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だから僕は普通に音楽がしたい。  作者: Kei-ichi
第3章 文化祭、火種
20/26

普通”のための戦い/書類地獄、でも笑う/

 放課後の教室。クラスの文化祭会議は決まるまでが長い。

「カフェ?」

「射的!」

「映え!」

 キーワードが宙を泳ぎ、時間だけが進む。

 僕は議事録係で板書をしながら、心ここにあらず。頭の片隅では総音研の申請書がちらついていた。

(出すのは“普通”じゃない。たぶん)

(でも、ここで笑っていられる“普通”を守るには、あっちでちゃんとやるしかない)

 会議が終わる頃、背中を軽く小突かれた。彩月だ。

「ね、いま何割?」

「何の?」

「“普通にいたい”と“音に行きたい”の比率」

 ずるい質問だ。

「……五十五:四十五」

「どっちが五十五?」

「前者」

「じゃ、あと五だけ、貸して」

 指を五本、ひらひらさせる。ずるい仕草。

「貸す単位で増減するのやめて」



 部室。机に並ぶ申請用紙。

 責任者欄には「神前れい子」。顧問印スペースは空白。

「スタンプ忘れましたねー」

 れい子先生が笑いながら鞄を探る。

「シャチハタはダメですよー」

 八神が即突っ込み。

「分かってますねー。ちゃんと朱肉で押しますねー。インクの粒子が音に影響する――わけはないですねー」

「たまに安心する」

 展示内容の欄。

彩月は“倍音浴・体験(安全・短時間)”。

弥生は“Jヴィンテージ系統図(実器D-50中心)”。

六条は“空間系ライトふり(薄味)”。

八神は“導線・電源・ケーブル運用(恋人)”と書きそうになって僕が止める。

「“恋人”は括弧に入れるな」

「じゃあ脚注に」

「やめて」

「脚注は情緒としては可愛いですけどねー(却下ですー)」

 先生の一刀で場が落ちた。



 放課後の廊下は、文化祭特有の生ぬるさ。

 どの教室も少しずつ騒がしく、でも怒られないギリギリのラインを踏んでいる。

 窓の外、夕陽が砂ぼこりに斜めの筋を描いていた。

「ねえ、七海君」

「ん?」

「新宿で初めて会ったとき、どう思った?」

「神秘的だった。最初の三秒は」

「三秒?」

「四秒目から“残念な人”に変換された」

「失礼」

「ヨダレが光ってた」

「そこは反省している」

 すぐに涼しい顔が戻る。

「でも、倍音は嘘つかない」

「また詩だ」

「詩じゃない。事実」

 言い切る彼女の横顔は、強い。少し羨ましい。

「……ところでさ」

「ん?」

「この企画、失敗するかもしれないって、怖くない?」

「怖いよ」

 立ち止まらずに、彩月は答える。

「でも、“怖いのにやる”と、“怖いからやらない”は、どっちも普通」

「え」

「だから七海君は、どっちを選んでも普通」

 ずるい答えだ。反則に近い。



 生徒会室は、紙の匂いが濃い。掲示物、ポスター、配布プリント、記録ファイル。文字の層が空気を圧縮しているみたいだ。

 学年の違う役員が二人、書類を小分けにしていた。

「総合音楽研究部さん?」

 眼鏡の女子が顔を上げる。

「展示と実演の申請、お願いします」

 彩月が封筒を差し出す。

「責任者は顧問の神前先生ですね。……確認します」

 ぱらり。紙をめくる音。

 心臓の鼓動と、紙の音が奇妙に同期した。

 ポケットの中指で、例の薄い紙をずらす。退部届。触れたら、ずるい。

「“倍音浴体験・安全短時間”。“Jヴィンテージ系統図”。“音量地図掲示”。“電源別回路”。“実演五分・撤収一分”。……細かいですね」

 眼鏡女子が感心半分、警戒半分で笑う。

「すみません、うるさくしない努力の書類です」

 僕が頭を下げると、彼女は首を振った。

「いえ、ちゃんと考えてくれてるのは伝わります。……一点、電源の申請だけ理科準備室に事前相談をお願いします」

「はい」

「では、受理します」

 受領印が、ぽん、と押される。赤が紙にじんで広がった。

 呼吸を止めて見てしまった。

「それと軽音部さんのライブが大人気なので、音の被りだけ配慮を」

「はい」

 その言葉が、このあと何度もリフレインするとは知らなかった。



 生徒会室を出ると、渡り廊下に風。夕方のグラウンドから吹奏楽のB♭が飛んできて、床板がかすかに“うん”と鳴った。

「受理、したね」

「したな」

 僕は指先の力を抜く。

「ありがとう」

 彩月が小さく言う。その声音は、普段の彼女よりわずかに柔らかい。

「怖いけど、やってみる」

「うん。怖い方が、音はたぶん、綺麗」

「根拠は」

「未知数」

「数学の用語を詩にするな」

 彩月はふっと笑い、夕空を見上げる。

「空席が、できた」

「ん?」

「音のための席。今日、ひとつ増えた」

 それはガンクで聞いた“空席”の比喩と同じ響きだった。意味が分かるような、分からないような。

 でも、不思議と悪くない感触だけは胸に残った。


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