第7話「駅前の影」
駅前に近づくにつれて、
夕闇は完全に夜へ変わり、
街の光だけが足元を照らしていた。
ひまりの手はまだ震えていた。
その震えを隠すように、
陽斗の手をそっと握り返す。
「歩く速度、合わせなくていいよ。
ゆっくりで」
陽斗の声は静かで、
ひまりの不安を吸い取るようだった。
駅前ロータリーに差しかかると、
ひまりの足が止まった。
「……あそこ」
ひまりの視線の先。
街灯に照らされたベンチの横に、
三つの影が立っていた。
茶色のジャケットの男、
短髪の少年、
そして……フードを深くかぶったひとり。
――晃斗では、ない。
ひまりの喉が詰まる。
「ひまりの同級生……?」
「……うん。中学のとき、晃斗くんと一緒に……いた子たち」
陽斗はひまりの手を握り直し、
ゆっくりと歩き出した。
影のひとつ、ジャケットの男が口角を上げた。
「おー……来たじゃん。ほんとに来るとは」
陽斗はひまりを後ろへ下がらせ、
その前に立った。
「メッセージ送ったの、君?」
「そうだよ。
晃斗がひまりと連絡とれなくてさ、
“お前ら見てこい”って言われて。
……で、見てみたら、知らねぇ男と一緒にいるじゃん?」
茶色のジャケットの男は陽斗を上から下まで眺め、
バカにしたような笑みを浮かべた。
「なるほどねぇ……ひまりも趣味変わったなぁ」
ひまりが震えた。
陽斗はゆっくり息を吸う。
「用件を言ってくれない?」
男は肩をすくめた。
「用件?
そりゃひまりに決まってんじゃん。
“逃げんなよ”って話だよ。
昔からずっとそうだったしな?」
ひまりの表情が固まり、
唇が白くなっていく。
陽斗は一歩前に出た。
「……逃げていいよ」
その一言で、ひまりの目が大きく揺れた。
「は? 何言ってんの?」
「ひまりは逃げていい。
逃げなかったから、こんなに傷ついたんだよ」
ジャケットの男が苛立って笑った。
「おいおい……お前が決めんなよ。
ひまりのことは“俺ら”が一番知ってんだよ」
陽斗の声が低くなる。
「知ってる?
泣きたくても泣けなかったことも?
怖くても言えなかった理由も?
――全部、君たちのせいでしょ」
男の表情が険しくなる。
「……なんだお前。
あいつ、何言ってんだよ」
ひまりが、陽斗の背中にすがりつくように掴んだ。
震えて、声が出ない。
陽斗は振り返らず、
ひまりの手をそっと握るだけに留めた。
「あの日からひまりがどれだけ苦しんだか、
君たちは知らない。
……知ろうともしなかった」
ロータリーの風が吹き、
ひまりの髪を揺らす。
男たちは互いに視線を交わし、
鼻で笑った。
「はは……ひまり、言ったの?
そんな“被害者ぶった”話」
ひまりの胸が大きく震えた。
その震えを見て、陽斗ははっきり気づいた。
――これは、罪悪感でも、弱さでもない。
今まで押し込めてきた“恐怖”そのものだ。
陽斗はひまりの手を、強く、しかし優しく握った。
「ひまり」
ひまりが涙のにじむ目で陽斗を見る。
「逃げていい。
逃げなくていい場所に、俺が連れていく」
ひまりの息が詰まり、
声にならない嗚咽が零れた。
その瞬間、ジャケットの男が一歩前に出た。
「お前らさ、調子乗んなよ?」
陽斗の足が止まり、
ひまりを背に隠すように立つ。
「ひまりは“俺らのこと”が嫌いなんだよ」
男の顔が歪む。
「でもな、嫌いでも逃げんなって話だろ?
人間関係ってのはよ、向き合ってなんぼ――」
「向き合うべき相手と、
向き合わなくていい相手がいる」
陽斗の言葉ははっきりしていた。
「……ひまりは、もう十分苦しんだ。
だから今日で終わりにする」
男たちが沈黙する。
その静寂の中、
ひまりが震える声で言った。
「……もう……私……行かない……」
男たちが一斉にひまりを見る。
ひまりの声は弱く、
でもはっきりしていた。
「あなたたちと……話すことは何もないの……
もう、終わりにしたいの……」
陽斗はひまりの肩に手を置き、
ほんの少し引き寄せた。
男たちの顔から笑みが消える。
「――やっぱ行くぞ、晃斗のところに」
ひまりの呼吸が一瞬で荒くなる。
「待てよ。
晃斗が“直接会う”って言ってたしな」
その言葉を聞いた瞬間、
ひまりの体が完全に固まった。
陽斗の胸に、かつてない怒りが湧く。
「晃斗には連絡しないで。
ひまりにはもう関係ない」
「関係あるに決まってんだろ!」
男が怒鳴った瞬間、
ひまりが怯えて陽斗の腕にしがみついた。
その涙に、陽斗の決意は固まる。
「晃斗のところへは――
俺が行く」
ひまりが顔を上げた。
「だめっ……陽斗くん……!」
陽斗はひまりの頭に手を置くようにして言った。
「ひまりは来なくていい。
俺が全部終わらせる」
男たちは一瞬驚いたが、すぐに薄ら笑った。
「お前一人で来いよ。
場所は後で送るから」
「分かった。
でもその前に――」
陽斗はひまりの肩を抱き寄せ、
彼女が震えを抑えられるよう支える。
静かな声で、だけど突き刺さるように言った。
「二度とひまりの前に現れるな」
男は舌打ちして背を向け、
二人の前から去っていった。
残された静けさの中、
ひまりの涙だけが静かに落ちていた。
「……どうして……どうして一人で行くの……?」
陽斗はひまりの頭をそっと撫でた。
「一人じゃないよ。
ひまりが待ってる場所があるから、
俺は強くなれる」
ひまりの肩が震える。
「……行かないで……」
「大丈夫。
ひまりを悲しませるようなことはしない」
ひまりは泣きながら陽斗の胸に顔を埋めた。
「……陽斗くんがいなくなったら……
私もう、立てないよ……」
陽斗はそっと彼女の背に手を回した。
「帰ってくるよ。
絶対に」
その言葉は、
ひまりの心に深く刻まれた。
駅前の光が滲んで、
ひまりの涙で揺れている。
遠くで電車の音が響いた。
――すべてを終わらせる夜が始まろうとしていた。




