ自分の力を出し切って欲しい、そう考えたからだ。
試合当日。
俺は子供達を引率して会場へと向かった。
今回の試合は全てワンマッチ方式。大会というよりは地域の道場の交流という意味合いが強かった。
子供達はそれぞれの学年、年齢に分かれて試合をすることとなる。
結果から言えば、我が道場の生徒達はほとんど敗北に終わった。
たとえ同じ歳でも小さい頃から空手をやっている子供、俺より優れた指導者に教わっている子供はごまんといる。
初心者の子供と新米指導者の俺のタッグが勝ち抜こうというのはいささか甘い目算であったかもしれない。
しかし、俺は子供達の成果に充分満足していた。
皆、初めての試合は緊張したろうに、怖かったろうに。
それでも皆、しっかりと空手をやっていた。
しっかりと相手を突いて、蹴って、受けて・・・
上手い下手など問題ではない。
以前は泣き喚いたり、駄々をこねたりしていた子供達が、今はこんなに立派に空手をしているのだ。
それだけで俺は充分に満足だった。
試合に負けて悔しそうな顔をする子供達を俺は思いつく言葉の限りを尽くして褒めあげた。
そして我が道場において快挙があった。
一人ではあるが試合に勝った生徒がいたのだ。
名前はタケシと言って。道場では比較的年長の小学4年生の男の子だ。
タケシはけっして大柄ではないが、技の飲み込みはすこぶるよかった。
そして身に付けた技は試合においても遺憾なく発揮された。
攻めてくる相手に一歩も引かず打ち返し、ついには打ち勝った。
勝利を宣告された時、武道家としてはあるまじきことかもしれないが、俺は思わず歓声を上げた。
勝ったことも無論嬉しい、しかし誇らしげに勝利を報告するタケシの嬉しげな様子が何より俺を喜ばせた。
タケシの勝利は他の生徒達にも強く影響を及ぼした。
負けた子供達も口々に「次は絶対に勝つ」と闘志を燃やしている。
中でも最も影響を受けたのはタケシの弟のユウジだった。
今年小学生になったばかりで、空手もお兄ちゃんに影響されて最近始めたばかりの子だ。
その子が満面の笑顔で俺の足元に抱きつき言うのだ。
センセイ!つぎはボクもでるよ。ぜったいユウショウするよ!
後ろでタケシが「ワンマッチだから優勝とかはないんだよ」などとつっ込んでいるが、ユウジは理解していない。笑顔のまま俺の足元で「つぎはボクもでる!」と嬉しそうに伝えてくる。
そんな子供達の様子が微笑ましく、俺の頬はいつまでも緩んだままだった。
そうだな。次は出ような。頑張ろうな!
俺はそう言ったのだ。
試合の帰り道。
俺は子供達の頑張りに何か報いてやりたかった。
そう思って途中のファミレスでささやかながらも祝勝会を開くことを思いついた。
無論、子供達なので酒は無し、甘いものでも奢ってやろうと思ったのだ。
そう思い財布を開けたところ、手持ちの金額がいささか乏しく、ファミレスの前に銀行に寄ることにした。
季節は冬。寒空の下、子供達を待たせるのも忍びなかったので、子供達も銀行内で待たせて俺は金を降ろしに向かった。
今でも後悔している。
何故、俺は祝勝会など思いついたのか。
何故、まとまった金を持っていなかったのか。
何故、その銀行に入ったのか。
何故、子供達を中で待たせたのか。
この日は人生最良の日だと思っていた。
しかし、悪夢の入り口はもうすぐそこまで迫っていたのだ。




