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夫婦喧嘩を俺に食わすな!   パン屋 ヨセフさんの場合①

 空手家は痛みに強い。

 そう思っている人は結構多いらしい。

 そりゃ日常的に殴りあったり、素手で板だの瓦だの割ったりしていればそう思われるのも無理は無いのかもしれない。

 しかし、俺としてはその意見に異議を唱えたい。


 別に空手をやっていても痛いものは痛いのだ。

 稽古をしていく内にある程度、慣れのようなものができてくるのは確かだ。

 しかし、けっして痛みが無くなったわけでも無視できるようになったわけでもない。

 むしろ、そんなことができるようになったとすれば、それは大変危険なことだ。

 「痛み」というものはけっして人間にとって不要なものではない。人間に危機を知らせるSOS信号のようなものだ。

 「痛み」を恐れることはけっして臆病なことでもなんでもない。むしろそれは生物が生きていく上で欠いてはいけない要素だ。

 それなのに、もし「痛み」を無くしてしまったり、無視できるようになってしまったらどういうことになるだろう?

 確かに、戦う上ではある種の強みにはなるかもしれない。

 しかし、それはあくまで短期的な期間に限ってだ。 

 身体から発せられるSOS信号をひたすら無視し続けた人間がどうなるか。少し想像すればその悲惨な未来については予想もつくだろう。


 大事なのは「痛み」を無くすことではない。「痛み」とどう付き合っていくかなのだ。

 はたして今感じた「痛み」は自分にとってどの程度の脅威なのか。

 それを見極め適切な対応をしていくことが大切なのだ。


 無論、耐えねばならない時もあるだろう。しかし、ひたすら「痛み」を無視するばかりが修行ではない。

 自分に厳しくするばかりではなく、適切に自分の身体も労わってやる・・・

 それも武道家として必要な心得ではないだろうか?

 俺はそう考えている。





パン屋 ヨセフさん(人族)の場合



 今日も今日とてお悩み相談である。

 最近、俺が生徒の悩み相談にのっていることが知れ渡り始めたのか、ちょいちょい色々な生徒達からお声が掛かる。

 別に生徒の相談にのることについては否やはない。

 しかし、相談の種類についてはちょっと考えてくれと言いたくなる。

 以前など、老後の貯蓄と運用方法について相談された。そんなもの相談にのるどころか、俺自身まだ考えたこともない。

 所詮俺などまだまだ若造で、ただの職業空手家なのだ。のれる相談にも限りがあるのだ。

 それに俺だって殊更人生経験豊富というわけでもない。ついでに言うなら御存知の通り、まだ独身だ。

 だから・・・


 夫婦の関係改善なんて俺に相談してどうするんですか?

 ねぇ?ヨセフさん?



 ヨセフさん 38歳

 最近入門した俺の道場の生徒だ。

 職業はこの村のパン屋の店主だ。俺もちょくちょくお世話になっている。

 勿論、パン屋なので仕事で荒事に関わることなどまず無い。

 別にそれはいい。何も戦闘職の人間だけが空手を習うわけではない。趣味として楽しくやってくれるなら俺としても大歓迎だ。

 しかし、ヨセフさんの場合は少し違う。とてもじゃないが稽古を楽しんでいるようには見えないのだ。

 基本稽古や型稽古のときはまだいい、しかし約束組手の時間になるとそれは顕著となる。

 突きを打たれれば腰が引け、蹴りを打たれそうになると跳び上がって後ずさる。

 それだけであれば、習いたての初心者にはよくあることだ。

 しかし、彼の場合は人を突いたり蹴ったりするのすら、ビクビクしながらやっているのだ。

 しかも彼は結構な痩せ型、失礼な言い方をするならば割と貧相な体格の持ち主だ。

 そんな彼が悲壮な顔でビクビクしながら打ったり、打たれたりしている姿はなんとも哀れさを誘い、どこかイジメの現場でも見ているような気まずさが漂ってくる。

 こうなってくると俺も他の生徒もやりにくくてしょうがない。

 何より、何故そんな恐ろしい目にあってまで彼が空手を続けようとするのかがさっぱり理解できなかった。

 それで稽古後、やんわり彼に尋ねたところ今回の悩み相談に繋がったというわけだ。



「それでね家内はわたしがお客さんに色目を使ったなんて言っては怒鳴ったり、怒ったり・・・ひどいときになると物は飛んでくるは、麺棒持って追いかけられるはでもう怖くて怖くて・・・」


 ヨセフさんはいつもより悲壮さ十割増の顔つきで夫婦生活の現状を俺に伝えてくる。

 正直、もう帰りたくてしょうがない。

 「夫婦喧嘩は犬も食わない」とは元の世界のことわざだが、俺に食わされたって困る。

 内心、うんざりしながらも彼の話を聞き、一応彼の置かれた現状についても内容が見えてきた。


 今を遡ること15年前。

 当時のヨセフさんは中心街の料理店で働く、料理人だったという。

 その料理店は俺でも知っているほど大きい店だったのでこれには俺も驚いた。

 舌には甘く、懐にはとことん厳しい・・・いわゆる高級料理店である。

 彼は下働きから勤め始め、ようやく一人前と認められたばかりの若き料理人だったという。

 そのまま、働いていればいずれ店でも高い地位を得るか、それとも適当な時期に独立しどこかの料理店の店長となるか、そのいずれかの未来が待っていたのだろう。

 しかし、その運命を変えるきっかけとなったのが奥さんとの恋だった。

 彼女はその店のオーナーの一人娘、当時下っ端料理人であったヨセフさんと釣合うはずもない相手・・・

 だが、恋に燃え上がる若き二人にそんな身分の差など何の障害にもなりはしなかった。

 二人はオーナーや店の人達に隠れるようにして愛を育んでいたのだが、ある日事件が起きた。

 彼女に縁談の話が持ち上がったのだ。

 相手は中心街の富豪の息子。結婚すれば相手の財力も味方に付け、店はますます発展することとなっただろう。

 両家の親は既に乗り気でこの縁談はほぼ確定のものとなった。

 しかし、若い二人はその運命すらもねじ伏せた。

 皆が寝静まったある日の夜更け、二人は手と手をとって店を抜け出した。

 駆け落ちである。

 互いに鞄ひとつ持っての愛の逃避行。

 二人は店を抜け、中心街を抜け、そして流れ流れてこの村に辿りついたという。

 そして村に着いた二人は懸命に働き、約10年ほど前、この村に店を開くに至ったというのだ。


 ここで終わればめでたしめでたしのハッピーエンドなのだが、たとえ剣と魔法の異世界でもそうは問屋がおろさないらしい。

 ある程度生活に余裕がでたことで色々思うところも出てきたのか、駆け落ちから数年が経ち激しい愛にも陰りがでたのかは知らないが、その頃から奥さんが「お客に色目を使った」、「浮気をしてるんじゃないか」などと言って、些細なことでも怒り出すようになったらしい。

 無論、ヨセフさんにとっては事実無根の言いがかりなのだが、どうにも生来気が弱いらしく、ろくに反抗もできぬまま奥さんのされるがままになっているのだそうな。


「―――というわけで、わたしは強くなりたいんです!」


 おっと。物思いに耽っていたらヨセフさんの話も終わったらしい。

 話は長かったが要するに奥さんが怖いので強くなって対抗したいといことだろう。


「そうですか。わかりました。お力になれるかはわかりませんが、私も色々考えてみます。それについては後日また話し合いましょう。」


 そう言ってとりあえず今日のところはヨセフさんにはお帰りいただく。

 さてさて、一体どうしたものか?

 強くなりたいのは結構だが、強くなったからって解決するような問題なのだろうか?

 やっぱりこれって相談する相手を間違えてるよなぁ・・・


 とにかく、俺一人じゃ埒の明かなそうな相談だ。

 俺も相談する誰かを探すこととしよう。

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