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だから僕は普通に音楽がしたい。  作者: Kei-ichi
第5章 文化祭、ライブ、響く
24/26

幕裏、呼吸のそろえ方、照明と一音目

 体育館のカーテンの向こうから、ざわめきが流れ込んでくる。拍手の名残、放送委員の案内、椅子が擦れる音。ワックスの甘い匂いに照明の熱が混ざり、空気が少し金属っぽくなる。

 ざらついた音の塊が、幕裏の僕の胸をじわじわ押してきた。指先の温度が落ちる。

「夏樹くん、顔、青い」

 彩月がガンクのケースを抱えたまま覗き込む。口角が少し上がって――10%天使。目だけで「大丈夫」を押しつけてくる。

「青くない」

「うん、嘘。すごく青い」

「言い切るな」

 彼女はガンクの縁をとん、と叩く。薄い鉄の共鳴が指先でほどけ、耳の奥に丸い輪を残した。

「息、合わせよう。あなたが乱れると、こっちも乱れる」

「……プレッシャーのかけ方おかしくない?」

 弥生はD-50の弦を一本ずつ確かめている。ペグをほんの気持ち回すたび、ピッチが“帰る場所”を見つける。

「っし、オッケー。エリクサー新品、鈴鳴り最強!」

 六条はボードのノブを0.5ミリ単位でいじる。LEDが影の中で小さな都市みたいに瞬く。

「照明熱で粒が粗い……ここで妥協したら音が死ぬ」

「死ぬとか言わないで!」

 慌てて突っ込みつつ、喉の乾きに気づく。唾を飲む音が自分にだけ大きい。

 五十嵐は機材ケースを机代わりにラップトップを開き、スタッフと短くやり取りした。

「ハム出たら僕がフェーダーで殺す。夏樹くんは歌だけ」

 八神先輩は――やっぱりケーブルの山の中。巻きは完璧、白テープのラインはまっすぐ、教科書みたいな“血管”の模式図だ。

「白テープの二本は踏むな。跨げ。跨いだら褒める」

「軍隊式やめて!」

「みなさーん、準備どうですかー?」

 ミント色のカーディガン、ふわふわ笑顔、背中に黒光りするPRS SE。神前れい子先生の“にこ”は、なぜか空気にクリックを入れる。

「……先生、全員ガチガチです」

「ですねー。緊張は舞台の神様からのプレゼントですよー」

 ケースを軽く“コン”。その一拍だけ刃物みたいに輪郭が立つ。呼吸が深くなる。

 幕の向こうで放送委員の声がした。

『予定を変更して――総合音楽研究部、スペシャルステージです!』

 客席が沸く。床下の空気が揺れた。

「息、合わせよ」

 彩月が僕の袖をつつく。弥生が指で1・2・3。震えはゼロ。六条は歪みをオンオフ確認し、五十嵐は親指を立てた。八神先輩はケーブルの端を押さえる。先生は、にっこり。

「じゃ、行きましょー」

 胸ポケットの退部届が指を刺す。ここで歌わなければ、本当に“インスト”になる。深呼吸。幕が上がる。



 視線の重さが一斉に押し寄せる。照明の白が前に出て、背中の闇が一段深くなる。足元の白テープが妙に心強い。

 五十嵐の指のカウント――鼓動の速さ。心臓がクリックになる。

 最初に動いたのは彩月だ。ガンクの真ん中をそっと叩く。ぽうん。体育館の空気が丸く震え、ざわめきの壁が一瞬やわらぐ。「何それ」の囁きが音の中へ溶けていく。

 弥生のD-50が鈴のアルペジオを重ねる。しゃらん。光の粒が空中に撒かれる。六条のクランチが影の輪郭を床に描く。

 僕はCadd9を握り、ピックを振り下ろす。じゃん。無機質な体育館が、瞬時に「ステージ」になった。返りが味方する。音は重なるのに、ぶつからない。ひとつの呼吸になる。


 彩月が目で告げる――歌え。


 母音で道を作る。“ら”をそっと落として、言葉が芽生える。


  まだ名前のない朝の色を

  ポケットの紙で折りたたむ




 最前列の肩がすこし下がる。呼吸が揃う。


 いける。


■サビが観客を掴む瞬間


 Cadd9の広がり、D-50の鈴、ガンクの“水”、六条の影。五十嵐の手のリズムで心拍が整う。四角い体育館に丸いテンポが張られる。


 サビ。


  ねえ、重力みたいに

  君の名前が胸に降る



 天井で跳ね返った声が耳に戻る。前に出ている。光の帯の中で客席の焦点が一斉に中央へ寄る。「おお」という息。体が揺れ、照明が強まる。呼吸が重なる。

「夏樹、いいよ!」

 弥生が笑って頷いた。

「声、ちゃんと飛んでる」

 彩月が10%天使で目線を送る。

「……うん、“意味”が足を止めてる」

「詩で言うな!」

 小声の掛け合いに前列が笑う。緊張がほどけ、音の座りがさらに良くなる。六条はワウを浅く踏み、歌の裏に影を描いた。

「今、真ん中は七海しか見えねえ」

 袖からの呟きと同時に拍手の種火が点き、サビ後も手拍子が残る。空気が僕ら側に傾いた。


よし、掴んだ。



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