八神先輩の“ケーブル道”/初めての通し練習/夜の独り練習/雪の朝、再び歩き出す
部屋の隅では八神先輩がケーブルを黙々と巻いていた。白いテープを貼り、角度をきれいに整え、まるで芸術作品のように仕上げていく。
「ライブはケーブルで決まる」
誰にともなく呟いた。
「絡まなければ音は死なない。死ななければ、演奏も生きる」
「怖いこと言わないで!」
弥生が笑いながら突っ込む。
でも、先輩の言葉には妙な説得力があった。ケーブルが流れる血管なら、音楽はきっとその先の心臓で鳴る。
■
「じゃ、一回通してみようか」
弥生がギターを構え、五十嵐がPCの録音ボタンを押す。六条は歪みを控えめに、彩月はガンクを中央で鳴らす。
僕は深呼吸して、マイクの前に立った。
イントロ。ガンクの低音、D-50のストローク、エレキの影、アコギの響き。
声を重ねる。
まだ名前のない朝の色を
ポケットの紙で折りたたむ
歌いながら、指先が少し震えた。でも、音は前に進む。
サビ。
ねえ、重力みたいに
君の名前が胸に降る
声が天井で跳ね返り、耳に戻る。視界の端で、弥生が笑って頷いた。彩月がガンクを叩きながら目で「いける」と言ってくる。六条の音が影を添え、五十嵐のリズムが地面を固める。八神先輩はケーブルを押さえたまま静かに見守っている。
最後まで通し終わった瞬間、部屋に拍手が起きた。僕ら自身の。
「……悪くない」
六条が小さく呟いた。
「いや、めっちゃ良かったよ!」
弥生が興奮気味に叫ぶ。
僕の胸の奥は、まだ熱く震えていた。
■
家に帰っても眠れず、布団の中でコードを指でなぞった。窓の外では雪が静かに積もっている。
胸ポケットから退部届を取り出す。白い紙。何度も折り目をつけ、角が少し丸くなっていた。
「……ほんとに出すのか」
問いかけても答えは返ってこない。
でも、今日の音の余韻が、まだ耳に残っていた。彩月のガンク、弥生の笑顔、六条の影、五十嵐の冷静、八神先輩のケーブル、先生の刃物みたいな言葉。
あの中で歌った時だけ、僕は確かに“居場所”を持てた。
紙をそっと机に戻す。
決断は、まだ先でいい。
■
翌朝、通学路に雪が残っていた。靴の裏がきゅっきゅっと鳴る。冷たい空気を吸い込むと、胸の奥まで透き通る。
学校に着くと、弥生が手を振った。
「おはよ! 今日も合わせようね」
彩月がにこりと笑ってガンクのケースを抱えている。六条はぶっきらぼうに「遅い」と言い、五十嵐は淡々とPCを掲げる。八神先輩はケーブルの袋を肩に担いでいた。
その光景を見ただけで、胸の奥の迷いが一瞬だけ軽くなった。
音の中でなら、きっと答えは出せる。
そう思いながら、僕は音楽室へと歩き出した。




