第一話 その場しのぎと過信
ふと、目が覚める。
毎晩寝泊まりする場所ではあるが、お世辞にも居心地がいいとは言えない。
そしていつもに増してこの時期は暑さと湿気でより一層居心地が悪い。
「あっちぃ…」
そんな事をつぶやきながらベッドのそばの机の上にある水差しに手を伸ばした。
喉を潤すと、次に感じるのは体のベタつきだった。
濡らしたタオルで汗ばんだ体を拭くと少しは体の気持ち悪さが和らいだ気がする。
軽く体をほぐし、異常がないことを確認すると防具や剣など一通りの装備を点検していく、それが終わると薄い服とその上に皮の防具を身に纏いポーチを腰に取り付けると剣を携え、最後にブーツを履くと部屋を出た。
アパートの外に出ると辺りはまだ暗く人影もないため静かで、そんな様子に似つかわしくない生ぬるい風が肌にまとわりついてくる。
空を見上げるとにはこの街全体を覆うような——事実覆っている——巨大な透明の板のようなものが浮かんでいて、ここで暮らす以上は嫌でも目にすることとなる。
ここは対霊素鎮静結界の内部、詰まるところ安全地帯の中だ。
なんかすごい技術で構成されているらしいけど詳しくは知らない。
少し歩くと結界の縁と大きめのビルが見えてくる。
あのビルは傭兵組合といって、結界の外に出る許可を出すことが出来る場所だ。
この時間に来るといつものことではあるが組合内部に入ると人はほとんどおらず、窓口でボーっとしている受付の女性を含めなければ誰もいないなんてこともザラにある。
ただ、今日は朝早くから誰かいるようで軽く話し声が聞こえてきた。
「それでさ…おい、あれ”ゴブリン”じゃねえか?こんな早くからあいつ何してやがんだ。」
「おいばか!声でけえよ、聞こえんだろ。」
ゴブリンってのは俺のことを指しててあだ名だ。
ただ、仲間が止めていることからも分かるように好意的な呼び名じゃない。
俺がそう呼ばれているのにも理由がある。
理由を教えるついでにこの世界のことについてもざっくり説明しよう。
11、2年前だったかな?に発生した霊素災害によって多くの人が命を落とした。
唐突にある地点から謎の生き物が現れ出し、その周りの元の生き物、土地にも影響が出たのだ。
新たに現れた生き物たちはもとより生息していた生き物と比べるとかなり凶暴で、すぐにかなりの被害が出た。
その生き物たちはその場の生態系をめちゃくちゃに乱しながら生息範囲を増やしていった。
そして生活する場がかぶれば容赦なく人間を襲った。
もちろん人間も黙ってみていた訳じゃあない、最初に異変に気づいたのは発生元の土地を含んだ国家だった。
動物、物質問わず異様な変化を与えるその災害に国を挙げて、それでもその国家は規格外の生息範囲の拡大速度に個体数の増加量、それが既に自分たちの手に負えないと分かるとすぐさま多くの国へと協力を要請した。
多くの国が否応なしに協力をすることになった。
世界規模で見るならば、それほど急速に広がっていったわけではないが、着実に広がっていく異変、その災害を前にすればどう考えても国境など無意味で、もしも押し留めることができなかったのなら次に被害を受けるのは自分たちである、そう皆が考えることなど当然の成り行きだろうから。
人間たちは頑張った、それはもう頑張った、体の大きさに見合わないパワーに、無から現れているかの如き隠密性、火を吐くなどといった不可思議な能力を持った調査を阻む新種の生き物——今では霊獣と呼ばれている——が調査を阻むも協力して駆逐し、既に変化してしまった土地でサンプルを入手し、原因の究明に努めた。
だがそれは叶わなかった。
人類は持ち帰った物質について徹底的に検査した。
だが、原因となっているものを見つけることはできなかったのだ。
襲ってきた生き物だって新種ではあったが特に生き物として変わったところはなかった。
何をどんなに検査しても水は水だし、土は土だ、なんの影響も受けていなかった。
体の構造を確認したり、構成されている物質を確認しても異常はなかった。
そのはずだった。
そう、化学的には。
そのものを構成する要素を考えればあり得ない強度や性質を持つ物体、そこらの生き物と体の構造は変わらないのになぜか火を吐く生き物など。
何かの影響を受けているとしか考えられなかった。
しかし、結局調査によってわかったことは現在の人間のが知り得、観測できるものによらない変化だと、そんな情報だった。
何も分からないことが分かったってことだな。
ただ8年前、大きく個体数を減らした人類はついは遂にそれを発見するに至る。
そう、先程から度々話に出てくる霊素だ、その頃にはすでにどんな場所でも霊素が存在していることがわかった。
そしてその頃にはその既に殆どの高度に発展していた技術による文明の利器は使い物にならなくなっていたらしい、霊素が原因だと予想されてるらしいが本当のところは分かってねえ。
そういった物質の性質変化による影響は無機物のみにとどまらなかった。
むしろ変化の大きさという面では生物のほうが顕著な気がしてる。
生き残ったすべての生物は霊素に侵され、少なからず体に影響が出た。
その影響は軽度なもので、力が強くなる、体が大きくなったり、謎の鱗が生えてきたり霊素が知覚できるようになるといったところだろう。
では重度になるとどうなるか、それは大きな体への異変、または死だ。
大きな異変とはどういったものなのか?
言葉の通り体に大きな異変が生じるとしか言いようがないが、例えば元が人間であれば手が右に4本、左に2本で6本ある猿、酷いものだと胴体と頭はネズミで六本ある手足の四本の足はトカゲのよう、手はカニのハサミ、尾は竜のように太く鱗が生えていたものなどを見たことがある。
話すことこそ出来なかったものの、文字による意思疎通は問題なくできたことから、思考には何ら影響はなかったのだと思う。
しかしそれはただ見た目が少し変わったとか、力が強くなっただとかそういったものではなく、確かに彼らを体の作りから、根底から変化前の生き物とは別物とでも言うべき生き物になっていた。
かく言う俺も重度な影響の体に大きな異変が生じる、に部分に当てはまっており、人型の生き物に姿を変えた。
この体の大きさは平均的な大人の人間とさほど変わらないが、明らか人のものとは異なる肌の色やら醜悪な顔、口から覗かせる牙や爪、歪な耳を見れば人間ではないことは一目でわかる。
まるで人のなり損ないだ。
んで、この容貌が物語に出てくる”ゴブリン”みたいだってことで裏でそう呼ばれてる
ただ、悪いことばかりじゃなくて睡眠はあまり必要としないし、食事なんてほぼ取らなくても問題ないと思っている。
それに体の使い勝手は人間とほぼ変わらないし、元の身体能力は低めだったものの、見た目だってシルエットだけで言えばほぼ人間と変わらないのでかなりマシな変化だと思う。
なんやかんや言ったけど今まで生きて来れたし傭兵としてやって行けているので文句はない、だが俺自身俺の姿があまり好きではなかった。
たとえば街を歩いていると強面の男に急に話しかけられるとする。
もちろん警戒するし内心ビビる。
では話しかけてきたのが見目麗しい女性であれば?
なんだか嬉しいし、困っているのであれば助けてあげよう、ぐらいには思わされる。(少なくとも俺は)
顔が良ければなんでもうまく行く、とまでは言わないが第一印象の悪さっていうのはどうしても一人では生きていけない以上、正直辛い。
人付き合いだって上手く行きづらいし、警戒だって過剰にされやすい。
傭兵という職業柄意外と印象っていうのは大事なのである。
あと職業関係なく、どうせ毎日見るなら綺麗な顔のほうがいいからな。
「すまねえが訓練場を借りさせてもらえねえか?」
「ああ…構いませんよ、プレートをお出しください。」
「ああ」
俺は首からかけたプレートをボーっとしてる女性に渡す。
俺のプレートのIDと利用開始時間を訓練場利用者名簿に書き写し終わると、プレートは返却され、それを持って俺は訓練場へと足を運んだ。
プレートっていうのはそいつが人間でどんな役職だって伝える役割を担う。
別に特別な効果はないが、木の板には板が作られた職業、名前、IDが簡素に記されていて大きな施設を利用するときには大体これを提示させられる。
俺のだと表に 傭兵 、裏に 一シス一 1_22013 、と書いてある。
IDは最初の数字はこのID発行開始からの年数、後の数字はその年で何番目に発行されたかを示している。
ちなみに発行開始は結界が完成して結界内の霊獣の実体化を防ぐことが出来るようになった4年前だ。
霊獣の実体化について説明するなら霊獣が急に現れる理由だな。
最初は霊獣がどこから現れるのか分からず、隠れているのかもと思われていたそうだが、そうではなかった。
今でも詳しくはわかってねえが、あいつらは制御されておらず、活溌から平常状態の霊素のある場所から湧き出してきやがるらしい。
霊素を発見して、そのことが発覚してからの約4年間、なんとか人間は範囲内の霊素を軽度の休眠状態に入らせる技術を生み出すことに成功したってわけだ。
こうして俺達人間は今もこのクソみたいな結界内で生き長らえている。
***
…剣を振るう。
一太刀、また一太刀、師に教わってきた記憶をなぞり、基本を積み重ねていく、自身の身にそれをより深く刻み込むように。
***
「ふぅ」
ふと、辺りを見回すと霊術師が何人かいる。
おっと、どうやら集中力が途切れているようだ。
暗い内に結界外に出るのはリスクが大きい、俺の体はほぼ寝なくても活動に支障はないため、朝から集中力が途切れるぐらいまではここで剣を振るのが習慣となっている。
訓練場をあとにすると窓からは光が差し込み、組合内はそれなりに賑やかになっていた。
とりあえず腹が減ったので食事を取ることにする。