デッカイ男になりたくて パン屋 ヨセフさんの場合③
勤務が終わったセリアさんと連れ立ち、一路 ヨセフさんの店へ。
道中ことあるごとにセリアさんが腕を絡めてこようとするが、その度に緊急離脱する。
その度に彼女が残念そうな顔をするが、そうはいかない。
俺だって痛いのはごめんだ。
そんなこんなで歩き続けるうちに目的地へと到着した。
村の一角にあるヨセフさんの店だ。
味が良く、お値段もお手頃なため、俺も含めて利用者は多い。
どうやら店も開いている様子。ここは一つ正面突破といこう。
「いらっしゃいませ~」
俺達が店に入ると、すぐに愛想のいい挨拶が返ってきた。
「あら?もしかしてあなた、カラテを教えているタツマセンセイじゃありませんか?まぁまぁ、主人がいつもお世話になっております。あいにく主人は今買出しで出ているのですが・・・・・・」
こちらの予想に反し、奥さん(メアリーさんというらしい)は穏やかな印象の人であった。
猫の亜人であるのは事前の情報どおりだが、語り口調はどこかおっとりしたもので、その様子はどこか育ちの良さを感じさせるものだった。
「ああいえ。たまたま近くを通りかかったので立ち寄っただけでして・・・」
まさか、お宅らの夫婦の様子をスパイしに来たとはいえまい。
「あらそうでしたか?じゃあ、キレイな方を御連れですけど、もしかして今日はデートですか?」
奥さんは興味ありげに問いを重ねる。
違います。彼女はただの関節技中毒者な俺の生徒です。
・・・などともやはり言えないので、とりあえず「そこで偶然に出会った生徒です」と曖昧に笑いつつお茶を濁す。
「あらそうだったんですか。・・・・・・ところでセンセイ。うちの主人はそちらでどんな様子でしょう?」
話題は一転、ヨセフさんのことに。
好都合といえば好都合なのだが、奥さんの様子は少しばかり違和感を感じる。
「あの人、見ての通り身体も強くないし、昔からすごく気弱な人なんです。だから戦い方を習いにいくなんて言うから私もびっくりしちゃって・・・センセイ、あの人はちゃんとやれていますか?」
あなたが怖いから習い始めたみたいですよ!・・・などと勿論言えるわけもなく。
「ええ。まだ慣れていないようですが一生懸命稽古されていますよ。」
とりあえず、無難な返答を返すことにする。
「そうですか・・・・・・でもセンセイ、失礼かもしれませんがどうかあの人が怪我をするようなことだけは無いように見ていて下さいね?私、あの人に何かあったらと思うと心配で心配で・・・・・・」
俺はメアリーさんに充分注意する旨を約束し、その後は他愛もない雑談。
しばらく話し込んだ後、俺とセリアさんはお暇することとなった。
帰り際に「いつも主人がお世話になっているお礼」ということで俺達に焼きたてのパンを何個か持たせてくれた。
正直、俺もセリアさんも複雑な心境だった。
完全に予想していた状況とは違う。
こちらの予想ではヨセフさんの奥さんはすこぶる気性の荒い人で、亭主を亭主とも思わないような鬼嫁なのだろうと思っていた。
しかし、実際に会ってみれば予想に反して穏やかでヨセフさんを心配するいい奥さんだった。
実は内心では色々溜め込んでいるのではないかと思い、それとなく話を向けてみたのだが、彼女の口からヨセフさんへの悪口、愚痴の類は一切聞くことができなかった。
見ると聞くとじゃ大違い。
今日会った限りでは大変良い奥さんのように見えるのだが・・・
しかし、わざわざヨセフさんが俺に嘘の相談をしてくるとも考え辛い。
これは一体どういうことなのだろうか?
「・・・・・・でも実際、彼女がヨセフさんを追い回して問題になってるというのも事実なんですよね・・・」
セリアさんも俺と同じく困惑を隠せないらしい。
相談の解決策を探すつもりがかえって混乱することとなってしまった。
どうやら、今度はヨセフさんと腰を据えて話す必要があるらしい。
小腹が空いてきたのでもらったパンを一口齧る。
胸のモヤモヤとは裏腹にもらったパンは香ばしく、やたらと旨かった。
数日後の稽古終わり、俺とヨセフさんは再び相談の席を設けることとなった。
俺は店に奥さんの様子を見に行ったことをヨセフさんに話す。
「・・・・・・そうですか。家内と会いましたか・・・」
「ええ。差し出がましいことをして申し訳ありません。しかし私にはどうしても奥さんがそんなに恐ろしい人のようには見えないんですが・・・」
俺の言葉に観念したようにヨセフさんはポツポツと語り始める。
「そうです。夫の自分が言うのもなんですが、家内は普段は私をよく気づかってくれる非常にできた妻なんです。・・・ただ家内は若い頃からひどく悋気深い性質でして・・・」
悋気・・・男女間の嫉妬やヤキモチのことだ。
つまり、ヨセフさんの話をまとめるとこうだ。
彼の妻 メアリーさんは良くも悪くもすこぶる情の深い女性であるらしい。
駆け落ちを最初に提案したのも若き日のメアリーさんのほうだったそうだ。
家も身分も全て捨てられる程の深い愛情・・・
それは今に至るまで陰りは見えないらしい。
従って、機嫌がいい時の彼女は心底ヨセフさんを労わり、気遣う非の打ち所のない良妻である。
しかし、機嫌を損ねたとき、良妻である彼女は一変する。
彼女が機嫌を損ねる理由・・・それは嫉妬だ。
彼女はヨセフさんが自分以外の女性と接する時、恐ろしいほどの嫉妬の炎を燃やすのだ。
勿論、浮気でもしたというならば、それも無理はないだろう。
しかしヨセフさんは結婚以来、浮気などしたことない。
彼女の嫉妬はもっと些細なことでも火がつくのだ。
曰く「お客の女性と楽しそうに話していた」、曰く「村の会合で女性と隣同士になって談笑していた」・・・
たった、これだけのことでも彼女の嫉妬の炎は劫火の如く燃え盛る。
そして、その嫉妬は怒りとなり、怒声として表れ、ついには村中を追い掛け回すほどに発展するらしい。
愛されているといえばその通りなのだが、ヨセフさんには彼女の怒りが恐ろしくてならないらしい。
事態はようやく飲み込めた。
つまりヨセフさんの望みは「鬼嫁に対抗するために強くなりたい」ではなく、「嫉妬深い奥さんに対抗するため強くなりたい」ということなのだろう。
しかし、そうなのであれば、この相談はいささか気に入らない。
確かに村中追い掛け回す奥さんの嫉妬はやりすぎだと思うが、実際に会ったメアリーさんは確かにヨセフさんのことを労わり、気遣っている人だった。
それを空手を習い、それで得た力で相手を抑えつけようというのは、どうにも気に入らない。
やはり、これは空手でどうにかする問題ではない。
二人でよく話し合うことで解決していかなければならない問題だ。
そう考え、ヨセフさんに自分の考えを伝えたところ、ヨセフさんはキョトンとした顔で俺に言った。
「センセイ?私は別に力で家内をどうこうしようなんていう気は全く無いのですが・・・」
なに?じゃあ何だって空手なんて習う必要があるんだ?
「センセイ・・・私は気弱でとても臆病な男です。人に殴られるのも怒鳴られるのも怖くてしょうがないんです・・・」
ヨセフさんは吶々と語り始める。
「家内は確かに悋気深い女です。しかしあいつが怒るのはそれだけが原因じゃないと思うんです。あいつは全てを捨てて私について来てくれた・・・きっと内心では色んな不安や悩みだってあると思うんです。本当なら私が一番にそれを受け止めてやらなきゃいけないのに・・・」
ヨセフさんの語気と握り締めた拳の力が目に見えて増していく。
悔しげな様子をにじませる彼のその顔は道場では見たことのないものだった。
「なのに、私は怒る家内が怖くていつも逃げ出してしまう・・・でもこれじゃあいけないんです!」
ヨセフさんは俺に向き直り深々と頭を下げる。
「お願いですセンセイ!私を強くして下さい。あいつがどんな不安や悩みを抱えているかはわかりません。でも、それがなんであれ私がそれをしっかり受け止めてやりたいんです。お願いです。あいつを受け止めてやれる強さを・・・あいつを守ってやれる強さを私に下さい・・・」
そして、頭を下げたまま微動だにしないヨセフさん。
思わず俺は言葉を失う。
またしても俺の予想は大外れだった。
俺はどこかで彼のことを見くびっていたらしい。
恐妻家で怖い奥さんを見返す為に空手を習い始めた情けない男・・・そんな風に思っていたようだ。
仕返しをしたいから、見返したいから・・・そういう理由で武道を始める人間は元の世界でも何人も見てきた。
彼もその類だと頭から思い込んでいた。
しかし、違った。
そんな貧困な発想しかできない俺よりヨセフさんはずっと上等な人間だった。
相手を見返す為ではなく、相手を受け止める為に強くなりたい。
たとえ言葉だけでもなかなか言えることではない。
彼は俺よりずっと心の強い人間だ。
弱々しい見た目だけで彼を判断し、その真意を汲み取ることができなかった。
指導者として武道家として己の未熟を恥じ入るばかりだ。
「・・・・・・すいませんヨセフさん。私はあなたのことを見損なっていました。本当に申し訳ない限りです。もし私でいいのなら、是非この相談、改めて私に協力させてください。」
俺の言葉に喜び、顔を上げるヨセフさん。
全く少しばかり人の悩みを解決して慢心していた自分が恥ずかしい。
人は見かけによらない。
やはり、真摯さと誠意なくして相手の真意を汲み取ることなど不可能なのだ。
今回のことは俺自身、猛省せねばならない。
しかし、今日腹を割って話したおかげで今後の方針もだいぶ固めることができた。
さぁこれからが本番だ。
反省の意味も込めて、全力でこの相談に取り組むこととしよう。




