番外編 モトベ タツマのあまり平穏じゃなかった日々 その27
物心ついたとき、既に両親はいなかった。
あとで聞いた話だが、交通事故で亡くなったのだそうだ。
ただ、記憶にない両親には申し訳ない話だが、あまり寂しいと感じたことはない。
俺には祖父ちゃんがいたからだ。
物心ついたときには俺にとって家族といえるのは祖父ちゃんしかいなかった。
ちなみに俺の「辰馬」という名前も祖父ちゃんの名前から一文字もらってつけられたものだ。
こういう家庭環境が珍しいということを知ったのは確か小学校に入学してからだった。
つまり、それだけ不自由なく育ててくれたということだ。
祖父ちゃんは気難しげな顔立ちとあまり口数が多くなく、どこか不器用そうな様子から、初めて会う人、特に子供にはよく恐がられていた。
しかし、実際の祖父ちゃんは外見とは正反対の人だった。
掃除、洗濯もそつなくこなし、弁当を作るのは友達のどのお母さんよりもうまかった。
父兄参加の運動会、かけっこでは自分より若いよそのお父さんがたをごぼう抜きにして、いつも一等賞だった。
なんでもできる祖父ちゃんは俺の自慢だった。
そんな祖父ちゃんが最も得意だったもの―――それは空手だ。
祖父ちゃんは空手道場を経営していた。
若い頃には他にも色々な仕事をしていたらしいが、俺が物心ついたときには道場経営一本で生計を立てていた。
道場経営なんてそんなに儲かるものじゃない。しかし、そんな仕事にも関わらず孫を自分ひとりで養っていけた最大の要因は祖父ちゃんの持つ不思議な人脈、そして顔の広さだった。
道場にはそれなりの数の生徒が通っていた。
しかし、それとは別に月数回、外部の人から頼まれてあちこちに指導に行っていた。
ある時はとある警備会社、ある時は警察官相手の指導、何年かに一度は海外の人から呼ばれることさえあった。
祖父ちゃん曰くそれらの仕事は「昔の知人からの頼み」ということだったが、昔その人たちとどういう関わりがあったかについてはずっとはぐらかされ続け、とうとう知ることはできなかった。
ただ子供ながらに理解できていたことは、祖父ちゃんが警察よりも大きな外国人よりもずっと強いということだった。
どんなに大きくて強そうな人が相手でも祖父ちゃんの手にかかれば子供も同然だった。
なんでもできて強い祖父ちゃん。
祖父ちゃんは俺の憧れで、テレビの中のどんな正義の味方よりも格好良い俺だけのヒーローだった。
祖父ちゃんに憧れ続けた俺は小学校に入学する頃には当たり前のように祖父ちゃんの道場で稽古をするようになった。
ちなみに祖父ちゃんから空手の稽古を強要されたことは一度もない。
むしろ今にして思えば、空手を強要することがないよう、祖父ちゃんはいつも注意していたように思う。
キャッチボールで遊んでくれたり、リフティングを教えてくれたり、試合観戦に連れて行ってくれたこともある。
しかし、俺が空手を辞めることはなかった。
どうやら俺には空手が性に合っていたらしく、野球よりもサッカーよりも空手が好きだった。
何より、空手を練習することは俺にとって憧れたヒーローに近づくということだ。それは俺にとってなによりも誇らしく、嬉しいことだった。
結局、色々気づかってくれた祖父ちゃんには申し訳ないが、俺はその後も空手を続けた。
祖父ちゃんから何か言われたことはないが、一緒に稽古をしている時の祖父ちゃんはいつもより少し楽しげな顔をしていた。内心では喜んでいてくれたのかもしれない。俺はそう思っている。
俺は祖父ちゃんに憧れ続け、空手と共に大きくなった。
それは中学生になっても、高校生になっても変わらなかった。
しかし、そんな俺に決定的な変化が訪れたのは大学2年のことだった。
祖父ちゃんが死んだ。
事故でも病気でもない。
前の晩、普通に道場で稽古をし、一緒に夕飯を食べ、「おやすみ」の挨拶をした翌朝。
祖父ちゃんは布団の中で眠るように死んでいた。
苦しんだ様子もなく、その顔は穏やかだった。
状況と年齢を鑑みれば、原因は「寿命」としか言いようがなかった。
弱ることも苦しむこともなく、飄々として眠った祖父ちゃんの死に方は悲しい反面、どこかいかにも祖父ちゃんらしいような気がした。
葬儀には色んな人がやってきた。
身なりの良い紳士から仁侠映画に出てきそうな中年男性、ホームレス同然のお年寄りまでやってきた。
これだけの人に惜しまれたのかと思うと死んでなお祖父ちゃんのことが誇らしかった。
葬儀を終え、財産の処分をすることになった。
財産といえば、いくばくかの貯金と道場兼自宅だった家くらいのものだった。
家は処分することとなった。
住み慣れた家と道場を処分することに抵抗がなかったわけではない。
しかし、当時の俺はまだ学生。
学費や仕事に就くまでの生活を考えれば多額の相続税を払う余裕などなかった。
だから、「家」を処分することについては早々に諦めがついた。
しかし、「道場」についてはそうはいかなかった。
祖父ちゃんの死と共に道場は解散となった。
祖父ちゃんの生前から俺が代理で指導をすることもあったが、だからと言って俺がそのまま道場主をやれるかといえば、それは話が別というものだ。
比較的入門暦の浅い生徒はともかく、古参の生徒は皆祖父ちゃんに惹かれて通ってきている人達だった。特に顕著だったのは外部から祖父ちゃんに指導を依頼しにきていた人達だ。
葬儀で会った時、皆祖父ちゃんの死を心から惜しんでくれているようだった。
しかし、だからこそなのだろう。
いくら俺が祖父ちゃんの代理で指導をしていたからといって、彼らが俺に依頼を持ちかけてくることはなかった。
武道の世界はなんだかんだ言っても「実力」と「信用」がものを言う世界だ。
ただ血縁だからという理由で、俺に仕事を任せる気にはならなかったのだろう。
祖父ちゃんが死に、道場を処分するまでの間、一応道場は開放していた。
しかし、日が経つごとに訪れる人の数は減り、処分の前日には、ほとんどの生徒はいなくなっていた。
道場に通う者も惜しむ者もそのほとんどが去った、祖父ちゃんの道場。
寂しい光景ではあるが、道場を処分するにはむしろ好都合な状況でもあった。
道場を処分し、俺はいくらかの遺産を手にする。
俺はどこか適当な道場に通い、空手は趣味のものに留める。
そして俺は大学を卒業して、どこかの会社に就職する。
サラリーマンとして給料をもらい、良い縁に恵まれれば結婚。
その内、子供も生まれて中年になった俺は言うのだ。
「お父さんは昔、お祖父ちゃんから空手を習ってたんだぞ!」
その時にはきっと腹も出て、身体だってかたくなっているかもしれない。
子供や奥さんからは「うそだぁ~」とか「え~似合わない」なんて言われながらも若い頃の武勇伝や祖父ちゃんとの思い出を話す・・・・・・
そういう未来だってあったのだろう。
いや、一般的に考えればそっちの人生の方がよほど常識的でまともなものだと心底思う。
しかし、俺には我慢ができなかった。
道場を処分するのはいい。
しかし、空手や祖父ちゃんを思い出の箱の中に押し込め、埃の被った思い出にしてしまうことがどうしても我慢できなかった。
そして、その時俺は決意した。
俺は空手で・・・道場経営で食べていこうと。




