かつては伝説、今は胃痛
この作品は、老舗ホストクラブ《PC館》と《スマホ館》をを舞台にした人間ドラマです。
シリアスあり、コメディあり、ちょっと不思議なキャラも出てきます。
気が向いたら更新するため気軽に読んでもらえたら嬉しいです。
夜の街の奥、ひときわ重厚な扉がそびえ立つ。
そこが、ホストクラブ《PC館》——古参の客が通い続ける、格式高い“本館”だ。
店内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、
赤と黒を基調にしたクラシックな内装。
壁には薔薇の装飾、天井には古いシャンデリア。
新設されたスマホ館のような軽さは一切なく、
「ここは歴史と伝統の店だ」と空気が語っている。
フロアの中央では、
白いスーツにプラチナのリンゴのエンブレムを胸に飾った男が、優雅に客をもてなしていた。
PC館の絶対的王者——アップル王子。
その姿は、まるで完璧にデザインされた最新機種のように隙がない。
一方、フロアの隅。
バックヤードへ続く扉の前で、
40歳の中年ホスト・勝堂勝が胃を押さえてうずくまっていた。
「……胃が……胃が痛ぇ……」
かつては“伝説のカリスマホスト”と呼ばれ、
PC館の頂点に立った男。
だが今は見る影もなく、
新規客はアップル王子に流れ、
勝堂は昔からの固定客に頼って細々と売上を積む日々。
売掛の取り締まりが厳しくなった今でも、
売掛に頼らざるを得ない自分が情けない。
そんな勝堂をさらに追い詰めるのが、
同僚ホストの猫丸。
胸元の開いた派手シャツから胸毛を覗かせ、ミラーサングラス越しに薄く笑う男。
強引な営業と売掛勧誘でトラブルを量産する悪徳ホストだ。
今日もまた——
「お姉さん、売掛でいいっすよ。ね? ね?」
「やめろ!猫丸!」
勝堂の胃が、きゅうっと締め付けられる。
お姉さんは気まずそうに視線をそらし、そっと席を立った。
帰り支度をする客がひとり、静かに扉を閉めて店を出ていった。
猫丸は不思議そうな顔をする。
その直後だった。
——コツ、コツ、コツ。
場違いなほど重厚な足音が、PC館のフロアに響く。
振り返ると、そこに立っていたのは、
身長140cmほどの、小柄な男。
いや、男というより“ペンギン”だ。
黒光りするドン仕様のスーツ。
胸元には金のタイピン。
短い足で歩いているはずなのに、
なぜか誰よりも威厳がある。
PC館とスマホ館、両方を統べる最強のオーナー——
tuEX。
「勝堂君、ちょっといいかな?」
その声は低く、静かで、逆らえない重みを持っていた。
勝堂勝の背筋が、ぞくりと震える。
ついに——
ついに呼び出されてしまった。
バックヤードへ向かう途中、
勝堂は胃を押さえながら、かすれた声でつぶやく。
「どうして……どうしてこんなことに……」
タックスは、勝堂の前に立つと、
短い腕を組み、淡々と告げた。
「勝堂君。売掛の取り締まりが厳しくなっているのは知っているね。
……もう、辞めてもらいたいんだ。君の代わりならいくらでも居る」
その言葉は、氷のように冷たく、
勝堂の胸に突き刺さった。
反論したい。
言い返したい。
まだやれる、と叫びたい。
でも——
言葉が出ない。
勝堂はその場に膝をつき、
胃を押さえながら、ただうずくまるしかなかった。
「……っ……」
かつて“伝説のカリスマホスト”と呼ばれた男の姿は、
そこにはもうなかった。
タックスの冷たい言葉が、勝堂の胸に突き刺さったその瞬間——
「見限るのは、まだ早いですよ」
澄んだ声が、静かなPC館の空気を切り裂いた。
振り返ると、
白いスーツにプラチナのリンゴのエンブレムを胸に飾った男が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
完璧な立ち姿。
完璧な微笑み。
そして、完璧な存在感。
PC館の絶対的カリスマ——
アップル王子。
タックスに唯一意見できる、ただ一人のホスト。
王子は勝堂の前に立ち、静かに言った。
「彼を失うのは、このPC館にとって最大の損失です」
その言葉に、タックスの目がわずかに見開かれる。
驚きが隠せない。
ゆっくりと、アップル王子へ視線を向ける。
「……なぜなんだい? 王子」
タックスの問いは短く、しかし重い。
アップル王子は微笑みを崩さず、静かに答える。
「それは少し長い話になります。
お客さんを待たせてはいけません。
持ち場に戻りなさい、勝堂さん」
勝堂は、しばらく言葉を失っていた。
胃の痛みはまだ続いている。
でも、王子の言葉に逆らう理由はない。
「……ああ……」
かすれた声で返事をし、
勝堂はふらつきながら、元いたフロアへと戻っていった。
背中は小さく、
かつて“伝説のカリスマホスト”と呼ばれた男の面影は、
そこにはほとんど残っていなかった。
PC館の奥にある、重厚な扉の向こう。
タックスとアップル王子、二人だけの静かな部屋。
タックスは椅子に腰掛け、短い足を組みながら王子を見上げた。
「……で、王子。
どうして勝堂君を庇うんだい?」
アップル王子は壁にかかった古いシャンデリアを一度見上げ、
ゆっくりと息を吐いた。
「少し……昔の話になります」
タックスの眉がわずかに動く。
王子が“昔話”をするのは珍しい。
王子は静かに語り始めた。
王子がこの業界に足を踏みいれたばかりの頃、当時のPC館は、今とはまるで違っていた。
フロアの中心に立つのは、
若く、勢いがあり、誰よりも輝いていた男——
勝堂勝。
その人気は圧倒的で、
どれだけ努力しても、
どれだけ接客を磨いても、
アップル王子は勝堂の背中すら見えなかった。
「努力しても、結果が出ない……
そんな日々でした」
王子は苦笑する。
だが、そんな王子に、勝堂はある日ふと声をかけた。
勝堂は王子の肩を軽く叩き、
いつもの飄々とした笑みで言った。
「王子。
俺たちの仕事は“夢”を売る仕事だ。
でもな、夢だけじゃ人は金を払わねぇ。
安心して任せられるって思わせた奴が、最後に勝つんだよ。
信用ってのは、派手さより強い武器だ」
その言葉は、王子の胸に深く刺さった。
それからアップル王子は、勝堂の言葉を胸に刻んだ。
「安心して任せられると思わせた奴が、最後に勝つ」
その一言を軸に、王子は動き始めた。
まず手をつけたのは、料金だった。
どのコースがいくらなのか。
延長はいくらなのか。
指名料、ボトル、オプション——
それらをすべて整理し、誰が見ても一目で分かるようにした。
次に、システムだ。
入店から退店まで、客がどんな流れで時間を過ごすのか。
不安に思いそうなポイントを洗い出し、
その場で説明できるように、言葉を何度も練り直した。
メニュー表は何度も作り直された。
文字の大きさ、配置、説明文の長さ。
スタッフにも配り、
「この説明なら、お客さんは不安にならないか?」
と何度も確認した。
フロアに立つときも、
王子は必ず最初に料金とシステムを簡潔に伝えた。
「ここは安心して楽しめる場所だ」と、
言葉と態度で示し続けた。
そうして、一日、また一日と過ぎていく。
PC館の空気は、少しずつ変わり始めていた。
料金について質問する客は減り、
「分かりやすくて助かる」と笑う客が増えた。
スタッフたちも、以前より堂々と接客できるようになっていた。
そんなある日の出来事だった——
PC館の重厚な扉が、
ドンッ、と乱暴に開かれた。
入ってきたのは、
黒いコートを羽織った、いかにも“悪そうな”二人組の警察官。
胸元のバッジだけが、彼らが本物であることを証明している。
「取り調べだ。責任者を呼べ」
低く、荒い声がフロアに響く。
どうやら、悪質な売掛被害に遭った女性がいるらしく、
警察は急激に売り上げを伸ばしているアップル王子に目をつけたらしい。
だがその日は、
ホストクラブ《PC館》は休日だった。
店内にいるのは——
勝堂勝、ただ一人。
薄暗いフロアに、勝堂の影がひとつだけ落ちている。
警察は簡潔に用件を述べると、
「アップル王子が来るまでここで待つ」と勝手に腰を下ろした。
勝堂は伝説のカリスマホストだった。
だが、相手が“警察”となると話は別だ。
強気に出られるはずもなく、
ただ、客用ソファーにふんぞり返る二人を見守るしかなかった。
しかし——
その警察の態度が、あまりにも悪かった。
「あのアップル王子ってやつ、急に売り上げ伸ばしてんだろ?」
「どうせ裏で汚ねぇことしてんだよ」
勝堂の表情が固まる。
その時、フロアの奥。
重い扉が、わずかに軋む。
だが、警察も勝堂も気づかない。
静かに、影のように戻ってきた男がいた。
アップル王子。
王子は声を発さず、
ただ二人の警察と勝堂をじっと観察していた。
扉の影に身を潜め、
警察と勝堂のやり取りをじっと見つめていた。
だが——
王子はすぐには出ていけなかった。
王子は、ああいう“力で押してくる相手”が苦手だった。
警察は止まらない。
一人がテーブルに置かれたメニュー表を手に取った。
一人がテーブルに置かれたメニュー表を手に取った。
アップル王子が一か月かけて作り上げた、
“安心して楽しめる店”の象徴ともいえるメニュー表だ。
「なんだよこれ……」
「“これ以上の料金は頂きません”……? はあっ?」
警官は嘲笑い、
吸っていたタバコをメニュー表に押しつけた。
ジュッ……と嫌な音が響く。
その瞬間——
勝堂の表情が変わった。
怒り。
燃えるような怒り。
“伝説”と呼ばれた男の目が、
ほんの一瞬だけ、鋭く光った。
「……なんだって……?」
低く、震える声。
警官は驚き混じりの顔で振り返る。
「ああ……?」
勝堂の怒りは、
我をに忘れるほど強かった。
警察は勝堂の怒りに気づかず、
さらに挑発するように言い放つ。
「はあ? なんか文句あるのか?」
勝堂の目は、完全に怒りに燃えていた。
警察は鼻で笑いながら続ける。
「お前のところの王子が汚ねぇ商売してるのが悪いんだろ、なあ!?」
もう一人の警官も、ひひっと下品に笑う。
その瞬間——
勝堂の中で、何かが切れた。
拳を握りしめ、
肩が震え、
大きく振りかぶる。
「うちの……王子が……」
アップル王子の目が見開かれた。
「!!」
勝堂が殴りかかる、その瞬間——
王子は影のような速さで飛び出した。
勝堂の拳が振り下ろされる。
「んなことする訳ねーだろ!!」
勝堂の叫びと同時に、
アップル王子が警察の前に滑り込み、
その拳を自らの体で受け止めた。
「!!?」
勝堂の目が大きく見開かれる。
アップル王子は、静かに言った。
「いけません……」
その声は、怒りでも恐怖でもなく、
ただ勝堂を諭すような、
優しい声だった。
アップル王子が勝堂の拳を受け止めたことで、
場の空気は一瞬で凍りついた。
警察は驚き、勝堂は呆然とし、
王子だけが静かに息を整えていた。
その後、事情を確認した結果——
すべては警察の誤解だった。
悪質な売掛被害に遭った女性は、
別の店の客であり、
アップル王子とは何の関係もなかった。
だが、警察は謝らなかった。
「……まあ、間違いだったみたいだな」
それだけ言い残し、
二人の警官はふてぶてしい態度のまま店を出ていった。
勝堂は拳を握りしめたまま、
悔しさと怒りで震えていた。
もし王子が止めていなければ——
勝堂は本当に殴っていたかもしれない。
そして、すべてを失っていた。
アップル王子は、
勝堂の拳を受けた腕をそっと押さえながら、
静かに微笑んだ。
「……何事もなく済んで、よかったです」
その言葉に、
勝堂は何も言い返せなかった。
王子は語り終えると、姿勢を正し、静かに言った。
「……あの時、勝堂さんは私のために戦ってくれました。
私にとっては今でも、あこがれの存在です」
タックスは短い足を組み替え、じっと王子を見つめる。
「でも売掛はしてただろう?」
王子は一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。
「ええ。
でも、それは彼の本意ではありません。
彼は……追い詰められていただけです」
タックスはしばらく黙り込んだ。
その沈黙は重いが、怒りではない。
やがて、タックスは小さく息を吐いた。
「……王子が言うなら、仕方ない」
アップル王子の肩がわずかに緩む。
安堵が表情に滲む。
だが——
「だが条件がある」
その一言で、王子の表情が再び引き締まった。
「……条件、ですか」
タックスは部屋の奥へ視線を向けた。
「巣立。来てくれ」
その名を呼ばれた瞬間、
部屋の奥のソファーで丸くなっていた少年が、
ぴょこんと立ち上がった。
少年は黒いスーツに身を包み、
背中からは小さなペンギンのようなしっぽが生えている。
どこか愛らしく、しかし妙に“只者ではない”雰囲気をまとっていた。
巣立はゲーム機を握ったまま、
むすっとした顔でタックスに歩み寄る。
「パパぁ? なんですかー?
ボク、今いいところなんですよー?」
タックスは息子の頭を軽く叩いた。
「勝堂に新人教育を頼みたい」
その言葉に、アップル王子は静かに驚いた。
こうして——
PC館の未来を揺るがす、新たな試練が動き出した。




