第4話 「夕暮れの交差点で、ひまりは震えていた」
校門を出ると、足がすくむほどの怖さが胸を締めつけた。
それでも歩き続けた。止まったら、全部が崩れてしまう気がした。
スマホに残る短い言葉が視界に焼きつく。
『今日こそ、話せよ』
どれだけ読んでも、この文字の冷たさは変わらなかった。
交差点にたどり着くと、街灯の下に灰色のパーカーが立っていた。
背の高い影が、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。
「……久しぶり」
「よう、ひまり。逃げずに来たな」
その声だけで、足元が揺れた。
中学から続く痛みが胸に蘇る。椎名晃斗。
晃斗はひまりを上から覗くように笑った。
「この前の話、まだ答えてねぇよな?」
「……もうやめてよ。そういうのじゃないって……」
「“そうじゃない”な。
でもさ、俺は見たんだよ。
泣きそうなのに、大丈夫って笑ってるひまり」
喉が詰まる。
幾度となく言われ続けた“泣くなよ”が頭をよぎる。
「で、昨日の男は誰だよ。隣歩いてたやつ」
心臓が強く跳ねた。
「クラスメイト……それだけだよ」
「へぇ。じゃあ泣き顔見られてもいいんだ?」
息が止まった。
それだけは嫌だった。
泣き顔だけは、あの人にだけは見られたくない。
晃斗の指先がひまりの手首に触れようとした、その瞬間だった。
「……佐伯さん」
夕暮れの空気の中、静かな声が届いた。
息を整えながら、相沢陽斗が立っていた。
迷っている顔じゃない。来ることを決めて走ってきた目だった。
「どうして……」
「行くなって言われたら、行くだろ」
ひまりの横に立つと、晃斗に向き合う。
「誰だお前」
「相沢陽斗。佐伯さんのクラスメイトです」
揺らぎはなかった。
「クラスメイトがここに何しに来た?」
「佐伯さん、泣きそうだったんで」
晃斗が鼻で笑う。
「泣きそう?俺は別に——」
「あなたにじゃないです」
晃斗の声が途中で止まる。
「佐伯さんは、“ここへ来ること”が怖くて泣きそうだったんです」
ひまりの肩が震える。
「佐伯さんは強いです。
泣きたいときも、それを誰にも見せない。
……でも、それを“ここで話すために”我慢させるのは、見ていられません」
晃斗が苛立つように舌を鳴らした。
「で?ひまりの何だよ、お前は」
陽斗はひまりを一度だけ見て、まっすぐ言った。
「ただのクラスメイトじゃ、もういられない人です」
胸の奥が熱くなり、涙が溢れた。
「……そんなこと」
「言ったよ。思ったことだけ言った」
晃斗は舌打ちして背を向けた。
「……めんどくせぇな。
今日は帰るわ。また後日だ」
ひまりのことを見もしないまま、晃斗は去っていく。
残された空気に、ひまりのかすかな震えだけが残った。
「……大丈夫?」
小さな声に、ひまりは必死に涙を拭った。
けれど拭っても拭っても、溢れてくる。
「大丈夫じゃないよ……」
喉が震える。
「どうして来てくれたの……」
「行かない理由なかったよ」
その言葉が胸に刺さる。
「……陽斗くんのせいだよ」
「え?」
「そんなこと言われたら……泣かないでなんて無理だよ……」
胸の奥を押さえ、声を震わせる。
「名前呼ばれるだけで泣きそうなのに……
守ってくれるみたいなこと言われたら……
もっと泣いちゃうよ……」
涙が頬を伝って落ちていく。
「……陽斗くんの前だと、
強がれなくなっちゃうんだよ……」
陽斗はそっと一歩近づいた。
手を伸ばさず、触れない距離で。
「泣いていいよ。
隣にいるから」
ひまりは唇を噛んでいたが、
次の瞬間、こらえていた涙が溢れた。
夕暮れの交差点。
桜の花びらがゆっくり舞い落ち、
ひまりの涙が地面に落ちて滲んでいく。
陽斗は静かに見ていた。
その涙が、どれほど強い人が流す涙かを、
痛いほど分かっていた。
ひまりを泣かせる世界を、
もう二度と許さないと胸に誓った。




