恐怖を飼いならせ パン屋 ヨセフさんの場合④
いよいよ、ヨセフさんへの指導を始める。
もはや彼のやる気を疑う必要などないだろう。
後は俺も全力で彼を指導するだけだ。
つまるところ、ヨセフさんの問題点は生来の気弱さ臆病さである。
それゆえに彼は怒る奥さんに怯え逃げ出してしまうのだ。
人の性格、精神の問題である。精神を矯正するのはひどく困難なことだ。
俺が坊主であったなら、座禅でも組ませて、長い時間を掛けて矯正していくのかもしれないが、俺は坊主ではなく空手家で、あいにくそれほど気の長い方でもない。
したがって、俺は別のアプローチでこの問題を解決することにした。
「では、ヨセフさん。あなたにはこれから型稽古をしてもらいます。『ナイハンチ』はもう覚えましたか?」
自信なさげに頷くヨセフさん。
「そうですか。では、私は見ていますのでやってみて下さい。」
俺の言葉に従い、型を始めるヨセフさん。
型の完成度としてはあまり褒められたものではない。
動く際には腰がふらつき、動作の順番も自信がないのか、動きに思い切りの良さが見られず、恐々動いているように見える。
初心者なのでしょうがないとも言えるのだが、まだまだ評価できるほどのレベルではないというのが正直なところだろう。
しかし、今回は型の完成度を測っているわけではない。ついでに言うならば、別に型は『ナイハンチ』である必要もない。たまたま彼が覚えていそうな型がこれだったというだけで、別の型であったとしても今回に限っては特に不都合はない。
「ハイ!そこで止まって!」
俺は突如型の制止を命じる。
訳がわからないながらも指示をきき、ヨセフさんは動作をとめる。
丁度、右の鉤突きを打った状態で彼の身体は固まっている。
俺は彼に近づき彼の動作の形をしげしげと観察する。
そして俺は黙ったまま、がら空きになっている彼の右脇腹に平手を強く叩きつけた。
「ギャッツ!!」
彼の身体から乾いた音が響き、その後すぐに彼は悲鳴をあげる。
打たれた場所を手で庇い、若干怯えたような調子で俺に文句を言う。
「センセイ!いきなり何するんですか!」
「ヨセフさん。右の脇が開きすぎです。もっと締めるように心掛けてください。」
平然と答える俺にヨセフさんは呆気に取られたような顔をする。
「そんなの・・・口で言ってくれればいいじゃないですか!」
「痛かったですか?」
「そんなの当たり前じゃないですか!」
「・・・本当に、本当に痛かったですか?」
重ねられる俺の問いかけに困惑し、ヨセフさんは黙り込む。
俺の行動の意図がまったく分からないのだろう。
「ヨセフさん。確かに私は強めにあなたを叩きましたが、それは叫ぶほど強くは叩いていない筈ですよ?本当に型を中断して叫びたくなるほどの痛みでしたか?」
頭も冷えてきたのだろう。
少し考えた後、ヨセフさんは答えた。
「・・・・・・いえ。そう言われるとそこまで強い痛みでもなかったような気が・・・」
私は彼の感想に無言で頷き、言葉を続ける。
「ヨセフさん・・・私が思うに、あなたは痛みや罵声と言った恐怖に過敏に反応しすぎて、頭から拒絶してしまっている。それこそが稽古での問題点であり、奥さんに対する問題点でもあるのだと思います。」
「・・・で、でも痛いものは痛いし、怖いものは怖いんじゃ・・・」
ごもっともな反論である。
しかし、そこで思考停止していては稽古にならないし、奥さんとの関係を改善することもできないだろう。
「その通りです。痛いものは痛いし怖いものは怖い。それは生物として極めて正常な反応です。それを無くせと言っているわけではないんです。」
「じゃあどうすればいいんですか?」
やや関心を持ってきたのだろう。先を促すように言葉を発するヨセフさん。
「 痛いものは痛いし怖いものは怖い・・・しかしそれらに対して冷静になり、付き合い方を変えるということはできるんです。」
俺の言葉がピンとこないのだろう。顔に疑問を浮かべながら俺の話を聞いている。
型稽古の最中に相手を叩く。
これは相手の型の悪い部分を改善する為に行われる稽古方法の一種だ。
人間の意思とは弱いものだ。無意識の内に楽をしよう楽をしようとしてしまうのだ。
それは空手の稽古であっても例外ではない。
最初は教わった通りに型を演じていても、何度も繰り返すごとに少しずつ、腰は高くなり、身体の締めは緩み・・・つまり少しでも自分にとって楽な姿勢をとってしまうのだ。
型は要点も守って稽古して初めて意味がある。
自分にとって楽な形で型を演じたところで、効果など無いし、場合によっては今以上に技を劣化させることにもなりかねない。
それを防ぐ為に、指導する側の人間が悪い箇所を叩いてやることで型の動作の改善を促してやるのだ。
別に悪い箇所を指摘するだけなら、口でも触るだけでもいいと思う方もいるかもしれないが、経験上やはりある程度の刺激(痛み)と共に指摘され方が注意された部分を意識しやすく、改善もしやすいのだ。
「いいですかヨセフさん。あなたにはこれからまた型を演じて貰います。そして悪いところを見つけたら、私はその部分を叩いて指摘します。勿論、加減はしますし、耐えられないほど痛い時は私に伝えて下さい。しかし、耐えられる程度の痛みであるならば、その部分を解決することに全力を尽くしてください。痛みの程度を自分で見極め、その都度最適な行動を取って下さい。この稽古はあなたの実力、そして性格を改善する上できっと役に立つと思いますよ。」
俺の説明を聞き、やや不安そうながらも型稽古を再開するヨセフさん。
俺も悪い点を見かけるたびに平手でその部分を叩いて指摘した。
最初の内は叩かれる度に体を強張らせていたが、次第に様子は変わっていった。
怖がるほど強く叩かれていないことを身体で理解したのだろう。叩かれてもさして反応を示さなくなっていった。
代わりに俺の平手による指摘に従い、悪い部分を改善しようと身体の微調整を行うようになった。
何度も叩き、何度も調整する。
そうしていくうち、彼の動きは次第に改善され、もはや叩かれてもそれに対して怯えるような様子は無くなっていった。
さぁ、これにも慣れてきたようなので次の稽古に行こう。
「うぐぅぅ~~~」
ヨセフさんが腕を押さえつつ唸り声を上げる。
「どうしました?骨でも折れましたか?折れてないでしょう。ほらもう一本!」
次の稽古は小手鍛えである。
これは交互に自分の腕で相手の腕を叩き合う部位鍛錬的な稽古だ。
鍛えた腕で互いの腕を叩き合うのはすこぶる痛い。空手を長くやっている人でも敬遠する人は多い。
そもそも、俺が学んだ流派ではそれほど頻繁にやる稽古ではないのだが、今回の指導にはもってこいの稽古なので、あえて取り入れた。
平手とは違い、互いの身体からゴツリ、ゴツリと鈍い音が道場に響き渡る。
その痛みも先程の型稽古の比ではない。
「ほら!どうした!そん位痛くねぇ。ほらもう一本だ!いくぞ!!」
彼が痛みに慣れるに従って、声の語調を強めていく。
最初は俺の声を聞く度にビクリと反応を示したが、いまやさしたる反応も示さない。
取るに足らない罵声より、小手鍛えの痛みと動きに頭が集中しているのだろう。
怪我をしない程度に加減こそしているものの、既に彼の腕は真っ赤に染まっている。
しかし、もはやそんなことを気にする余裕もないのだろう、疲労と痛みに喘ぎながらも、ヨセフさんは懸命に身体を動かし続けた。
その後も巻藁突き、筋トレ・・・苦痛を伴う稽古を次々と彼に課していった。
彼が怪我をしない、心が折れないラインを見定めながら稽古を課し、時に罵声に近い言葉を浴びせながら彼を叱咤激励し続けた。
彼もそんな稽古に次第に慣れ、必死に喰らいついていく。
貧相だった身体は少しずつ鍛えられ、稽古の最中に怯えた様子を見せることもほとんど無くなっていった。
そして、一月が過ぎた・・・




