闇市の再会
1948年・東京・俺18歳
闇市ってのは、まるで世界の裏側をひっくり返したみたいな場所だった。
焼け跡の隙間に人が集まり、物と物とがぶつかり合い、金と欲望が飛び交う。
煮込みの甘い匂いと、焦げた木材の匂いが混じり、鼻を刺す。
金属貨幣が木箱に落ちる軽い音、遠くで子どもが泣く声、怒鳴り声と笑い声が交互に響いていた。
俺は軍医の制服を脱ぎ、古着屋で買った学生服に着替えていた。
身分を隠すためでもあるが、何より――この街の空気に馴染みたかった。
目的はただ一つ。茜を探すこと。
彼女も、きっとこの時代に生きている。そして、何かを始めているはずだ。
何百回も、人混みの中で見知らぬ後ろ姿を追いかけた。
何度も、似た声に振り返っては、違うと知って足を止めた。
それでも探し続けたのは――あの夜の誓いを、まだ果たせていないからだ。
「最近、変わった女の子がいるらしい」
「思想家みたいなことを語ってる」
「でも、妙に説得力があるんだよな……」
そんな噂を辿って、俺は闇市の一角にたどり着いた。
古本屋の裏手。木箱を並べただけの即席の演壇。
そして、その上に立っていたのは――
「……茜」
黒髪ショートボブ、前髪重め。繊細な目元。
あの夜の瞳が、今、俺の目の前にあった。
彼女は群衆に向かって語っていた。
「この国は、まだ立ち上がれる。文化と思想が、民衆の力になるんです」
その声は震えていなかった。
むしろ、俺の記憶よりもずっと強く、澄んでいた。
俺は足を踏み出し、群衆をかき分ける。
そして、彼女の視線が俺を捉えた。
一瞬、時が止まった。いや、止まったように感じただけだ。
けれど俺の中では、確かに何かが弾けた。
「……碧、くん?」
最初は確信が持てないというように、ゆっくりと俺の名を呼んだ。
声は少し震えていたが、すぐに優しさと確信が滲んでいった。
「久しぶりだな……今、何歳だ?」
「私は15。碧くんは?」
「18だ。じゃあ、転生してから15年ぶりか」
その言葉に、茜は目を見開き、息をのむ。
「……やっぱり、碧くんだったんだね」
「お前も、記憶があるんだな」
「うん。全部、覚えてる。あの夜のことも、誓いも……」
俺は短く息を吸い、告げた。
「俺は、空を守った。広島を救った」
茜の瞳が、揺れた。
一瞬、何かを飲み込むように唇を噛み、そして小さく息を吐いた。
「……本当に?」
「エノラ・ゲイを迎撃した。原爆は落ちなかった」
沈黙。
そして、彼女の目に光が宿る。
それは涙の光でもあり、誇りの光でもあった。
「ありがとう、碧くん」
その声には、感謝だけでなく、安堵と敬意と誇りが混じっていた。
「やっぱり……あなたは、あの夜の約束を守ったんだね」
俺たちは、互いの成果を報告し合った。
未来の知識、思想の断片、戦争の記憶。
それらが、まるでパズルのピースのようにぴたりと噛み合っていく。
「これから、どうする?」
「世界を変える……一緒に、ね?」
「ああ。同志として、再び」
彼女はふわっと微笑んだ。
その笑顔は、俺の記憶の中の茜よりも少しだけ大人びていたが、変わっていなかった。
見上げれば、闇市の空は煤けていた。
それでも、その奥には確かに、ひらけた未来の青が見えた。