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番外編  モトベ タツマのあまり平穏じゃなかった日々 その15

 身体が震える。

 空気が薄い。

 身体が他人のものになったように言うことを聞かない。


 突如としておとずれた圧倒的なまでの恐怖感。

 抗い難いそれにさらされつつ、俺は今の自分の状態にただただ困惑していた。

 数十人の野盗。

 人質になった村の人達。

 たった一人での救出。

 不利な条件は出揃っている。それに対し、全く恐怖が無かったといえばそれは嘘だ。

 しかし、それはここまでの恐怖ではなかった。

 命がけの戦いというのであれば毎日の魔獣狩りでそれは日常のようにくぐっている。

 確かに勝算は薄い。しかし、けっして勝ちの目がないわけじゃない。

 仮に勝てないにせよ、他に打つべき手は現状でもいくつか考え付く。

 不利ではある。しかし絶体絶命というほどではない。

 今からでも状況は充分ひっくり返せる。

 何度も強く自分に言い聞かせる。

 しかし、全身の震えと圧倒的恐怖感はけっして俺の身体から消えることはなかった。


 この恐怖感。その理由に検討はつく。

 子供達だ。

 彼らの顔を思い浮かべた途端、俺の身体は急に力と冷静さを無くした。

 彼らを助けたくないなどということはもちろんない。

 いくら子供が苦手とはいえ、死んで欲しいとまで思っているわけじゃない。

 いや違う。

 記憶の一部が戻り、わかったことがある。

 俺はけっして子供が嫌いではない。

 無邪気に笑う子供達の姿には頬が緩み、駆け寄ってくる子供達がいれば頭を撫でてやりたい気持ちにかられる。

 しかし、一方でそれらをどうしようもなく恐れ、拒絶している自分がいる。

 可愛い、守りたいと思う、一方で近寄らないでくれ、姿を見せないでくれ、そう願う自分が同時に存在しているのだ。

 相反する気持ちは俺の中でぶつかり合い、結果俺の中で子供達への嫌悪感という感情を残すに至っている。

 今もそうだ。今すぐ駆け出して助けに向かいたいという気持ち。今すぐ全てを投げ捨て逃げ去りたいという気持ち。それらがぶつかり俺の身体をまるで石像のようにこの場に押しとどめている。

 どれほど自分を叱咤しても変わらない。

 俺の身体は震え、行くことも退くこともかなわず、ただただその場に立ち止まって震え続けた。



 どれほどそうして立ち尽くしていただろうか。

 レティさんが背後より俺に声を掛ける。


「・・・・・・ごめんなさい。」


 突然の謝罪の言葉。俺は背後を振り返る。

 彼女の顔にすでに涙は無かった。

 かわりに申し訳なさで溢れた顔で言葉を続ける。


「ごめんなさい・・・自分にもできないことをタツマさんに押し付けようなんてして・・・」


 彼女はどうやら俺の震えを野盗達への恐怖ととったらしい。


「都合のいい時ばかり頼ったりして・・・タツマさんが「勇者様」って呼ばれるのが重荷だった気付いていたのに・・・村の危機なのに他所から来たタツマさんに全部押し付けようなんて情けない話ですよね・・・」


 彼女は恥じ入るような顔で言葉を続ける。

 俺は「そんなことない」と否定してあげたかった。しかし、俺の身体は相変わらず震え続けている。

 そんな状態で言ったところで、強がりにも聞こえないだろう。

 黙りこむ俺にレティさんは決然と言う。


「タツマさんは逃げてください。これはこの村に住む人間の問題です。タツマさんが巻き添えになる必要なんてないんです。後は私がなんとかやってみますから。」


 そう言って彼女は微笑む。

 恐怖とない交ぜになったその顔は笑顔と呼ぶにはあまりにもぎこちなかった。

 しかし、彼女がなんとかすると言っても、何をどうするというのだろうか。

 部屋からも出られないほど怯えていたのだ。

 助けを呼びに行くなんて果たしてできるだろうか。

 おそらく、途中で野盗の見回りにでも見つかり捕らえられるのがオチだろう。

 ましてや、村人の救出など逆立ちしたって不可能なはずだ。


 そんなこと彼女自身が一番よくわかっているはずだ。

 しかし、それでも彼女がそんな言葉を口にしたのは、俺の様子がそれ以上に恐れ、怯えているように見えたからに違いないだろう。

 こんな遥かに年下の少女にすら気遣われる。俺の胸に自身への情けなさが満ち溢れる。

 しかし一方で、恐怖に翻弄された俺が「彼女の言うとおり逃げてしまえ!」そう声高に叫び続ける。

 結局、行くことも退くこともできない。

 彼女の言葉も胸を満たす情けなさも俺の身体を動かすには至らない。

 俺は黙ったまま彼女の言葉を聞き、立ち尽くし続ける。



 言いたいことは言ったのだろう。

 その後レティさんも黙り込むが、ふと何かを思い出したように自身のポケットを探り始める。

 しばらくして彼女はポケットから何かをつかみ出す。

 彼女の手には黒い手の平大の薄い板がのっている。

 それは携帯電話だった。


 俺は自身の記憶からそう判断する。

 無論、科学の未発達なこの世界にはあるはずもない代物だ。


「これ、この間タツマさんが最初に着ていた服を洗濯しようとした時、ポケットから出てきたんです。何に使うものかわからないけど、大事なものだったらいけないからってずっと持ってたんです。最近、あまりお話する機会も無くてずっと渡しそびれていたんですけど・・・」


 彼女は手に持った携帯電話を俺の手に握らせる。

 久しぶりに感じる微かな重さと樹脂の人工的な質感は俺に懐かしさを感じさせた。


「ここにあったら野盗に盗られるかもしれません。だからタツマさんはそれを持って逃げてください。」


 決意の篭った彼女の言葉。

 しかし、俺の脚はいまだ動かない。

 沈黙が続く中、なかば無意識に俺は携帯の電源を入れる。

 動かない脚への苛立ちを手を動かすことで解消したかったのか、携帯電話に触れるのは久しぶりだったが、特に意識することも無く俺は電源を探り当てた。

 携帯電話の電源が入る。

 液晶画面に明るい光が灯る。

 レティさんが驚いた様子を見せるが、俺はそれに構わなかった。

 身体に染み付いた動作で暗証番号を打ち、ホーム画面に辿りつく。

 ずっと電源が切れていたのが幸いしたのか、携帯電話の電源はまだ半分ほど残っていた。

 無論、この世界でアンテナなど立つはずもない。

 通信機器、助けを呼ぶ道具としては全くの役立たずなのは明白だ。

 

 それでも携帯電話をいじり続けたのは現実から逃避する為だったのかもしれない。

 最初に開いたのはアドレス帳だ。

 中には数十人の名前と連絡先が記録されている。

 最初は無意味な文字の羅列だったが、目で追ううちにそれらが意味を取り戻していく。

 文字の羅列は人の名前となり、名前からその人物の顔とその人に関する記憶を俺に取り戻させていていく。

 俺は次第に夢中で文字を追い始める。

 学生時代の同級生、親戚の連絡先、仕事でお世話になった人・・・

 一人思い出し、二人思い出し、その度に俺の記憶は加速度的に鮮明になっていく。

 俺は野盗もレティさんの存在も忘れ、夢中で携帯を操作し続ける。

 メールの内容、スケジュール帳、メモ帳・・・それらに触れるたび俺の記憶は広がり、形を取り戻していく。

 そして最後にギャラリー・・・記録した画像に目を通す。

 複数のフォルダに分けて整理されているが、その中で一番新しいであろう画像データを選択する。

 そこには・・・・・・




 タツマは手渡された黒い板を一心不乱に触り続ける。

 そして、タツマが触るたび、その板に無数の絵や文字が映し出された。

 異世界の人間であるレティにはその板が何なのか、タツマが何をしているのか、そのどちらも検討がつかない。

 ただ、とりつかれたように指を動かし続けるタツマの様子をレティは唖然としながら見ていた。

 せわしなく動くタツマの指。

 しかし、不意にそれが動きを止める。

 手元の板を微動だにせず、食い入るようにタツマは見ている。


 レティは微かに恐怖を感じた。

 携帯電話など知らない彼女にしてみれば、タツマの行動は奇行と呼ぶほかない。

 そうかと思えば、唐突に動きを止めて今度は身じろぎもしない。

 彼女にしてみれば、タツマの様子はとても正常なものには見えなかった。

 

 その黒い板の正体はわからない。

 しかし、それがきっかけでタツマはおかしくなってしまったのではないか。

 タツマの様子はレティにそんな不安すらよぎらせた。


「タ、タツマさん・・・・・・」


 沈黙と緊張に耐え切れず、思わずタツマに呼びかける。

 自分の世界に入り込んでいるかと思われたタツマだが、予想に反して彼は反応を示した。

 手元の板を見る為にうつむき気味だった身体をゆっくりと起き上がらせる。


 ああ、よかった。彼は狂ってなどいない。


 そんな安堵がレティの胸中によぎる。

 しかし、そんな想いは次の瞬間に儚く破れ、彼女はより強い恐怖感にさらされることとなる。



 「鬼相」

 強いて名づけるならばそんな呼び方こそ相応しいだろう。

 眉間には大きく皺がより、強く眼前を睨みつけている。

 目は釣りあがり、眼球は血走り、薄暗い食料庫の中にあってその目は不気味なまでの存在感を放っている。

 己の歯を自身で噛み砕かんばかりに食い縛られた口元。

 それは今にも溢れ出さんとする何かをかろうじて抑え込んでいる。そんな印象を彼女に与えた。


 変貌したのは顔つきばかりではない。

 今やタツマを取り巻く雰囲気そのものが完全に一変していた。

 立っている姿は先程と変わりはない。

 しかし、その印象は天と地ほどにも違う。

 レティにとってのタツマの印象は真面目で平凡な青年、概ねそんなところだった。

 鉄熊を撃退し、村で「勇者」と呼ばれるようになってからも彼女の印象はさして変わらない。

 むしろ、子供達を苦手とし逃げるように教会を出て行くタツマの姿をどこか頼りなげにすら感じていた。

 しかし、それらの印象はこの瞬間、いっせいに払拭される。

 戦いに縁のない彼女ですら感じられるほどの殺気と怒り。

 見慣れたはずの青年が唐突に恐ろしい怪物へと変化を遂げる。

 これならば教会にやってきた野盗達のほうがよほど可愛げがある。

 そんな思いすら抱かせるほどに今のタツマは恐ろしい。

 煮詰めたような怒りと殺意が彼女を圧迫する。

 

 怖い。逃げ出したい。


 そんな思いがレティの胸をよぎる。

 恐怖に押しつぶされ、悲鳴をあげようとしたその時、彼女は見た。

 それらは目の前の「鬼」にはひどく不似合いなものだった。

 何故?何が?

 そんな疑問が彼女に冷静さを取り戻させる。


 冷静さを取り戻した彼女は改めてタツマに声をかけようとするが、タツマはそれを待つことなく背を向け、食料庫から去っていった。

 食料庫の中にはレティ一人が残される。

 まるで先程までのことなど何も無かったかのように食料庫は静けさを取り戻す。

 そんな中、レティは最後の光景を一人思い返す。


 彼女は見た。

 黒い板に映し出された、ひどく精巧な絵を。

 絵には笑顔のタツマと彼に群がるたくさんの子供達が。

 彼女は見た。

 彼の頬に伝う二筋のしずくを。それはまぎれもなく涙だった。

 彼女は聞いた。

 背を向け、去っていくタツマが搾り出すように一言、「思い出した」と呟いたことを。


 彼女には何一つ理解できなかった。

 野盗達も彼女の疑問もタツマの変貌も、全て我関せずと言わんばかりに、夜の教会はただただその静寂を保ち続けていた。

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