表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だから僕は普通に音楽がしたい。  作者: Kei-ichi
第一章 桜の木の下から
8/26

欠陥品


僕は、弾いてしまった。

 小さな指でEコードを押さえ、弦がビリビリ鳴って挫折しかけた。でも何故かFコードでも泣きはしなかった。センスがあったんだと思う。指先がすっと慣れていって、思ったより早く、まともな音が鳴るようになった。


 気づけば弾き語りができるようになり、学芸会や文化祭では「夏樹にやらせればいい」みたいに名前が挙がった。

 ……ただし、それは“普通に上手い”という範囲。天才でも神童でもない。大会で賞を取るでもなく、オリジナル曲を配信するでもない。友達に「すげぇ!」って言われて照れ笑いする程度の実力だった。


 それで充分だった。僕は「普通に音楽が好き」だったから。

 ところが――父はそれを許さなかった。



---


 高校一年のある晩、言い合いになった。

 原因は小さなものだった。僕が「もっと普通にやりたい」と漏らしたとき、父の表情が凍った。


「普通? 音楽に“普通”なんてあるか!」


 父の声は、怒鳴り声というより悲鳴に近かった。

 普通でいい、と言うことが、父にとっては過去の敗北をなぞるように聞こえたのだろう。自分が叶えられなかった夢を、息子にまで潰されたくなかったのかもしれない。


 けれど、僕にとっては「普通」こそが唯一の希望だった。派手な夢や喝采は望んでいない。仲間と笑って、適度に弾ければそれでいい。そう願っただけだったのに。


 その夜、父は吐き捨てた。


「お前は欠陥品だ」


 ……言葉のナイフは、心の奥の柔らかいところに突き刺さる。

 僕は家を飛び出し、二度と戻らなかった。



---


 母がこっそり支援してくれた。

 父に内緒で、東京の親戚を頼り、転校先を探してくれた。

 僕は東京都中野区、丸ノ内線・方南町駅から徒歩十分の古びたアパートに住むことになった。六畳一間、押し入れと小さなキッチン。ベランダからは灰色のビルが近すぎるくらいに迫っていて、空は狭かった。


 家賃は母が出してくれた。電気・水道・ガスはアルバイトで払った。

 自炊も洗濯も掃除も、全部初めて。最初は楽しかった。自由の匂いがした。

 でも――夜になると、部屋の静けさに押し潰されそうになった。ギターを鳴らせば苦情が怖い。スマホの光だけが広がる部屋で、「普通」という言葉を何度も唱えた。



---


 それでも、音楽をやめようとは思わなかった。

 ギターを抱える時間は、やっぱり落ち着いた。

 ただ、父みたいに夢に狂いたくはなかった。狂った末に、家族を傷つけることになりたくなかった。


 だから僕は決めた。

「普通に音楽がしたい」――それが僕の願いであり、呪いだった。



---


 春。転校先が決まった。

 都内の公立高校。学力的にも無理なく入れるレベル。

 そこで僕は、もう一度“普通”を始めるはずだった。


 けれど、その“普通”は、新宿のガード下で――倍音にヨダレを垂らす少女と出会った瞬間、壊れ始めたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ