森の未来(1)
「おかえり篤史。」
お姉さんが出迎えてくれた。…もちろん声だけの。オレは思わず男の方を振り向いた。
彼は何も意に介さない表情をして、ちょっと肩をすくめる。『言うに及ばす』…ということなんだろう。
洞窟の外はすっかり暗くなっていた。過去の世界で過ごした時間分だけ、こちらの世界も進む…まったく道が見えないので、男に手を引いてもらって彼らの住処に戻る。
「どぉ?楽しかった?」
「うん、ありがとう。」
オレはなんとなく、ずっと彼らと一緒にいたいな…と思い始めていた。また色々な時代を見てみたいから?それもあるけれど、なんとなく寄り添ってくれている感じが心地よくて。少なくとも2人に受け入れられている気はするし、このままずっと、暮らせたら。
だから翌朝、こういわれた時は急に突き放された気分になった。
「篤史、あなた3年我慢できる?」
「…それは…家に、戻れってこと…?」
テーブルの上には朝食のサラダ・目玉焼きにトースト2枚、それにカボチャスープという簡単な取り合わせで、オレは今まさにかじろうとしていたパンを皿に置いた。
まあ、それはそうだろう。2人にとってみればオレは邪魔に違いない。何の血縁もないんだし、ここに置いておく理由もないのだから。それはわかってはいるけれど、でもやっぱりオレは…
「オレ、できればここにいたい…。だって、ここにいると落ち着くんだ。2人と一緒にいたい。
ねぇ、なんでもするから、ここにいさせて?家には戻りたくない!!」
「…そう言ってくれてうれしいわ。でもね、篤史。私たちと一緒じゃ何も解決しないのよ。
その場しのぎだけ。学校が嫌なわけではないのだから、ちゃんと行きなさい。そして選択肢を増やしなさい。…ま、でも家に戻れとは行ってないけどね。」
「え?」
一瞬言葉を失って、向かいの空っぽの席を見る。置いてあるサラダの葉っぱが一枚、ぴょいっと消えた。
「もぐもぐ…私、篤史達とは別行動で、別な過去に行ってきたの。篤史の大体の事情は見てきたつもりよ。おーっと、気を悪くしないでね。家出人を預かっている以上そのくらいはさせてもらうわ。」
あの時だな…とオレは男を睨んだ。が、当の本人はまったく気にしない様子で、目玉焼きをつついている。
確かに、何にも事情は話さなかったけど…一言ぐらいあっても良いだろう。大体、過去にいたんだから喋れたはずじゃないか。
「…で、この人と相談した結果なんだけど…篤史の父方のお婆さんにお世話になったらどうかしらって。」
「おばあちゃん?!」
「お婆さんね、今、結構な田舎に住んでるのよ。個人商店があるだけで、スーパーも高校も全部バスで50分の隣町。お祖母さんはいい人、それは間違いないわ。けれどこの町の様に便利な生活はおくれない…とはいえ、この町にいるよりは断然いいと思うんだけど。」
お姉さんの表情は当然見えないが、横の男の顔から察するに相当真剣に考えてくれているらしい。決してやっかい払いするのではない、と言外に言っているのが分かる。彼らなりにオレのためになることを探してくれたのだ。
「篤史、あなた、高校3年間、今より不便な場所でも我慢して生活できるかしら?いくら血縁とはいえ長い間会ってなかったのだから、しばらく居づらいかもしれないわ。」
「ここは、ダメなんでしょ」
「ダメ。」
「なら、そこで暮らすよ…実際、家よりずっと良いと思うし。」
多少の不便が何だ。正直、ここで残りの人生まったりと生きたかったけれど、ダメだと言われちゃ諦めるしかない。お婆ちゃんか…まったく覚えてないな。お姉さんがいうならいい人なんだろうけど、オレの実父の親だろ?本当に大丈夫なんだろうか。
「じゃぁ、ご飯食べ終わったら一緒に行きましょうか。」
「え、近くなの?」
「まさか。ここから車で大体4時間ぐらいね。この山の裏手の方に車置いてあるの。ちょっとそこまで歩くけど…ま、楽しいドライブと行きましょうよ。」
ひんやりしたカボチャスープが喉を流れていった。
彼らと過ごすのも今日で最後、なんだな。短いようで長かったような…そうだ、また遊びに来てもいいか聞いてみよう。それくらいならいいだろう?
チリン
突然、澄んだ音が部屋に響き渡った。
チリン チリン
「あら、また山菜取りのご老人が迷い込んだのかしら?時期じゃないと思うんだけど?」
男が横の棚からリモコンを出してきて、テレビの方に向けた。…こんな山の中で番組見られるんだろうかと思っていたけれど、どうやらモニターとして使っているらしい。ボタンを押す度に、あちこちの森の様子が映し出される。
「ほんのちょっと、裾野のほうにね、感知器付けているの。ほら、ここタイムマシンとかあるから、下手に迷い込まれると危ないじゃない?篤史もこれで見つけたのよ。…あら?」
「あっ!」
「…!」
紺色のつなぎを着て、白い棒を持った男達がゾロゾロと山道を進んでいる姿が映った。警察だ!
なんでここが…と思う前に、心当たりに行き当たる。
「オレ自転車、この山のふもとあたりに捨てたからだ…。」
あの時ははっきりいって、血はダラダラ出ているし身体はだるくなるしで、自転車こぐのもここまでが限度だったのだ。かといって、自転車と一緒に道路の隅に倒れているわけにもいかず、やけになって森に逃げ込んだ…今思うとその行動は正解だったと思うけど。
「まずいわね…捜索活動開始ってわけか。それにしちゃ、随分森の奥まできてるわねぇ。人数も多いし…最初から全力投球なのかしら。」
その時、男が壁にかかっていたカレンダーを指でトントン叩いた。示される日付18日の…水曜日?!
「え?もう水曜?ここに来たときは土曜だったのに……そっか、過去の時間に2日、いたんだった。」
「あらら。じゃぁコレ拡大捜索ってこと?」
拡大?!
何でだ…って家出ついでに、今までの御礼を込めて義父を陥れてやろうとしたからに決まってる。殺人犯に見せようとしたけど、そりゃ死体とかないと警察だって困るよな…。証拠だってないと逮捕できないし。
自転車捨てた辺りを捜索するのも当然だろうし、森の中にも当然やってくるよな。
おそらく、初日で何も手がかり発見できなかったんだろう。だから範囲を広げたんだ。
どうしよう。まずいんじゃないか、これ。
どう考えても、あのタイムマシンの洞窟は発見されたらまずいだろう。それにこの状況…何日も行方不明の未成年が、森奥深くのごつい男の小屋にいる。下手すりゃ誘拐犯にされかねない。しかもコイツは喋れないし、お姉さんは声だけだし…。
「あの、やっぱりオレ…」
「大丈夫、まかせなさい。家族のところには絶対に戻さないわ。あなたが必死で逃げだした場所ですもの。けれど、今のまま見つかってしまったら、篤史はまたあの家に逆戻りになるでしょう…。」
家に戻ると言おうとする言葉を遮り、お姉さんはきっぱり断言した。
男がちらりとこちらを見た後、お姉さんの方へ何かジェスチャーを送る…オレには何を伝えているのかわからないけれど、お姉さんには通じたようだ。
「そうね、ここ包囲されたらそれこそ終わりだものね。まだ車置いてある近くには来ていないようだから、今のうちに確保しておくわよ。」