プロローグ─ある老体のメモワール1─
試行錯誤中です。稚拙ですがお読みいただくと幸いです。並行して天空海の方も進めていきます。
イギリスの詩人、バイロンの『ドン・ジュアン』にある一節、”事実は小説よりも奇なり”とは、まさしく私の人生にピタッと整合する言葉だろうとつくづく思うのだ。
私は今、祖国アメリカのユタ州リッチフィールドで齢七十を迎え、焦燥感に駆られた社会から逸脱してゆったりと余生を過ごしている。
ただ、私の身に残された時間はあまりに短い。若い頃無理したツケが回ってきたのか、先日とある医療機関にて重度の白血病と診断された。
私に残された時間はあと三年、現代医療の見解ではそう診断された。
(あぁ……、私はついに会う事が叶わなかったのか)
私は医師から余命宣告を受けた時、ただ自分の命を惜しむ以上に、自分が過去に取り残し、そして再び会う事の無かったある女の顔が脳裏に浮かんだ。
私の白血病も、その女と人生で共に歩んでいた時期に負った傷の後遺症だ。今から……、そう、彼此五十年近くは経つのだろうか。大学で反戦活動を学友と共に行っていた頃の事だ。
余命宣告を受けてから一週間が経過した時、自室のベットの上でワサッチ山脈の切りだった山嶺を窓越しに眺めていると、コンコンというノック音と共に孫娘が入ってきて、一冊のノートを手渡してくれた。
十五になる孫娘は、『そのノートに、日記でも書いてみたら?自分のこれからの事、書いてみると良いと思うの』と言い、そのまま右目でパチッとウィンクして部屋を出て行った。
……孫娘には悪いが、私はこのノートを別の目的で使わせてもらおう。
かの女に会う事が叶わないのなら、自分がこの時代を生きたのだと、後世に残る記録を今、この時間に書き留めておきたい。
私はノートの表紙をめくり、横にある筆入れの中から長年愛用しているクロス社製の万年筆を手に取り、サラサラと自分の回顧録を記憶にある限り書き出していった。
『一九六九年七月の事、地元アクステル大学に通っていた私は、同じ社会学部の学友と共にカフェテリアで政府叩きをしていたのだが……』