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だから僕は普通に音楽がしたい。  作者: Kei-ichi
第二章 総音研、侵入
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部室の地形/即席セッション/扉のもうひとつの音/ギャップの顧問

 改めて見渡すと、この部屋には普通の教室とはまるで違う“地形”があった。

 壁一面の吸音材。ところどころに貼られた、謎のプリント――「電源を落とす前に音を落とせ」とか「ケーブルは恋人、絡ませるな」とか。

 机は音楽雑誌やマニュアルで埋まり、窓際には古いアンプが二台並んでいる。ひとつはフェンダー、もうひとつはマーシャル。埃っぽいけれど、ちゃんと磨かれている光沢があった。

「ここ、いつからこんなふうに?」

 僕が訊ねると、八神先輩がケーブルを肩にかけたまま答える。

「歴代の先輩たちが少しずつ置いていった。……けど、八割は僕のコレクション」

「八割かよ!」

「配線が血液。だから健康診断」

「また名言ぽいことを……」

 六条はアンプに手をかけ、コードを一本抜いて差し替える。

「こっちはもうガリが出るんだよな。でも、このガリも含めて“音”なんだ」

 そう言ってギターを爪弾くと、アンプが少し唸ってから、じゅわっとしたクランチが広がる。

「ほら、この感じ」

「ただの接触不良じゃなくて?」

「魂が宿ってるんだよ!」

 弥生が目を輝かせる。

「分かる! ノイズが生き物みたいに感じるときある!」

 僕は両手を上げて降参するしかなかった。



「じゃ、次はリズム遊びいこう」

彩月が手を叩く。指先まで“拍”が仕上がっている音だった。

「テーマは“歩く速さ”。誰かの足音を真似して」

 弥生がストロークで刻む。しゃか、しゃか、と乾いて粘らない八分。

 僕はそれに合わせて低音弦でドンッ、ドンッと歩幅を描く。踵が床に触れる瞬間だけを指で強調する。

 そこへ彩月のガンクが重なる。ぽうん、と鳴るたびに、校舎の廊下に蛍光灯の白がのび、音が影を連れて歩き出すみたいだ。

 五十嵐はノートPCを開いたまま、机の角を指でトントン叩き、即席のカホン代わりにする。

「おー、そっちもありか」

「録音しない代わりに、僕のリズムは手動で」

 六条がさっとシールドを差し替え、ワウを薄く踏む。

 にゅわん……と、足音の“影”だけを伸ばす一音。

「これが歩く影だな」

 ぼそりと呟く声まで、エフェクトの余韻に包まれる。

 八神先輩は最後尾でケーブルをさばき、パシンと床に這わせる。

「影に電流。完成」

 意味は分からないのに、なぜか曲の“題名”に聞こえた。

 誰も号令をかけていないのに、音は自然に一曲の形へ寄っていく。

 ガンクが主役のメロ、弥生のストロークが骨格、僕の低音が足跡、六条のワウが影、五十嵐の指ドラムが拍を縫う。

 四小節、八小節、十二小節――息がそろう。最後、彩月が“階段を降り切る”みたいに三発のアクセントを落として、ふっと静かに手を上げた。

 余韻が吸音材に吸われ、部屋が丸く戻る。

 同時に、全員が顔を見合わせて笑った。

「いいねー」

「今の、録っとけばよかった」

「録らなかったから、よかったのかも」

「そういうのあるな」

 弥生が小声でつぶやく。「ね、今のBPM、歩く速さそのものだったよね」

 彩月は頷いて、「うん。心拍でクリック取ると、音楽は人になる」と、また詩みたいなことを言った。



 そのとき、背後の扉が開いた。

 金具が鳴らない。丁寧に回されたノブの、空気だけが入れ替わる音。

「おじゃましまーす」

 ふわり、と柔らかい声。

 振り返った瞬間、僕たちは全員、息を止めた。

 ミント色のカーディガンに花柄ワンピース。肩までのゆるい髪。目元はのんびり、口元は春の陽だまりみたいに微笑む女性。

 けれど、その肩からさげているのは――黒く艶めくPRS SEのケース。金属パーツはすべてロック式。持ち手の握りが“現場”の癖を知っている。

「……!」

 視線が吸い寄せられる。

「はじめましてー。今日から総音研の顧問を担当します、神前れい子って言いますねー」

 語尾はのんびり。空気はふわふわ。

 なのに、部屋の温度が一度だけ下がった気がした。音の密度が、勝手に整列する。

「先生、それPRSですよね!? SEですか!?」

 弥生が真っ先に食いつく。

「そうですよー。SE。でも全部ロック式なんですー」

 にこにこしながら、ケースを軽く叩く。カチ、と鳴った金属音は、妙に刃物じみていた。

 六条が目を丸くする。

「ロック式!? ブリッジまで!? それ、チューニングずれないやつじゃん……!」

「はいー。ずれないように、ずらさないんですー」

 言葉は柔らかいのに、意味は刃だ。ギャップの人、だと直感した。



「音楽はねー、楽しむのが基本ですー。けど本気の音を出せなきゃ、楽しみも半分ですー」

 ふわふわの声で放たれたひと言が、部屋の中央に“基準線”を引く。

 僕は思わず弥生に小声で囁く。

「……なんか、この人、怖い」

「え、可愛いけど?」

「外見じゃなくて、中身の刃物感が」

「……わかる」

 神前先生はロックを外してPRSを取り出した。

 艶やかな赤。指板の鳥のインレイがスポットを跳ね返す。

 左手がネックに触れ、右手が軽く弦を払う――ただの“ジャッ”に、空気が背筋を伸ばした。

 軽いカッティング、からの三連の装飾。ほんの数秒。

 でも、それだけで十分だった。

 “この人は、音で嘘をつかない”。それが分かる。

「じゃ、ひとつだけ。簡単なセッションしましょうかー」

 先生がにこり。

 六条は反射でボリュームを絞り、弥生は呼吸を整え、彩月はガンクの上に指を置く。五十嵐はPCを閉じ、八神先輩は無言で一番短いシールドを差し出した。

 四小節のブルース進行も、定番のロックリフでもない。

 先生が示したのは、二音だけの“問い”。

 僕らは、一音ずつ“答え”を返す。

 全員の目線が、初めて同じ高さで交差した。

 わずかな即興が終わる。

 静けさの縁で、先生が柔らかく告げる。

「じゃあ、改めて。これからみんなで、いっぱい音を鳴らしていきましょーね」

 弥生が「はいっ!」と即答し、彩月は「倍音、準備できてる」と笑う。

 六条は小さく頷き、五十嵐は「録る準備も」と指を動かす。

 八神先輩はケーブルを胸の前で組み、「配線完了」とだけ言った。

 その瞬間、僕たちの――“普通じゃない日常”が始まったのだ。


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