第8話「ひまりの過去」
晩の冷たい空気が肌を刺す。
駅裏の駐車場はほとんど人がいない。
街灯の少ないその場所へ、陽斗はひとり歩いていった。
ひまりを家まで送り届け、
泣きはらした顔を見ないように、
陽斗は強い顔だけ見せて背を向けた。
――会わなきゃ、終わらない。
その思いだけで足を進める。
駐車場の奥に、三人の影があった。
先ほどの男たち、そして――
真ん中に、グレーのパーカー姿。
フードを軽く下げ、陽斗をまっすぐ見据えている。
晃斗。
近づくにつれて、陽斗は胸の奥を焼かれるような感覚を覚えた。
晃斗の視線は鋭く、
けれどどこか寂しさのようなものが滲んでいた。
「……お前が相沢陽斗?」
「そうだよ」
晃斗はゆっくり歩み寄り、
距離を詰めた。
「ひまりは?」
「家にいる」
「なんで連れてこねぇんだよ」
「連れてくる必要ないだろ。
ひまりはもう会いたがってない」
晃斗の表情が一瞬で変わった。
「……逃げんなって言ったよな、あいつ。
アイツは逃げ癖ついてんだよ。
昔から」
陽斗は拳を握った。
「逃げ癖じゃない。
“逃げたいほど追い詰めた”だけだ」
晃斗が陽斗の胸倉を掴んだ。
「お前、何も知らねぇだろ!」
「知りたいって言ってるんだよ!」
晃斗の手が止まる。
陽斗の叫びが、夜の空気を震わせた。
「ひまりがどれだけ泣きたかったか、
怖かったか、
どれだけ“一人だった”か……
全部話してくれよ」
晃斗は力を緩め、
掴んでいた手を陽斗の胸から離した。
沈黙が落ちる。
晃斗はゆっくりと視線をそらし、
低い声で呟いた。
「……泣くなよ、って言ったのは……
アイツが泣くと、俺……
どうしていいか分かんなくなったからだよ」
陽斗は息を呑む。
「教室で泣いてたとき……
俺、近づくしかできなかった。
でも近づくと、もっと泣くんだよ」
晃斗の声が震え、
拳が震えているのが分かった。
「……俺はひまりが泣くのが怖かったんだよ。
どうしたら笑ってくれるかも分かんなくて……
ただ、そばにいたかっただけなんだよ……!」
その声は怒りではなく、
悲しくて、どうしようもなく不器用な叫びだった。
陽斗は息を整えた。
「だったら……どうして追い詰めたんだよ」
晃斗は顔を歪めた。
「……追い詰めたくなんてなかった。
ひまりが俺から距離置くから……
理由を知りたかっただけだ……」
「理由って……
ひまりがどれだけ苦しんでたか、
本当に分からなかったのかよ」
晃斗の肩が揺れた。
「……分かんなかった。
俺、ひまりの泣きそうな顔しか見てなかったから。
あれが“助け求めてる顔”だったなんて……
思いもしなかった」
晃斗の声から力が抜けていく。
「ひまり……俺が怖かったのかよ……?」
陽斗は晃斗を見つめた。
この男は、加害者であり、
しかし同時に“ひまりを知らなかった少年”でもあった。
「怖かったよ。
でも、今ならまだ……変われるだろ」
晃斗は唇を噛み、
地面を見つめた。
しばらくして、晃斗は顔を上げた。
「俺……ひまりに謝りたい」
陽斗の胸が少し痛んだ。
「直接言いたい。
最後にひとことだけでいいから……
聞いてほしい」
陽斗は迷った。
ひまりの心がどれだけ傷ついてきたか、
陽斗はこの数時間だけで痛いほど知った。
でも――
ひまりが本当に前へ進むためには、
必要な言葉がある。
陽斗は大きく息を吸った。
「……明日、学校の帰り。
約束する。
俺も一緒にいる。
そのときに、ひまりに言ってくれ」
晃斗は静かに頷いた。
「……俺も、変わらなきゃいけないんだよな」
夜風が吹き、晃斗はフードを深くかぶった。
「相沢」
「なんだ」
「ひまりを……ちゃんと守ってやれよ」
陽斗は真っ直ぐに答えた。
「最初からそのつもりだよ」
晃斗は目を細め、小さく笑った。
「……負けたわ」
その言葉を残し、晃斗は夜の闇へ消えていった。
残された静寂。
陽斗はポケットからスマホを取り出し、
ひまりにメッセージを送る。
『話は終わった。
すぐ帰るよ』
送信した瞬間、
スマホが震えた。
ひまりからの短いメッセージ。
『……怖かった』
胸がぎゅっと締めつけられる。
『もう大丈夫。
明日、全部終わらせよう』
返ってきたのは、
たった一言。
『待ってる』
夜空を見上げた陽斗は、心の奥で静かに誓った。
――ひまりの涙は、もう二度と俺が見逃さない。
物語は、決着のときを迎えようとしていた。




