戦火の影
1940年・俺10歳・東京
戦争の匂いは、空気の中に混じっていた。
新聞の見出し、ラジオの演説、街角のざわめき。
子どもでもわかる。いや、俺には、わかりすぎるほどだった。
「このままじゃ、また同じことが起きる」
俺は、未来を知っている。
この国が、どこへ向かうのか。
何が起きて、どれだけの命が失われるのか。
それを知っているということは、時に呪いに近い。
だが、それは同時に、責任でもある。
だからこそ、俺にはやるべきことがある。
俺は、軍医を目指すことにした。
戦場に出るためじゃない。
命を救うためだ。
そして、軍の中枢に入り込むためだ。
「技術顧問」という立場を得るには、まず信頼されなければならない。
そのためには、目に見える成果が必要だ。
俺は、医療技術の再現に着手した。
まずは、抗生物質。
ペニシリンの合成法を、記憶の中から引きずり出す。
試薬の入手、培養条件、抽出方法。
すべてを、昭和の設備で再現するのは至難の業だった。
でも、俺には時間があった。
そして、執念があった。
それは、思想のための執念だった。
「命を救う技術なら、誰も文句は言えない」
俺は、地域の診療所に出入りするようになった。
最初はただの見学だったが、やがて「妙に詳しい子ども」として噂になった。
医師たちは最初こそ警戒したが、俺の知識と手際を見て、次第に態度を変えていった。
「碧くん、君は……本当に、何者なんだい?」
「ただの、勉強好きな子どもですよ」
笑ってごまかしながら、俺は少しずつ信頼を積み上げていった。
衛生管理、消毒法、縫合技術。
俺が持ち込んだ知識は、診療所の中で確実に成果を上げていた。
患者の回復率が上がり、感染症の蔓延が抑えられた。
「これが、俺にできることの第一歩だ」
戦争は、もう止められないかもしれない。
でも、その中で救える命はある。
そして、その実績が、俺を次の段階へと押し上げてくれる。
俺は、軍の医療研究機関への推薦を受けることになった。
まだ10歳の子どもが、だ。
だが、未来知識を持つ俺にとって、それは当然の結果だった。
「茜……お前も、どこかで動き始めてるか?」
彼女のことを思うたび、胸が熱くなる。
再会はまだ先かもしれない。
でも、俺たちは同じ方向を見ているはずだ。
命を救い、思想を育て、未来をつくるために。
それが、俺たちの誓いだった。
そして、俺の選んだ道だった。
俺は、戦火の中へと歩き出す。
それは、思想のための行動だった。