私を捨てた婚約者が、今さら戻ってきました
「お前と結婚させられるくらいならこんな家は出て行く!」
そう言って私の婚約者が家を飛び出した。
小さな頃から一緒に暮らして、仲のいい兄妹のように育ったのに……そんなに私と結婚させられるのが嫌だったなんて……。
私だって兄と思っていた人と結婚するのは抵抗はあったけど……結婚すれば、本当の家族になれると思ったから、好きになったのに——。
◇
カシアン・クロイゼルはクロイゼル公爵家の嫡男だった。
私とは、カシアンが五歳の時から一緒に暮らしている。
両親を病で亡くした私、マリエッタ・ヴェルシアは、カシアンの一歳下の四歳だった。
両親の親友で学園時代に助けられたという、クロイゼル公爵が私を引き取ってくれて、息子の嫁にすると決めていたらしい。
私のヴェルシア子爵家は両親を失って家名と爵位だけの存在になってしまっていたので、引き取られた上に私の将来まで決められてしまっていたのは、私にとっては実にありがたい話だった。
けれど、それを聞かされたのがカシアンが学園を卒業する直前で、二人にとっては晴天の霹靂だった。
「お兄様はどんな方と結婚なさるのかしら」
私はそんなことを言っては、お兄様が結婚された後は公爵家でお世話にはなれないと寂しくなっていた。
兄妹として育ったけれど、本当は違うことはわかっていたし、どこかカシアンへの憧れもあったから、お兄様を好きな気持ちをすぐに異性を好きな気持ちに切り替えられた。
——だから、私と結婚させられることを嫌がって、カシアンが卒業してすぐに家を飛び出したことはショックだった。
でも、私には子爵家の爵位は残されているから、誰か欲しい人と結婚すればいいと思った。
「カシアンがマリエッタと結婚しないなら、公爵の爵位は弟のクラウスに譲ろう。マリエッタと二人で公爵家を支えていくように」
「ええっ!? ……お父様!?」
現当主のクロイゼル公爵——私はお父様と呼んでいる——が決めてしまったけど……そこまで私にこだわることだったの?
「君の両親がいなければクロイゼル公爵家は取り潰されていたかもしれない。それくらい、大変な事件に巻き込まれていた私を、君の両親が助けてくれたんだ。
あんなに早く君を残して亡くなるとは無念だっただろう。君には両親への恩を全て返したい」
クロイゼル公爵の想いは分かったけど……私は横で聞いていた弟のように思っているクラウスの気持ちを考えると、悲しくなった。
二歳も年上の姉と思っていた私なんかと結婚させられるなんて……カシアンのように出て行ってしまうかもしれない。
——クロイゼル公爵の書斎を出てクラウスとしばらく歩く。
書斎に声が届かない場所まで来て私は歩きながら話した。
「ごめんなさい、クラウス。お姉様と結婚させられるなんて嫌よね。お父様のことは私が何とか説得するから、この話は忘れてね」
クラウスがピタッと止まる。
「え……どうして……」
クラウスが驚いたように話した。
「ん? どうしてって、嫌でしょう。大丈夫よ、お姉様がなんとかしますから。お兄様のようにはならないでね」
クラウスはますます驚いたような表情になる。
そして悲しそうに言った。
「お姉様はいつもお兄様が基準なんだね……」
言われてみればそうだと思うけど……。
「クラウスは実の弟だし、お兄様と同じでいいでしょう?」
クラウスがムッとする。
ほら、すぐ拗ねるんだから。
「よしよし」
私はクラウスの頭を撫でた。
「お姉様に任せておけば大丈夫大丈夫!」
クラウスはますますムッとした顔になる。
小さな頃から全然変わってない、私の小さな弟!
◆◇◆
クラウスにはお姉様に任せてと言ったけど、いい方法は思いつかなかった。
私にある子爵家の爵位が欲しい人と結婚すればいいというのも、いずれはそうなるだろうということだった。
カシアンと結婚してずっと公爵家にいられるのは嬉しいと思ってしまった後だから、子爵の爵位が欲しい人を探すのもなんだか積極的になれない。
カシアンが戻ってきてくれたらいいのにと思ってしまう。
カーン……
教会の鐘の音が響く。
……カーン
街の教会には牧師さんが居るけど……街の外には修道院がある……。
修道女になれば……。
私は屋敷の礼拝堂で祈っていた。
「マリエッタ様がこんなに熱心に礼拝なさるなんて珍しいですね」
礼拝堂の周辺の掃除をしていたメイドたちに声をかけられた。
「ええ、修道女になろうと思うので、お祈りの練習です」
ガッチャーン!!
派手に物が落ちた音がした。
「……だ、大丈夫かしら……?」
私が音のした方を見ようとすると、肩を掴まれてメイドたちの方を向かされる。
「マリエッタ様、修道院なんて結婚出来ない女が行く場所ですよ!」
メイドに真剣な目で言われる。
「お兄様は私と結婚したくなくて出て行ったんです。結婚出来ないのと同じです」
「カシアン様がダメなら、クラウス様がいらっしゃるじゃないですか!」
そうだ、そうだ! という声が小さく聞こえた気がした。
「そ、そんなわけにはいかないわっ! クラウスは可愛い弟だもの! お兄様みたいに出て行かれたら困るもの」
絶対、出て行かない! という声が聞こえた気がした。
「それでマリエッタ様が出て行くって言うんですか? それじゃカシアン様と同じじゃないですか!? それでマリエッタ様は傷ついたんでしょう?」
お兄様がそんなに私と結婚したくないのかと傷ついたけど……。
「お姉様に出て行かれたら俺が傷つきます! お姉様」
と言う声が聞こえた気が——いえ、普通に横から聞こえてきました。
「クラウス……」
私は悲しそうな顔をしているクラウスに頭を撫でた。
「私は元々、結婚して出て行くつもりだったんです。お兄様と結婚するならここにいられると思ったけれど、弟のあなたに姉と結婚させるなんて迷惑はかけられないわ、よしよし」
「お兄様は出て行ってくれて良かったけど、お姉様には出て行って欲しくありません! 俺がずっとお姉様と結婚したかったんです!」
クラウスが私の目を見て真剣に伝えてくれる。
「クラウス様がついに告白された……!」
横で見ていたメイドたちが口に手を当てて感動している。
私もうるっと来てしまう。
「血のつながりがないのに、クラウスがお姉様とそんなに一緒に暮らしたいと思っていたなんて……!」
「はい……! そうです! お姉様とずっと一緒にいたいんです!!」
クラウスが元気いっぱいに答える。
「……決めました! 私はカヴァネスを目指します! お父様にお願いしてクラウスの子供の教育を任せて貰えるように頼みますね!」
私は、お父様の部屋に向かった。
「……お姉様……」
「通じてませんね、クラウス様の気持ち……」
◆◇◆
「お父様が、私が『クラウス子供のカヴァネスになるなら安心だ』って言ってくれたわ」
マリエッタが俺に報告してくる。
冗談じゃない!
なんで小さい頃から結婚すると思っていたマリエッタに、自分の子供の家庭教師をされなくちゃいけないんだ!
「認めなければマリエッタが家を出て行ってしまうからな。マリエッタがずっと家にいることになってんだから、クラウス、お前が婚約者だと自分を認めさせるんだ」
俺はお父様の考えが分かってホッとしたが、
「最初から俺を婚約者にしてくれたら良かったんです。お父様も、俺がマリエッタを好きなのは知っていたでしょう」
小さな頃から俺がマリエッタをお姉様と呼ぶのは、マリエッタの前だけだった。
「公爵家の後を継ぐ方と結婚した方が、マリエッタの幸せになるだろう」
「結局はお兄様に逃げられたじゃないですか」
俺がカシアンとマリエッタは婚約者同士だったと聞かされてどれだけ驚いたか。
マリエッタを連れて家を出ようかとも思ったが、先にカシアンが家を出てくれて良かった。
きっとマリエッタは一緒に家を出てはくれなかった。
『お兄様と結婚したら、お姉様はクラウスの本当のお義姉様になるから心配はいらないのよ、よしよし』
とか言われたんだろう。
どうしてもマリエッタは俺を弟としか見ない。
今までは学園の下級科だったけど、これからはマリエッタと同じ上級科だ。
一年生の俺と、三年生のマリエッタ。
一年間同じ学園に通う間に、男として見て貰う!
◇
——上級科の初日。
「お姉様……」
学園に通う通学路をマリエッタと歩く時に、マリエッタと手を繋いだ。
マリエッタの手を握るのはドキドキしたけど、これで男として意識してもらえるはずだ。
「クラウス……」
マリエッタが横を歩く俺を、切なそうに見上げる。
「……上級科に行くのが不安なのね。お姉様が一緒に行ってあげるから大丈夫よ」
めちゃくちゃいい笑顔で言う。
「……違……っ!」
「よしよし、クラウス」
ぐりぐり。
「……えっ! お、お姉様!?」
何故かマリエッタが俺の鎖骨あたりに頭を押し付けてくる。
「……鞄を持ってるから手でよしよし出来ないから、代わりよ」
また良い笑顔でマリエッタが言う。
手を握るより上級者なことを簡単にしてくる。
「……お姉様は俺を完全に弟だと思ってますね……」
そうじゃなければこんなに身体を密着させるようなことはしないだろう。
「そんなことないわ。クラウスが本当の弟だったら、もっとギュウゥッと抱きしめて不安を取り除いてあげられるもの」
……っ!?
「お、お姉様、俺、弟です! お姉様のことは本当の姉だと思っています!」
「え?」
マリエッタが驚いている。
「お姉様は俺を本当の弟だとは思ってくれないんですか……?」
「そ、そんなことないわ……」
「お姉様、鞄、持ちます!」
俺はお姉様の鞄を持つと、お姉様と向かい合った。
「どうぞ、お姉様!」
「あ、はい……」
マリエッタが俺の首に手を回してギュッと抱きしめてくれる。
マリエッタの身体が俺の身体に張り付いたように密着する。
どこを意識すればいいのか分からないくらい、全身がマリエッタのことでいっぱいになる。
「よしよし」
片方の手で俺の頭を撫でてるマリエッタの顔が、俺の顔のすぐ横にある。
マリエッタから吐き出された息が暖かい。
——弟ってこんなに素晴らしいのか!
◇
「お姉様、今日一日、俺ははじめての上級科で頑張りました」
公爵家の屋敷に戻って、俺は玄関ホームでマリエッタに言う。
「はい、お姉様はクラウスのことを見てましたよ。頑張りましたね、偉い偉い」
にこりと笑って言うマリエッタの前で、俺は両手を開く。
「……あ、はい」
ギュッとマリエッタが俺の首に抱きついて片手で頭を撫でてくれる。
「よしよし」
俺はそのままマリエッタを抱きしめた。
「……クラウスっ!?」
マリエッタが驚く。
「はい、本当のお姉様に甘えられて俺は幸せです」
「……そ、そうよね……お姉様もクラウスが本当の弟になって甘えてくれて嬉しいわ」
俺とマリエッタはしばらく抱き合っていた。
「何をしているんですか?」
「わあっ!?」
メイドに声をかけられてマリエッタが飛び退く。
「あ、部屋に戻って着替えてくるわ! クラウスも学園の制服のままじゃダメよ!」
マリエッタが部屋に行ってしまう。
「おめでとうございます! クラウス様のお気持ちがマリエッタ様に通じたんですね!?」
「……いや」
「え?」
「本当の弟なら抱きしめられたのにって言うから弟のふりしているだけだ」
メイドの顔が歪む。
「……うっ……ずっとやってればいつか男として見てもらえるように……」
「そうでしょうか……」
う……でも、『もっとギュウゥッと抱きしめて』と両手で抱きしめる仕草をしているマリエッタを見たら、もうあの腕の中に飛び込むしかなかった……。
……俺の子供のカヴァネスになるためにマリエッタはずっとこの公爵家に住むんだから、いつか俺の気持ちは分かって貰える。
少なくとも、俺が学園を卒業するまでの後三年は結婚できないし、弟として抱きしめられててもいいだろう?
「……へ……ぁ……」
メイドがものすごく複雑な表情をして、俺の行動を喜んで見ていないことが分かる。
「……でも、お兄様がいなくなった今、お父様はマリエッタと俺を絶対に結婚させるつもりだし……」
「あ!」
メイドが急に声を上げた。
「……?」
メイドが真剣な目を俺に向けてくる。
「……クラウス様……落ち着いてください」
「落ち着いてるけど……」
「カシアン様が戻られました!」
は……?
「……まさか……今さら戻ってくるって……!?」
俺がマリエッタの実の弟になったばかりなのに……!!
◆◇◆
「よく考えたら、マリエッタは可愛い妹で嫌いじゃないし、結婚しても良いかなと思って帰って来てやったんだ」
一度、公爵家を出て行った俺の兄のカシアンが戻って来た。
「住むところも金もなく戻ってきただけでしょう」
俺が言うとカシアンは否定するが、
「住むところなら同級生だった伯爵令嬢の所があるさ。伯爵令嬢とは結婚するつもりだったし、金だって宮廷の文官の仕事があるし……」
「そんな文官の仕事だけで公爵家を捨てた公爵子息なんかと伯爵令嬢は結婚しないでしょう。伯爵令嬢の当てが外れて追い出されただけでしょう」
カシアンは言葉に詰まるが……、
「伯爵令嬢は俺が公爵家を継ぐなら愛人でもいいと言ってるんだ。マリエッタと結婚して、お互い愛人を作ればいいだけだろう?」
勝手な理屈を言う。
「最初から愛人がいる結婚なんて、そんなこと出来るわけないでしょう! お姉様のことをなんだと思ってるんですか!!」
「それを言うならお父様だろう。俺とマリエッタの婚約を勝手に決めて……マリエッタだって本当は俺となんて結婚したくないだろう?」
カシアンが、同じ部屋で俺たちの話を聞いていたマリエッタに問いかけた。
「え……それはそうだけど……」
って、その話をしたら、カシアンの代わりに弟の俺がマリエッタと結婚するって話もマリエッタの気持ちを無視してることになるだろう!!
あ……カシアンとマリエッタの結婚に、反対できなくなる……。
反対した後で、俺と結婚してってマリエッタに言えなくなる……。
「じゃあ、俺とお前が結婚するってお父様に伝えていいなマリエッタ。俺は伯爵令嬢のところに行くから、愛人をこの家に連れてきてもいいぞ」
またカシアン勝手に話を進める。
「何を勝手なこと言ってるんだ。愛人なんてそう簡単に連れて来れるはず……」
ふとマリエッタを見ると真っ赤になってる。
愛人を連れて来いなんて言われたらそう言う反応にもなる……。
「……い、言えないです。お兄様みたいに、その人は愛人になってくれないと思うもの!」
マリエッタがカシアンに言って部屋を出て行ってしまう。
「……愛人にしたい相手はいるのか……」
カシアンがつぶやく。
「……え……」
「そいつにマリエッタの愛人になってくれて頼めば解決じゃないか」
「……は……?」
カシアンが満足そうに微笑む。
「そんな簡単な話じゃないだろう……」
いや、簡単な話だったのか?
お互いが別に好きな人がいて……お互いが好きな相手を愛人に出来たら、それでいいのか?
いや、問題はマリエッタに好きな人がいたってことだ……!
◇
俺はマリエッタを追いかけたが、部屋にも茶室にも庭園にもいなかった。
マリエッタがあまり行かない図書室や厩舎も見に行ったがいない。
修道女になるのはやめたんだから、礼拝堂にいるはずがないと思ったけど、
一応見に行く。
そこにはマリエッタがいた……。
「……お姉様、お兄様のことですけど……愛人を作るなんて条件を受け入れるつもりなんですか……」
マリエッタが俺に気づいて真っ赤になる。
「……そんなこと言えるわけないでしょう……」
マリエッタが真っ赤になった顔を隠して、小さくうずくまってる。
……言えない……けど、言いたい相手はいるってことかー!!
ぜ、全然気づかなかった……。
ずっとマリエッタを見てきたのに……。
「学園の人ですか……」
マリエッタは答えない。
代わりに……
「やっぱり、私は修道女になろうと思います」
そう言うと思ったけど……。
カシアンとの結婚に反対しても、マリエッタに好きな人がいるなら、そいつとの仲を応援するのがマリエッタのためだし……俺はどうしたらいいんだ——!
本当に、いっそ修道女になってくれた方がいい!!
◆◇◆
お父様とお母様は数日仕事で帰って来ないらしい。
カシアンが帰って来たことは伝わっていると思うけど、帰ってくるまではカシアンの提案がどうなるかは分からない。
愛人を作っていいなんて許可するわけはないけど……マリエッタにも好きな人がいるって知ったらお父様はどうするだろう?
お父様は、亡くなった友人への恩を返すためにマリエッタの幸せを優先すると思うけど、公爵夫人になるために好きな人を愛人にするのと、好きな相手と結婚することのどっちを幸せだと考えるだろう?
マリエッタのことを一番好きな俺と結婚させた方がいいって思わないかな……って思うわけないか!?
お互い愛人作って一緒に暮らさず白い結婚をするのと、愛人がいるのに夫の相手もしなきゃいけないって、白い結婚の方がマシじゃないか!?
世界一マリエッタのことが好きな俺が、好き過ぎて一番マリエッタを幸せにできないなんて……!
「クラウス……」
マリエッタに名前を呼ばれた。
「お姉様は自分のクラスに行きますから……」
いつの間にか学園の上級科の入り口をすぎていた。
ここでお互いのクラスに分かれるのは普通のことだけど……マリエッタとここまで手を繋いで来なかった……っ!
本当の弟として不安だからと言えばここで抱きしめて貰えるけど……マリエッタには好きな人がいるのに、抱きしめれ貰っていいのかどうか……。
「……じゃあ、また帰りにね」
マリエッタは行ってしまう。
どこか寂しそうにも見えたけど……。
「クラウス! マリエッタの好きな奴を探すぞ!」
「ぐへ……!」
後からカシアンに服を引っ張られて、喉が締まる。
「な、なんで居るんですか!? 卒業したでしょう!?」
「マリエッタはだいたい学園と公爵家の往復しかしてないんだ。好きな奴が公爵家の者じゃないなら、学園を探すしかないだろう」
俺はカシアンに引きずられてマリエッタの教室の前にいた。
「俺も授業があるんですよ、お兄様」
「一日くらいサボっても大丈夫だろう。マリエッタの好きな奴を見つけるのには俺の一生が掛かってるんだ」
マリエッタの好きな相手には、俺の一生だって掛かってるけど……。
「授業中なんて見ても好きな相手なんて分からないでしょう」
「好きな相手となら授業中に手紙を回したりするだろう」
「は? なにやってるんだよ。授業中だろう?」
「授業中だからやるんだろう……お前がモテないから知らないだけで」
「モテないんじゃない! 学年が違うだけだ!」
マリエッタと同じクラスだったらきっとやってた!
……いや、マリエッタは真面目だからやってくれなかったかもしれない。
マリエッタが授業中に手紙を回すなんてことをするなら、よっぽど好きな相手なんだろう。
「お……!」
カシアンが声を上げる。
見るとマリエッタが前の席の生徒に何か渡してる。
折り畳まれた小さな紙……手紙だ!
俺はマリエッタの手紙の行方を目で追う。
真面目なマリエッタが授業中に手紙を送る相手……好きな人とは、どんな奴なんだ……!
手紙はある生徒の前で止まった——。
——この人がっ!
マリエッタの手紙が開かれて読まれる。
そして、今度は新しい手紙が逆向きに運ばれて行く。
マリエッタは届いた返事を開けて、驚いた後に、ふっと微笑んだ。
とても可愛い……恋する人の顔だった。
——パタッ。
俺は廊下に座り込んだ。
マリエッタをずっと見て来た俺には分かる。
あれがマリエッタが好きな人に向ける顔だった。
あれが……マリエッタの好きな人——。
「……あれが……? マリエッタの好きな人は、女なのか!?」
カシアンが驚いている。
「……」
俺はうなずく。
「……女……なら説得しやすいな! 絶対に結婚できないんだ、愛人になるしかないだろう!?」
カシアンが喜んでいる。
確かに、女性なら結婚出来ないし、カシアンと結婚したマリエッタの愛人になる方が確実に結ばれる。
——それなら……俺でも、俺がマリエッタと結婚してもいいんじゃないか……!?
マリエッタが好きな人と、そもそも結婚できないなら、俺が結婚しても罪悪感を感じないし、マリエッタに愛人として女性の恋人を迎え入れたら夫として心が広すぎないか!?
——昼休み。
俺とカシアンの前のテーブルに大量のケーキが置かれていた。
「なんですか、これは!?」
呼び出された女性が大声を上げる。
『女性に頼み事をするならケーキだ!!』とカシアンが言って用意させたが、昼なら塩っぱいものが食べたい。
でも、女性はシーラといって、ケーキを二、三個皿に取って食べていた。
俺も一つ皿に取った。
「シーラ、君はマリエッタの恋人なんだよな」
カシアンが聞く。
「んなわけないでしょう」
シーラにあっさり否定される。
「は……?」
は……?
「マリエッタの片思いなのか!?」
カシアンが慌てている。
俺も内心であせった。
“マリエッタをずっと見て来た俺には分かる。
あれがマリエッタが好きな人に向ける顔だった。”
って、手紙を読むマリエッタを見て思った俺の立場は!?
「マリエッタには好きな人について手紙で相談されたから返事を書いたんです」
シーラがケーキを食べながら言う。
「だ、誰だ!?」
カシアンが椅子から立ち上がる。
「んー、ケーキをご馳走になったし、教えちゃおうかな……」
シーラも立ち上がって、カシアンとの間に座っている俺の右側に手を置いて、カシアンの耳元に口を向けた。
「マリエッタが好きな人は、公爵家に住んでいますよ」
小さく囁く声が俺にも聞こえた。
「公爵家に……!?」
カシアンが驚く。
俺も驚愕する。
マリエッタが好きな人が公爵家にいる気配など感じなかったけど……。
ただ、不自然な気はしていた。
修道女になりたいなんて、一度諦めた後にもう一度言ったり……。
「……礼拝堂の神父と……」
「神父……か!?」
俺のつぶやきにカシアンが反応する。
「神に祈るだけで何もしてないと思っていたら……やっぱりロクな奴じゃなかったか……!?」
カシアンが怒りに震えているが、神父とカシアンの違いが俺には分からない。
俺とカシアンは神父を問い詰める為に公爵家へ急いだ。
「ケーキはどうするんですかー!?」
シーラの声が聞こえた。
「みんなで食べてくれーー!」
俺が遠くから答える。
「クロイゼル公爵様からの差し入れよーー!」
「きゃー!」
シーラの叫ぶ声と女性たちの歓声が聞こえた。
◇
「クロイゼル公爵家からの差し入れって、どうして!? シーラがなんで知ってるの!?」
マリエッタが、私——シーラの前のケーキの置かれたテーブルの前に来た。
半分以上は持っていかれた後でケーキの種類は少なくなっていた。
「マリエッタの婚約祝いじゃない?」
私が答えるとマリエッタが慌ててる。
「婚約ってお兄様と結婚なんて今さら出来ないわよ」
「だから、マリエッタの好きな人とよ」
マリエッタはため息をつく。
「授業中のシーラとの手紙のやり取りで、自分の気持ちは自覚したけど……だからって婚約なんて、一方的に私が想っているだけなのに……」
目を伏せて悩ましげな様子が同性から見ても可愛いと思えた。
「それはどうか本人に確かめてみたら?」
「そのうちね……」
マリエッタは弱々しく微笑む。
「そんな悠長なこと言ってられないわよ。卒業したカシアン様まであなたの好きな人を探してるのよ?」
「いえ、お兄様のことは放っておいていいわよ、もう」
マリエッタは、一度は婚約を受け入れたカシアン様のことなのに、もうどうでもいいらしい。
「そう思って、クラウス様だけにアレを渡しておいたわ」
「……? アレって……?」
私はマリエッタに耳打ちで教えてあげた。
「な、なんてことをするのよっ!」
マリエッタは真っ赤になって立ち上がる。
「……クラウスに見られる前に取り返さなきゃ……っ!」
マリエッタはケーキも食べずにかけ出した。
◆◇◆
私、マリエッタが公爵家に帰り着くと礼拝堂の方が騒がしかった。
「マリエッタの愛人になるんだ!」
「私は神に仕える身なので……」
神父様がカシアンに詰め寄られていた。
「何やってるんですか! お兄様!」
私が叫ぶとカシアンと神父様、クラウスとメイドたちが一斉にこっちを見た。
「マリエッタはこいつが好きなんだろう?」
カシアンが神父様を指差して言う。
「神父様なんて好きなわけないでしょう!」
何を考えてるの? カシアンは!
「そんなハッキリと言うのは、それはそれで神父様が可哀想……」
メイドたちが言う。
「クラウス……どういうことだ」
「……マリエッタが神父を好きなはずないと思ったんだ」
カシアンとクラウスが話している。
「じゃあ、シーラが言ってた公爵家にいるマリエッタ好きな奴って誰なんだ……やっぱり、俺か!?」
「そんなわけないでしょう。今さらお兄様を好きになる努力なんてしません」
私はカシアンを冷たくあしらった。
——ずっと、カシアンが五歳で私が四歳の時から一緒だった。
「お兄様、こんな高い木は無理です!」
「大丈夫だ! 登って来い!」
妹というよりは弟——子分の様に扱われていた。
私が学園に通う様になる十二歳になって、やっと女の子だってカシアンも分かったみたいだけど……、
「よし、この手紙を侯爵令嬢に届けて来い! 女同士なら受け取ってくれるだろう」
結局は子分のように扱われた。
「よし! よくやった!」
でも、カシアンに褒められたら嬉しいし、ずっとこのまま子分のままの妹でいいと思った。
クラウスとも兄弟でいられるから——。
カシアンと一緒に遊んでいると、追いかけてくる小さな男の子。
コロンッ!
「まっちぇーーっ!」
私たちを追いかけようとして転んで泣いていた。
「メイドたちが来るからクラウスはそのままで平気だ。行くぞ!」
「……うん」
泣いてるクラウスが気になった。
何年か経って、木に登れず困っていると、
「はい、お姉様」
クラウスが手足をついて足場になってくれた。
私はクラウスのおかげで木に登れて、カシアンを追いかけた。
クラウスは一人で木に登れずにいる。
それでも、何度も何度も私がカシアンに置いていかれそうになる時は、クラウスが助けてくれた。
「クラウス、いつもありがとう」
「はい、お姉様の助けになれて良かった」
いつも笑っている可愛い弟——。
——神父様がカシアンに追い詰められていた礼拝堂にクラウスもいた。
クラウスが私を見ている。
その顔は可愛い弟のものじゃなかった。
クラウスは、私を助けてくれる頼りになる人だったけど……カシアンの弟で、私にとっては弟ほどに近い存在じゃない。
「お、お姉様の……好きな人って……」
クラウスは、シーラからアレを受け取ってまだ読んでないみたいだった。
私はホッとする。
でも、どうやってクラウスから取り戻そう……。
『クラウス様の右の胸のポケットにマリエッタから貰った手紙を入れておいたわ』
って、シーラは言っていて……少しだけ手紙がクラウスの胸のポケットからのぞいてる。
クラウスに気づかれずに、ポケットから手紙を取るなら……抱きしめた時に抜き取るとか。
かあぁっと顔が熱くなる。
本当の弟なんだから抱きしめてもいいはずだけど……手紙の内容を考えたら……。
「お姉様……思い出し赤くなるって、好きな人って誰なんですか!?」
クラウスは気づいてないけど……。
『シーラ、どうしよう!? クラウスは弟のはずなのに、本当の弟になってくれて嬉しいはずなのに……! 抱きしめたら、思っていた弟と違うの! クラウスのこと全然、弟だと思えなくなって、でも、愛人になってなんて言えない!!』
『なんで愛人!? 落ち着いて、マリエッタ! まずはクラウス様と恋人になって結婚すればいいだけでしょう』
もう、私は完全にクラウスを男の人だと思ってるのに、私を姉だと思って慕ってくれてるクラウスの気持ちを利用して抱きつくのは抵抗がある。
——でも、クラウスの身体を抱きしめるとすごく幸せだから——。
ゆっくりでいいから私を異性として見て欲しい。
それでダメなら修道院に行きます。
今は姉という立場を利用させて——。
「クラウス、お姉様のことは心配しなくていいけど……」
「あ、クラウス、胸のポケットになんか入ってるぞ」
私が話してるのにカシアンがクラウスに話しかける。
クラウスが胸ポケット手紙に気づいてしまう——。
「なんだこれ——」
私はクラウスが手紙を開き切る前に、全力でその場を逃げ出した。
◆◇◆
俺、クラウスは胸ポケットに入っていた手紙を開いて読んだ……。
マリエッタがシーラに授業中に渡していた手紙だ——。
『クラウスのこと全然、弟だと思えなくなって、でも、愛人になってなんて言えない!!』
——マリエッタの字で……俺を愛人にしたいと書いてあって……。
マリエッタの好きな人って——俺だっ!
気づいたのに、さっきまでそこにいたマリエッタが幻のように消えていた。
「なんて書いてあったんだ?」
カシアンの質問には答えずに、俺は走りだした。
◇
玄関ホールの階段を登って自室に戻ろうとするマリエッタを見つける。
「マリエッタ……!」
俺はお姉様と取り繕って呼ぶのも忘れていた。
「……クラウス……っ!?」
マリエッタは真っ赤になって階段を駆け上がって自室に向かう。
俺は追いかけた。
——そして、マリエッタの部屋の扉の前で捕まえた。
扉に手をかけたマリエッタの手を俺の手が包んでいた。
「クラウス……」
マリエッタが俺の胸ポケットに再び入れられている手紙を見る。
小さく折り畳まれていたのが、開かれてラフに二つ折りになって突っ込まれて、読まれた後なのは明白だった。
「それは……ちょっと大袈裟で……愛人なんて……」
マリエッタが言い訳しながら俺の目を見た。
俺は、マリエッタの手紙が嬉しくて、やっと自分の気持ちを受け入れて貰えると思うと、鋭くマリエッタを見つめていた。
「……ごめんなさい……修道院へ行きます」
マリエッタが俺から目を逸らして小さくなって言う。
「……な、なんで!?」
俺は慌てて言う。
「俺もマリエッタのことは姉だなんて思ったことなかったよ。ずっと一人の女性として好きでした!」
マリエッタが顔を上げて俺を見るけど、
「本当の姉だと思っるって……」
「……マリエッタが本当の弟なら、抱きしめてくれるって言うから——」
今度は俺がマリエッタから目を逸らした。
「う、嘘だったの!?」
「はい……」
マリエッタが下を見てしばらく考えて、笑った。
「そんな可愛いことをする人は、やっぱり弟かもしれない——」
マリエッタが俺を抱きしめる。
でも、もう弟にするのとは違って、甘えるみたいに、俺の胸にマリエッタの顔があった。
「マ、マリエッタ……っ?!」
「クラウスは……ずっと、お姉様のことを名前で読んでいたのね」
バレてしまった……。
俺はギュッとマリエッタを抱きしめる——。
「おめでとう」
「おめでとう」
いつの間にか、メイドや神父様、カシアンが俺たちを半円形に囲んで祝福していた。
「良かった……! クラウス様の気持ちが通じて……!」
「健やかなるときも、病めるときも、これを愛し、これを助けることを誓いますか?」
神父様がノリが良かった。
「ありがとう……!」
俺は感激して涙を堪えて礼を言った。
マリエッタも俺の腕の中で嬉しさに泣いていた。
「それじゃ、マリエッタと俺が結婚して、クラウスがマリエッタの愛人になるで決まりだな!」
カシアンが空気を読まず言う。
「「「んなわけないでしょうっ
!!!」」」
◇
お父様とお母様が帰ってくるとカシアンは正式に公爵の後継から外され、俺が公爵の後継になった。
「どうして!? 俺がマリエッタと結婚すると言っているのに!?」
カシアンが勝手な事を喚いたが、
「今さら何を言ってる」
と言うお父様の一言で決着が着いた。
「……最初に勝手にマリエッタと俺を結婚させようとしたのはお父様だろう!?」
「それでも、話し合いもせずに出て行くのはお前が悪いだろう。……ただそう言う奴に向いている仕事がある」
「は?」
カシアンは王宮の文官として危険地帯の調査員になって国中を屈強な騎士たちと飛び回っていた。
死にかけた話を何度も手紙で送ってくる。
実際に会うと、辛そうにげっそりしているが、身体はピンピンしていて、天職なのかもしれない。
伯爵令嬢は公爵家の跡取りじゃなくなったカシアンのことも見捨てずに『愛人くらいにはしてあげる』と言ってるらしい。
「カシアンに言われて伯爵令嬢に手紙を届けたことがあるけど、とっても良い人よ」
マリエッタが笑って言う。
◇
俺とマリエッタは姉と弟ではなく婚約者同士として学園に通う。
手をつないで学園につくけど、前みたいに抱き合うことができない。
もう前から姉弟だとは思われてなかっただろうから、こだわってるのは実はマリエッタだけだけど……。
「……」
何か言いたそうにマリエッタが俺を見て、顔を逸らした。
「じゃあ、帰りにまたね……」
マリエッタが自分のクラスに行ってしまう。
俺とマリエッタは、婚約者同士になった方が距離が遠い。
——けど、戻ってきた。
「帰ったら、いっぱい抱きしめてくれますか……」
小さな声で囁く。
「はい……」
俺も真っ赤になって答えた。
マリエッタと部屋でずっと抱き合えるの……楽しみすぎる……!




