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番外編  モトベ タツマのあまり平穏じゃなかった日々 その7

 食事の時間を邪魔された鉄熊アイアンベアーは敵意をむき出しにして、こちらに歩み寄ってくる。

 正直に言えば、今この瞬間にも逃げ出したいが、背を向けたが最後、俺は彼の鋭い爪でザックリやられるのがオチだろう。


 鉄熊の向こうに見えるアルフとセシリーに目で合図をする。

 (今のうちに逃げろ!)そう伝えたつもりだ。

 しかし、大人が現われたことで却って彼らの緊張の糸は切れてしまったのだろう。

 アルフもセシリーも泣き顔のままへたり込んで動く様子を見せない。

 

 くそ!計画は一歩目から大失敗だ。

 もとより俺に鉄熊を退治できるなんて考えちゃいない。

 俺が鉄熊を引き付けている間に二人を逃がし、その後は隙を見て俺も全力で逃げる。

 それが俺の計画だったのだ。

 しかし俺のずさんな計画はあえなく失敗に終わった。

 こうなるとやはり俺が二人を抱えて逃げるほかない。

 その為には一時的にも鉄熊を怯ませ、逃げる時間を稼がなくてはならない。

 急激に高くなったそのハードルに思わず目眩がしそうだ。

 二人を見捨てて逃げようにも鉄熊は食事を邪魔した俺に大層ご執心だ。

 その怒りは俺を肉片にするまで治まりはしないだろう。

 進退窮まった。

 気の進まぬことこの上ないが、戦わずにこの窮地を脱することは不可能なようだ。


 鉄熊はもはや俺の10歩先にいる。

 この巨体であれば、一息に飛び掛ることも可能だろう。

 距離を稼がなければならない。

 そう判断した俺は鉄熊に【炎弾】をぶつけると同時に横方向に【身体強化】を全開にして駆け出す。

 炎弾の目くらましと急激な横移動が功を奏し、俺と鉄熊の間に多少の距離ができる。

 しかし、そんな僅かな距離などこのままではすぐに潰されてしまうだろう。

 故に更にもう一手。

 俺は魔術【念動】を用い、周囲の枝葉を鉄熊目掛けて集める。

 即席の障害物が鉄熊の行く手を阻み、彼との間に僅かな距離を稼ぐ。

 

 俺は逃げ惑いながら、鉄熊相手にチャチな障害物競走を強いる。

 俺の魔術は鉄熊相手に決定打とはなりえない。

 ならば俺にできることは自身を囮に相手の目を晦ませつつ、子供達との距離を稼ぐ、その上で最終的には俺自身も奴を撒き、アルフとセシリーを回収して即座に離脱する。

 これが俺の思いついた二つ目の計画だった。

 しかし、この計画には大変危険が伴う。

 敏捷性ではるかに勝る相手の目を晦まし、動きを阻害させながら追いかけっこを続けるのだ。

 一歩打つ手を間違えれば、鉄熊はたやすく俺に追いつき、その牙を突きたてることだろう。

 そして問題はもう一つある。

 俺の貧弱魔術では鉄熊にさして効果のある妨害はできない。

 このままではギリギリの追いかけっこが続くばかりで、いつまで経っても子供達を回収できないし、俺自身も鉄熊を撒くことができない。

 なにか決め手となるような策が必要なのだ。俺は必死で逃げながら周囲を見渡す。

 何か利用できるもの・・・「武器」となりうるものは無いか・・・

 自分の進行方向に何本かの枯れ木が立っていることに気が付く。

 伐採されたまま放置されたのか、それとも雷にでも打たれて倒れたのか、何本かの枯れ木は地面に倒れていたり、折れかかったりしている。

 使えるかもしれない。

 効果の程に確信はないが、それに迷う時間も俺にはない。

 俺は即席の策を実行すべく、枯れ木林に向けて走り出した。


 折れかかった枯れ木に藪や木の蔓が重なり、それはあたかも自然のジャングルジムだった。

 俺はそれらの隙間に半ば飛び込むようにして入り込む。

 とび出た枝により身体中に細かい擦り傷、切り傷ができるが、そんなものには頓着しない。

 こうしている間にももっと恐ろしいものが背後に迫っているからだ。

 俺は枯れ木林を必死にくぐり抜ける。

 そこで、背後を振り返ると鉄熊を予想以上に俺の傍まで来ていた。今まさに枯れ木林に足を踏み入れんとしている。

 しかし、鉄熊にとってこのような枯れ木林など障害物にもならない。

 自慢の爪を振り回し、草でも刈るように蹴散らしていく。

 まもなく、林の半ばに到達する。

 このままいけば、あといくらもしないうちに鉄熊は枯れ木林を潜り抜けるだろう。

 

 だが、今この瞬間こそ俺が狙っていた瞬間だった。

 俺は鉄熊に向き直りながら、手を掲げ、すかさず魔術【念動】を放つ。

 魔術【念動】は術者が定めた対象物を魔力により動かす魔術だ。

 そして、俺が定めた対象は鉄熊の周囲の枯れ木や蔓だ。

 俺の魔術を受け、鉄熊目掛けて無数の枯れ木、蔓、枝葉が殺到する。

 林の半ばにいた鉄熊は全方位からそれらの物体を受けることとなる。

 今更、木の枝がぶつかった程度でどうにかなるような可愛らしい生き物で無いことは分かっている。

 あくまでこれは下準備、足止めだ。

 さしもの鉄熊も全方位から集まってくる木や枝によって、その動きが阻害される。

 彼はそれらを振り払わんと身をよじり、前足を振り回す。

 無論、そうはさせない。

 俺は【念動】の出力を上げ、意地でも彼を枝葉の檻に閉じ込め続ける。

 今や、鉄熊の全身には無数の枯れ木、枝葉が纏わりついている。

 完全に動きを封じることはできていないものの、鉄熊も自分を囲むそれらの障害に気を取られ、俺から注意が逸れ始めている。

 好機到来。

 俺は【念動】を維持したまま、もう一つの魔術を編み始める。

 立て続けの魔術行使に軽い虚脱感と頭痛を感じるが、唇をかみ締めてそれらに耐える。

 そして俺は鉄熊に向けてもう一つの魔術・・・【炎弾】を放った。

 【炎弾】が鉄熊の身体にぶつかる。

 もちろんこの程度の魔術など、鉄熊にとってはせいぜい蚊に刺された程度にも感じてはいないだろう。

 ・・・しかし、周囲を囲む枝葉は別だ。

 この数日、村では晴天が続いていた。

 加えて、鉄熊を覆う木はもとより枯れ木である。

 水気の乏しい枯れ木に俺の【炎弾】の炎は瞬く間に燃え広がっていった。

 鉄熊も事態に気が付き、炎を消そうとめちゃくちゃに身をよじり始める。

 だが、そうはさせない。

 俺は【念動】による拘束と【炎弾】による追撃を更に続ける。

 鉄熊の全身に炎は燃え広がり、鉄熊そのものが大きな炎の塊のような様相を呈している。

 さすがに全身を苛む炎と煙は彼にとっても耐え難いものだったのだろう。

 今や、鉄熊の意識から俺の存在が完全に掻き消えているようだ。

 逃げるなら今しかない。

 俺は炎の塊となった鉄熊を背に、アルフとセシリー目掛けて走り出す。

 随分逃げ回ったつもりだったが、思いのほか二人から近い位置に俺はいた。

 俺は二人の目の前まで走り、二人を立ち上がらせようと手を差し伸べる。

 自分達が助かったことを悟り、アルフとセシリーの顔に安堵の笑顔をが浮かび・・・・・・それは一瞬にして崩れた。

 「なぜ?」などとは思わない。

 俺もその時にはすでに感じていたからだ。

 背後から迫るその音を。

 もはや振り向かずとも状況は理解できる。

 俺は詰めを誤った。

 相手のダメージを確認できるまで追撃を緩めるべきではなかった。

 振り向いた俺の5歩先。そこに鉄熊はいた。

 全身のあちこちが焼き焦げている。

 しかし、そこに弱った様子は見受けられない。

 先程までとは比較にならない程の敵意と怒りをこちらに向け、投げかけている。

 俺の拘束が無くなるや否や、すぐに全身の炎をかき消して俺を追って来たのだろう。その怒りの程も分かろうと言うものだ。

 血走った目と唸り声が言葉以上に明確な敵意を伝えてくる。


「逃げろっ!!」


 俺はアルフとセシリーに向けて叫ぶ。

 こうなればもう一度。

 俺は手を掲げ、鉄熊目掛けて魔術を放とうとし・・・横殴りに吹き飛ばされた。

 前足による横殴りの一撃である。

 俺は人形のように吹き飛ばされ、近くの樹の幹に衝突して、地面に崩れ落ちた。

 思いのほか利口な獣だ、同じ轍は二度踏むまいと、魔術を放つ暇もなく攻めかかってきた。

 今の一撃で命があったのは幸運というほかない。

 距離が近く、爪に当たらずにすんだこと、【身体強化】がギリギリ間に合ったこと・・・それらの要因がどうにか俺の命を繋ぎとめてくれた。

 だが、全身を痺れさせる程のダメージ、魔術の連続行使による疲労。

 それらが俺の全身を苛み、立ち上がることすら困難だ。

 もはやこれまで。

 今や、ダメージと疲労により恐怖することすら億劫だった。

 俺は諦観と共にトドメの一撃を待った。


 しかし、こちらの意に反してトドメはなかなかやってこない。

 俺は目を鉄熊にゆっくりと向ける。

 もはや鉄熊は俺の方を見てはいなかった。

 人形の如く吹き飛んでいく俺を見て、もはや死んだと見たのだろうか。

 彼は邪魔者のことは記憶から消し、本来の獲物に向けて歩みを進めている。

 アルフとセシリーだ。

 舌なめずりする獣はもう間もなく獲物にありつくことだろう。

 二人は動かない。

 絶望から一瞬の希望。そして再度落とされた回避不能の絶望。

 その変転する状況にもはや二人の心は折れてしまったのだろう。

 顔に恐怖を浮かべ、鉄熊の前で立ち尽くしている。


 ごめんな。

 俺は心の中で二人に謝る。

 助けてやれなくてごめんな。

 余計な期待をさせてしまってごめんな。


 俺が手を差し伸べたときの二人の笑顔を思い出す。

 あれがなければ却って心穏やかに死ねたかもしれないのに・・・・・・


 手を差し伸べる俺に二人が向けた笑顔。

 それが朦朧とした脳裏で別の映像と重なる。


『――セイ。あのね―――』

『わたしセ――イのこと―――き!』

『ねぇ!―ンセイ』

『センセイ!』


 そうだ。

 俺にはあんな笑顔を浮かべてくれる子供達が他にもいた。

 だけど、俺はそれを――――――



 鉄熊はゆっくりと二匹の獲物に近づく。

 もはや邪魔するものはいない。

 今度こそ存分にその柔らかい肉を味わおう。

 そう決意し、ゆっくりと獲物に向け歩みを進める。


 コツン


 再び、顔に不快な衝撃を感じる。

 今度は炎ではない。

 ただの石ころだ。

 石ころの来た方に目をやると先程の邪魔ものが再び立ち上がっている。

 よくよく邪魔なやつだ。

 鉄熊に再度怒りの炎が灯る。

 さしてうまそうでもないが、今度こそ邪魔のできぬようその首筋を噛み千切ってくれよう。

 鉄熊は明確な敵意と共に邪魔ものに向け駆け出した。



 自分の行動がよくわからない。

 記憶は錯綜し自分が何を思い、何を感じてるのかすら明確ではない。

 子供は苦手な筈だ。

 だが、あの二人がこのまま喰われていくのを見るのは、それ以上に不快だった。

 この不快感を抱いて死ぬくらいなら、喰われて死ぬ方がよほどいい。

 立ち上がった理由はそれだけだ。

 しかし、疲れた。

 立ち上がったものの状況はさっきに増して最悪だ。

 もはや俺の仕掛けたチンケな策に奴が引っかかってくれることは無いだろう。

 そもそもあんな追いかけっこをもう一度やろうなんて、今の俺には無茶もいいところだ。

 では魔術で戦うか?

 それも無駄だ。

 俺の貧弱な魔術を何発叩き込んだところで鉄熊には何の痛手にもならない。



 疲れた。

 本当に疲れた。



 疲労と記憶の錯綜が意識を曖昧にする。

 目の前に特大の危険が迫っているにも関わらず、その心身は驚くほど穏やかだ。

 脱力した身体は我が身の疲れを和らげようと、無意識に楽な姿勢を模索し始める。


 

 ああ・・・この立ち方はいいな。

 立っていてすごく楽だ・・・



 左足を一歩前に。

 右足と肩幅一つ分の隙間を空ける。

 身体が斜を向き、僅かに腰が落ちる。


 曖昧な意識と痛めつけられた身体が我が身を庇おうと、その最適解を探し出す。


 膝は軽く撓め、背筋はまっすぐに伸ばす。

 僅かに胸は張り、代わりに肩は強張りをほぐすようにすとんと力を抜く。

 顎を引き、やや上目遣い気味に相手を見やる。


 

 不意に身体が軽くなる。

 魔術ではない。疲労だって残っている。

 しかし、不思議なほどよく馴染むその姿勢がタツマに妙な活力を与えていた。



 なんだこれ?

 すごく楽だ。

 すごく馴染む・・・・・

 でも・・・・・・



 腕が駄目だ。

 曖昧な意識の中でそれを感じる。

 魔術を使うために掲げていた腕から力を抜き、だらりと下方にたらす。



 うん。

 だいぶ近くなった。

 あとはこれを・・・・・・



 たらした右腕をわずかに持ち上げる。

 右手が腰骨の位置にくる。



 ・・・知っている・・・・・・

 俺はコレを知っている。



 何千回、いや何万回と繰り返されたであろう動作は、タツマを記憶ではなく、身体から呼び覚ます。

 次第に明瞭になる意識と活力を増す身体。

 まるで、失われていた半身が唐突に蘇ったかのようなその感覚。

 いや、まさにそれは「本部 辰馬」という人間が失っていたもう一つの身体であり、人格であり、人生だった。

 異世界に転移し、記憶が失われたことで分かたれていたそれが、再び「本部 辰馬」に帰ってくる。



 腰骨に添えた右手をゆっくり握る。

 末端から中心に向けて丁寧に握る。

 やがて手は完全に握られ、一つの形を成す。

 最後の仕上げにもう一息握りこむ。

 握りこんだのは力であり、意思だ。

 そして右手は変化を終える。

 拳・・・いや、それは「正拳」と呼ばれるものだった。


 

 それが最後の歯車。

 それによってカチリと全てが繋がる。

 意識、思考、身体・・・その全てが収まるべき場所に収まる。

 全てを思い出したわけではない。

 しかし、あるべき自分に戻ったのだ。

 もはや鉄熊への恐れもない。

 身体中の疲労を押し流さんばかりの自信と覇気が満ち満ちてくる。



 本部 辰馬 は改めて異世界の地へと降り立ったのだ。

 

  

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