断片 白夜1:雨が降る
「あーあ、また雨かぁ」
俺は窓へと歩み寄ると、カーテンをさっと開けた。
外は撫でる様な小雨が降っていた。いつもそうだ、俺が出かけようとか、気分が乗らないとか、そう言った時に天気が崩れる。
「別に意図してるわけじゃないんだけどな?」
少しあごに手を添えて雨が降るのを見ていると、不意に俺は空に視線を向けた。
「止め」
そう小さく、だけどはっきりと言うと外の様子が変わった。雨が霧に紛れるように止んでいく。頭を垂れて退く家臣の様に。
俺は笑みを深めた。
あの子が来る。
そのまま俺は窓を開けると、身を乗り出して下を見た。
ぱたぱたと地を踏みしめる音。
小さくつく吐息。
俺の愛しい子。
「白夜!」
「どうしたの日和? そんな慌てちゃって?」
息をつきながらこちらを見上げる少女。頬が心なしか赤い、あーあ走りすぎ。そんな家遠くないのに必死になっちゃって、可愛いな。
「雨が止んでるうちにって思って走って来たの!」
「ふーん、そう? 中に入りなよ」
下を指差して笑みを浮かべると、あの子は柔らかく笑ってうなづいた。そんな仕草も可愛くて、俺は速く見たくて階段なんて使わずに溶けるように床や壁をすり抜けた。波紋のように床や壁が歪ませながら、俺は通る。
そして。
「う、わ!?」
「いらっしゃい」
丁度玄関に入ったあの子と目と鼻の先に現われ、そのまま抱きしめた。
「きゅ、きゅうにびっくりしたー」
声を裏返らせながら言う、彼女に俺はくすりと笑う。慌てて顔を赤くするのも面白い。俺はそのままあの子の頭に唇をよせた。
それに困ったように口をぱくぱくとさせて照れる彼女が堪らなくて、もっと困らせたくなった。
けれど恥ずかしさを振り切るように、顔を上げて口を開けるあの子。
ふーん?
俺は目を細めた。
「あ、あのね、実は……」
バシンッ
カチャ
ざぁああああああああああああああああああああああああ!!
「……」
口を開けたまま固まるあの子。
ちなみに今の音は玄関のドアが閉まった音。そして鍵がかかった音。
あとは……雨の音。
「……白夜?」
「ん? なぁに?」
俺はにっこりと無邪気に笑って首を傾げて見せた。この笑顔に彼女が弱いことを知っている。それを敢えてしてみたんだ。案の定顔を赤らめながらも口をぱくぱくとする。ぷ、金魚みたいだ。
「じゃ、なくて……どうして玄関のカギ閉めたの?」
「俺は動いてないよ?」
「それに雨も……」
「仕方ないよねー、天気はどうしようもない」
「だ、だからそれも白夜がしたんでしょ!!?」
髪を引っ張って少し怒る日和。それが可愛くてその手を握って、ついでにもう片方の手も取って前に持って来た。その格好はまるで招き猫。
そんな姿で怒る姿がツボに入って俺は口元を手で隠しながら笑みを殺しきれず笑った。
「……びゃく」
少し笑みを浮かべながら怒り始めた彼女に、そろそろ引き際かと思って宥めるように頭を撫でてやる。じとりと睨んでくる日和。けれどさっきからずっと抱きしめているのに拒もうとしない彼女がとてつもなく、本当に可愛い。
正直このままの状態がずっと続けばいい。
むしろ邪魔をする奴を抹殺したいなぁ。
だけどこの子に頼まれたら……まぁ俺も、さ?
「……仕方ないなぁ」
ふっと息をつくと、俺は視線を玄関へ向けた。そしてすぅっと目を細める。
こすれ合う金属音とドアが開く音。そして結界を緩めると、少し空気が変わった。
その扉の向こうに人影が現われる。
そいつは……。
「朔! 大丈夫!?」
俺から離れると、日和はそいつに駆け寄った。
濡れそぼった黒髪、静かなで無表情な顔。
彼女の三つ子の兄妹の一人、兄の朔だ。
「……寄るな……濡れる」
無表情とは裏腹に目付と声は優しくあの子に向けられている。
あの子はと言うと、彼の前髪から滴る雨の雫を手で拭っていた。心配そうな顔をしながら。……面白くないな。
「ちょっと離れろ」
ふっと息をつくと、朔があの子に言った。それに一歩下がる。
それを見届けて彼は再び垂れて来た前髪をかき上げた。
そのほんのわずかな時間だった。
一瞬小さな風が起こり、もう一度彼を見た時には彼の髪は渇いていた、いや、それどころか服から玄関の床に至るまで、濡れている所などない。
外からはさきほどと同じくらいの小雨が降り続けている音が聞こえた。
俺はふっと笑みを浮かべると、パチパチと拍手した。
「お見事。流石朔だ」
「お陰さまでな」
朔は大したことない、とでも言うように俺を見た。ほんと、面白くないなぁ。まぁそれでこそ俺の相方だけどね。
「そりゃよかった。俺の相方は健在だな」
俺は朔へと歩み寄ると、ぽんっと相手の肩を叩く。少し機嫌のいい笑顔で。
すると少し目を瞬かせると、朔はため息をついた。
「お前も相変わらず、な」
それを見たあの子も笑った。
「朔と白夜って、仲いーよね! なんか羨ましいな」
「いや、その言い方止めて」
「……ものすごく、嫌だなそれ」
この時珍しくも俺と朔の意見が一致した。お前に言われたくないけどな。