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教育してやろう   ギルド職員 エミリアさんの場合⑤

 ルドルフくんは未だに驚きの表情で固まっている。

 まぁ、道場生の前では基本的に敬語を心掛けていたから驚くのも無理はないかもしれない。

 幸い、俺の道場の生徒達は基本的に良い人が多いが、武道の道場というところはお上品なだけじゃやっていけない部分が残念ながら存在する。

 そもそも、武道や格闘技を習おうなんていうのだから入門してくるのは皆、大なり小なり「戦う」ことに興味のある人間がほとんどだ。

 その中にはケンカ自慢や腕自慢の輩だって多数存在するだろう。そういう生徒達でも分け隔てなく指導はしていかなくてはならない。しかし、彼らを相手するに当たってけっして破ってはならない鉄の掟がある。

 それは舐められないことだ。


 強さを求めてくる人種なのだ。弱い指導者の言うことをどうして聞こうと思うだろう?

 普段は礼儀正しく謙虚に振舞うべきだ。しかし時として押し出しの強さも確かに必要になる。

 舐めてくる相手がいるならば、力の差を見せつけ、相手を屈服させる必要も出てくる。

 武道の「道」の思想とは程遠い、誠に未熟極まる所業には違いないが、それも戦い方を教える指導者としての偽らざる一側面であるといえるのだ。


 そして今回はその時だ。

 もはやお行儀良く振舞う段階は過ぎ去った。

 このまま如何に言葉を尽くしたところでザウルが自分の行いを改めるなどと言うことはないだろう。

 であれば、こちらもそれ相応の態度と対応で接する必要がある。


「ハンッ!腰抜けルドルフの師匠にしちゃあ随分と威勢がいいじゃねぇか?いいぜ。そのご指導とやら是非受けさせてもらおうじゃねぇか?それじゃあ模擬戦の相手はてめぇだ。こっちへ来な!」


 ザウルは怒りの表情で俺を呼び寄せる。

 しかし、俺はそれに答えない。代わりに口の端を吊り上げてできるだけ挑発的な笑みを浮かべながら肩をすくめる。


「模擬戦?おいおいつまらないこと言うなよ?いいからその手にくっついたご大層な手甲。それ使って掛かって来いよ。あぁ心配するな。俺は素手で相手してやるから。」


 ザウルの顔がますます歪む。

 当然だろう。模擬戦ではなく本物の武器を使う自分を素手で相手すると言われたのだ。俺の舐めた言葉に睨み殺さんばかりの視線で答える。


「センセイ!さすがにそれはマズイ!!」


 驚愕から回復したルドルフくんが俺の言葉に静止をかける。

 同ランクの冒険者だけに如何にそれが危険かもわかるのだろう。

 俺の身を案じて声を掛けてくれたようだ。・・・しかしそれも利用させてもらう。


「ルドルフくん。心配しなくていい。これは「指導」だからね。ちゃんと君の後輩には手加減するよ。ああ勿論、【身体強化】も使わないから安心してくれ。」


 かってルドルフくんにも似たような言葉をかけたことがある。

 その時のルドルフくんはやはり怒った。

 しかし、ザウルの怒りはその比ではないらしい。同じ近接戦闘を専門とする相手にここまで言われたのだ。もはや言葉も発さず、こちらへの突進という形で俺に答えた。



 正直に言えば、俺はそれほどザウルを舐めてもいないし、過小評価もしていないつもりだ。

 彼という人間をよく観察した上で勝機ありと判断したからこその言動であり、ハンデだ。

 

 彼は激怒の表情を浮かべたまま俺に対して猛烈な突進を仕掛ける。

 既に【身体強化】も発動させているのだろう。その突進の勢いと迫力はまさしく野生の熊そのものだ。

 そして彼は突進の勢いを殺さぬまま右腕を振りかぶり右の拳を放つ。

 筋力、体重、魔力・・・それらが充分にのった右拳はさながら大砲の弾だ。当たれば魔獣の腹とて突き破ることは想像に難くない。

 しかし俺はそれを半歩前に出てかわす。

 畳み掛けるように彼は左の拳をフック気味に放つが、俺はそれをわずかに屈んでやり過ごす。

 その後も左右の拳が矢継ぎ早に繰り出されるが俺はそれを最小の動きでかわし、結果被弾することなくやり過ごした。


 第一の勝機。それは彼の武器である。

 彼の武器は両手に装着された鋼鉄製の手甲。それを使った格闘である。

 武術を知らずとも【身体強化】のもと振るわれる鋼鉄の拳は確かに強大な威力だろう。

 しかし、それこそが彼の弱点となりうる点でもある。

 手甲に限った話ではないが、武器を持った人間の大半は「武器を持つ」ということに囚われてしまう。

 「人間」が「武器」を持つのだ。当然そこには「武器」を使わないということもその選択肢に含まれる筈だが、不思議と人間は武器を持つとそれを忘れてしまう。如何に武器を振るうか、如何に武器を繰り出すか・・・それに思考が囚われてしまうのだ。

 彼もその例外では無いらしい。

 先程からの攻撃は全て手甲の付いた拳により行われている。

 格闘で戦うならば肘や蹴り、もしくはその怪力で相手を投げることだってできる筈だが、いっこうにその様子は見られない。

 まぁ、それについては第二の勝機、「怒り」が効いている為ともいえるのだが。

 

 俺からの度重なる挑発で頭に血の上ったザウルに、もはや冷静さなど欠片も見られない。

 彼とてDランク 冒険者だ。冷静に考えるならば今のまま攻め続けても効果がないことくらい分かるだろう。

 しかし冷静さを失った彼はいまや武器の手甲を大振りに振り回す猪武者に成り下がっている。元々、武術を知らない上にこの状態なのだ、今の彼の打撃をかわすことは俺にとって縄跳びを跳ぶより容易い。


「てめぇ!やる気あんのか!!攻めてきやがれ!!」


 攻撃をかわし続ける俺に焦れたのだろう。

 彼は荒い息をつきつつ、俺に怒声を浴びせる。

 しかしまだまだ俺の煽りは終わらない。


「攻める?ああスマン。スマン。もう始まってたのか。あんまり当たらないもんだから、まだ準備運動中かと思ってたよ。」

 

 更なる俺の煽りに彼は更に激怒する。

 疲労と怒りで彼の顔はもはや赤を通り越してどす黒い色にまで成り果てている。


 罵声とも雄たけびともつかない声を上げて、再びザウルが俺に攻めかかる。

 さて、そろそろ反撃開始といこう。


 突進しつつ彼が右拳を振りかぶる。

 おそらく狙いは渾身の右ストレート。

 間合いは狭まり、彼は左足を大きく前に踏み込む。

 この左足こそが俺の「獲物」だ。

 俺は彼とほぼ同時に一歩踏み込み、いち早く自分の足を彼の左足の着地予定地点に置く。

 ただそれだけだ。それだけで事足りるのだ。

 彼の左足は本来の着地地点を奪われ、急激にバランスを崩す。そしてそのバランスの崩れは突進の勢い、拳の動きと相まって、致命的な体勢の崩れを呼ぶ。

 もはや足を払う必要も蹴る必要もない。俺のたった一歩の踏み込みで急激に彼はバランスを崩し、自分の勢いそのまま地面に激しく投げ出された。


 無論、この程度で戦闘不能になるほど彼は柔ではないだろう。

 しかし、起き上がった彼の顔には怒りと羞恥、そして拭い難い困惑の色が浮かんでいた。

 掛けられた当人にしてみれば、俺の攻撃ですらないただの踏み込みで投げ飛ばされたのだ。魔術のあるこの世界にあって、なお魔法じみた感想を抱いているのかもしれない。

 先程までの彼であれば、これだけの屈辱を受ければ、すぐさまこちらへ突進を仕掛けていただろう。

 しかし、今の彼の顔には困惑と同時に未知なるものへの恐怖も確かに浮かんでいた。

 

 さて、このまま膠着状態が続いてもよろしくない。

 仕上げの為のもう一煽りといこう。


「なんだ。準備運動が終わったと思ったらもうオネムかい?小熊ちゃん?やっぱりまだ俺の指導は早かったかな?そうだ、せめてオムツが取れてからにするべきだったね。ゴメンヨ?」


 俺の言葉に周囲から僅かに含み笑いが聞こえる。

 今まで暴力で君臨していた男がいまやこの醜態だ。普段の彼を知っている者達からすれば、今のザウルの様子はさぞや滑稽だろう。

 

 彼は再び顔をどす黒く染め、雄たけびを上げつつこちらに向かってくる。

 彼の突進をどこか他人事のように見ながら俺は思う。

 全くもったいない話だ。

 彼はけして弱いわけではない。

 凶暴な性格に恵まれた体格と魔力・・・彼はいわば生まれた時から強い人間なのだろう。

 特に努力をしなくても充分に最初から強く、人をねじ伏せられる。

 しかし、それ故にとりこぼしてきたものは数多あるようだ。

 最初から強いから自分の弱さ、失敗を省みることをしない。

 もし、それができていたならここまでの状況になる前に自分を立て直すこともできていただろう。

 そして、彼は他人を本当の意味で見ていない。

 目障りなものは自分の力で叩き潰してきたのだ。そんな必要もなかったのだろう。

 だから彼は相手を真剣に見ようとはしない。

 もしそれができていたならば、俺の動きを観察して対策の一つや二つ思いつくことだってできたろうに・・・

 充分な才能がありながら、いまやこの有様。

 指導者としてはやや悲しさすら覚える。

 彼がこうなったのは技を知らなかったからか、それとも心を磨き損ねたからなのか・・・

 彼の姿を自分の指導者としての宿題として焼き付けつつ、俺は最後の仕上げにはいる。


 彼の右拳を半歩避けてかわす。

 続いて繰り出される左拳。

 これに俺は合わせる。

 左手を差し出し、相手の拳の軌道を逸らす。

 同時に身を屈め、彼の懐にもぐりこみ、彼の股に自分の右腕を差し込む。

 本来であればここで同時に金的を撃つのだが、もはやそこまでする程の相手ではない。

 相手の打拳と俺の右腕によって、俺がザウルを担いだような形になる。

 このまま相手を持ち上げて投げ落とせば、柔道で言うところの「肩車」という技になる。

 しかし、【身体強化】を使っていない今の俺では彼の巨体を持ち上げることなど到底不可能な話である。

 ならばどうするか?

 持ち上げる必要などないのだ。

 俺は両足に僅かに力を込め、ザウルを担いだことで前屈みになっていた身体を垂直に立て直す。

 それだけでいい。

 それだけで彼は俺の背中を滑り台代わりにしてゴロリと地面に倒れこむ。

 実際はここまで打拳を受けてから一瞬の出来事である。

 ザウルはまたもや魔法染みた自体に呆然とする。

 俺はそんな彼を尻目に身動きをとれぬ様、左手首の関節を極める。


 空手の型 『ワンシュウ』の動作。それを応用した投げの一手である。

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