「真実の愛」のため、そのざまぁは延期させていただきます
「ざまぁされる側に〜」と同じ語り手ですが読んでいなくても大丈夫です。
婚約破棄したいのです、と友人が言った。
「コンニャク橋?」
「え? コンニャクバシとは?」
「いえ、忘れてください」
こほんと咳ばらいをする。この世界にはコンニャク橋というくねくね揺れる仕組みの橋は無い。
「婚約破棄と仰ったのですね?」
「ええ、そうです。このあいだジゼルさまが婚約破棄されたでしょう。それを聞いて、わたくしもできたらいいのに、って……」
麗らかな陽射しの差し込む図書室で、ひそやかな声で話す友人の名前はソフィア・ミィシューレ公爵令嬢という。
見事な白銀の長髪は床に届かんばかりにすらりと流れ、紫色の瞳は高級な硝子細工のようにきらめいておりロイヤルパープルという表現がふさわしい。お人形のように細い体はお茶会で会うときはフリルやレースで盛り立てられて膨らんでいるが、今はかっちりとした学園の服に身を包んでおり、その小ささが強調されている。
彼女に隣り合って座っている私の名前はシャルリー・ルナール。転生した元日本人だ。今世はくすんだ金髪碧眼で、ソフィアの隣に立つと彼女の美しさが強調される引き立て役となる。ソフィアに注目が集まるので私としても助かっている。私はソフィアと出会ってすぐに彼女の友人になりたいと思ったものだ。隠れ蓑になってもらうために。
そんな彼女の婚約者はアルベール・リュウフワ王子。この国の第三王子である。運動神経に優れた美丈夫で、燃えるような赤毛が印象的だった。背丈が非常に高く、ソフィアと並んでいると巨人と小人の異種族交流のように見えていた。
その姿を思い浮かべながら、私は口を開く。
「アルベール殿下とはソフィアさまが聖女ということで結ばれた縁でしたね」
ソフィアは魔物からこの国を守る結界を張っている聖女である。結界を張ることができるのは彼女だけではなく、教会で光魔法を学べば可能だそうだが、ソフィアは学ぶまでもなくその力を発揮した天才だということで、教会のシンボルとして祭り上げられた。公爵令嬢としてだけではなく、教会にも大事に大事にされてきた箱入り娘である。
今も遠くに護衛の姿が見えているが、威圧感のある男騎士たちであり、図書室はソフィアの数少ない息抜きの場なので、会話が聞こえない程度には距離が置かれていた。
「ええ、でも、ほんとうは違うのです……」
俯いて言いづらそうにもじもじするソフィアを見て、ふと思いつくものがあった。
「もしかしてソフィアさまのお姉さま――リゼットさまが本当の聖女なのですか?」
「まあ……わかるのですか?」
護衛たちにしょっぴかれても仕方のないような発想だったが肯定されてしまった。そんなことってほんとにあるんだ。
リゼットはソフィアとは違い地味な女性だ。平民によくある茶髪に黒い目で、ソフィアの父がメイドに産ませた庶子であると聞いている。顔立ちも悪くはないが絶世の美少女のソフィアとは比べるべくもない。ソフィアの母からは疎まれており、父からは距離を置かれていると聞く。だが性格は素直で健気らしい。社交の場ではいつも隅で小さくなっていて、アルベールだけが優しく声をかけていた……。
聖女ともてはやされる妹(美少女)、控えめで健気な姉(不遇)、姉に優しくする妹の婚約者(王子様)……。
「いえ、ええ、なんとなく、そう思って」
前世でそういう感じの物語を読んだことがあるだけなのだが、そう言葉を濁して曖昧に微笑むと、ソフィアは瞳をうるませた。
「わたくしのせいなのです。昔お母さまに、わたくしのほうが聖女にふさわしいと言われて、わたくしも、そうだわって言ってしまったのです。お母さまを喜ばせたかったの……、本当に愚かでした。でももう後悔しても遅いのです……」
両手を組んで小声で懺悔するソフィア。まるで悲劇のなか懺悔室に佇むヒロインのようだが、ソフィアの言うとおりならヒロインは姉のほうである。
「遅いのですか?」
「もうアルベール殿下のお心はお姉さまにあるのです」
「……あらまあ……」
「そして私の心もアルベール殿下にはないのです」
「なんと?」
私は驚いた。まんざらでもない表情でアルベール王子のエスコートを受けているソフィアの姿を何度か見たことがあるからだ。
まぁ、イケメン王子にエスコートされてまんざらでもない気分になるのと、恋をするのはまた違うのかもしれない。王子にエスコートなんてされたら泡を吹いて卒倒しそうな小心者の私には想像もつかないことである。
「ソフィアさまには他に好きな方がいるのですか?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……、お姉さまに心奪われている殿方と結婚したくはありません。向こうだって好きな方と結婚したいでしょうし」
「それはそうですよね……」そこを我慢するのが貴族の務めではあるのだが。「それで、婚約破棄したいのですね」
私は発端の話題に戻した。
婚約破棄について友人と語り合う日が来ようとは、つい先日まで思いもよらないことだった。私の従妹であるジゼルが婚約破棄をしたのだが、それはこの世界では滅多にない大ニュースであった。この世界では結婚とは使命。婚約が破棄できるということすら淑女たちの頭にはなかっただろう。
それが急に選択肢のひとつとして視界に入ってきたのだ。自分が婚約破棄をしたら……ということを妄想のひとつとして使っている淑女はソフィアの他にもいるに違いない。もしかしたら実行に移す人もいるのかもしれない。そうなれば家同士のつながりを戦略のひとつとしているこの貴族社会はまた混沌としていくことだろう。
混沌といえば、ソフィアが聖女を騙っているというのが、ヒロイン(リゼット)によるざまぁ展開によって何かしらの方法で暴露されてしまったら、教会はどうなってしまうのだろうか。
正しい聖女を見抜くこともできない教会の立場はなくなり、最悪の流れとしては結界を維持することが難しくなり、そして国に魔物が入り込むような展開になるのでは……。そんなことにはならないと信じたいが、これもまた聞いたことがある展開である。私はようやく事の重要性に気づいて、はっと顔を引き締めさせた。リゼットにそのようなざまぁをされてはならない。
「ソフィアさまの婚約破棄のお手伝いさせていただきたく思います」
ソフィアの手をとって、きりっとした顔を意識して言うと、ソフィアは感激で目を潤ませた。
「まあ! シャルリーさま!」
「ですがソフィアさまの名誉が傷つくかもしれませんわ」
「わたくしが聖女ではないということを皆さまに話すのですか……?」
「いいえ、それは……ほら、無用な混乱を招くことになりますから」
適当にごまかしてみる。ソフィアは戸惑いながらも、やがて頷いた。
「アルベール殿下とリゼットさまを恋人関係にするのです。ふたりの恋の盛り上げ役として他の女性陣の接近も許しましょう。最終的にふたりのためにと身を引くのです――」
作戦としてはこうだ。まずソフィアには婚約者とうまくいっていないと周囲に零してもらう。アルベール殿下には好きな人が他にいるんじゃないか、と。あくまで内緒話の相談ごととして話してもらうが、人の口には戸が立てられないものだ。婚約破棄が話題になっているタイミングでもあるので、これを王子とどうにかなるチャンスだと捉える人間がいてもおかしくない。そうしたら王子に近づいてくる女性がでてくる……だろう。
だが、(仮にこの世界が原作つきの世界だとして)王子とヒロインが「真実の愛」で結ばれる運命ならば、王子はそんな誘惑にはひっかからず、むしろ二人の恋のスパイスとしてしまうだろう。王子とヒロインがふたりきりになるタイミングを作るサポートなどもする。ソフィアに悪役として意地悪をしてもらうのも効果的かもしれないが、ざまぁをされてはならないので、そこは慎重にならなければならない。
そして頃合いをみて、媚薬(と噂の食べ物や香水など)をつかって二人の既成事実をつくってしまうか、既成事実にしか見えない状況をつくりあげ、外堀を埋めてしまう。王子に責任をとってもらってソフィアとは婚約破棄――という算段だ。
それはアルベールとリゼットに醜聞をつくる行為だと良識のある人間ならば思うだろう。しかしこれも「真実の愛」のためなのだ。そもそもアルベールがきちんと婚約者とその姉に線引きを行っていればそう上手くもいかないだろう。それを見極めるためにも必要な作戦であるように思われた。
既成事実うんぬんについては淑女にはドン引きものだろうし、今のソフィアに話すのは時期尚早かもしれないので黙っておく。とにかく二人の恋を盛り上げることについてのみ話しておいた。
「アルベール殿下がリゼットさまとふたりきりになる機会ってあるのでしょうか?」
ソフィアに聞いてみる。ソフィアは美しい銀糸の髪を指に絡ませて、すこし落ち着かなさげにしている。何か気になるところがあるのだろうか……。そもそも男に女を差し向ける話なんてはしたなくてやってられない感じだっただろうか。
「あ、ええ、ううん、夜会のバルコニーでふたりきりだったところを見たことがあるかしら……、いえ、近くに王子の護衛もいましたからふたりきりではなかったですね」
「そうなのですか。王子ともなるとふたりきりになるのは不可能なのでしょうか?」
「そういう目的の部屋に向かえば部屋のなかではふたりきりになれるかもしれないです。第二王子の婚約者の方が言っていました」
そう言うソフィアは平然としている。はしたない話に抵抗があるわけではないようだ。
「なるほど……」
「でもアルベール殿下は女性とダンスのために触れ合うことも躊躇うような方ですから、そのことを知らないかも……」
「まぁ、紳士的な方なのですね」
新情報に私は目を丸くした。婚約者の姉と良い感じになっている(らしい)男ということで、なんとなくチャラいイメージになっていたのだ。
「紳士的というわけではありませんわ。臆病者なのです」
ふんっという感じでソフィアが言う。私はますます目を丸くした。
「まぁ……、ソフィアさまがアルベール殿下のことを悪く言うのは初めて聞きましたわ。今日は驚くことばかり……」
「あっ、わたくしったら。つい……。今日はとても口が軽いですわ。シャルリーさまがなんでも聞いてくださるからかしら」
にこっと親しみを込めて微笑みかけられた。ソフィアとは友人として多くの内緒話をしてきたが、婚約者についての話を聞くのは初めてだった。第三王子に対して興味が無いので私から聞くこともなかったように思う。
私もとりあえず微笑みを返した。
「おくびょ……、控えめな方なら、自分から進んでリゼットさまとの関係を進めるような方ではないのでしょうか?」
「んん……」ソフィアはまた髪の毛をいじいじとした。白魚のごとき指が迷いを表すように泳ぐ。「王子としての務めはしっかり果たす方ですから、なにか大義名分がないとしないかもです。逆に言い訳があればするかも……」
さもありなんと私は頷く。もしこの世界のヒーロー役なのだとしたら、決めるところはばしっと決めてくれるはずだ。
「あの、ソフィアさま、どうかされましたか?」まだ髪先をいじっているソフィアに尋ねる。「気が進まないのでしたら……」
「いいえ、なんでもありませんわ。とても良い作戦だと思いますもの!」
ソフィアはぱっと髪の毛から手を離して、きっぱりと言い切った。追及は難しそうだ。
「では、ソフィアさま……、」
「ええ、王子との不仲を言いふらしますわ!」
ソフィアはぐっと小さな手で拳をつくり、かわいらしく控えめに振った。すこし大きな声だったため護衛達の耳がぴくっと動いていた。この様子なら噂も広がりやすいだろう。その調子です、と私は頷いてみせた。
これが数カ月前の出来事である。季節がめぐり、そして――。
「ソフィア・ミィシューレ! これは一体どういうことだ!」
ある日、ソフィアはアルベールに糾弾されていた。
アルベール・リュウフワ王子は印象的な赤毛にきりっとした眉、硬質な輝きを見せるエメラルドの瞳を持つ美丈夫である。その瞳に怒りを燃え上がらせて大声をあげる姿はたいそう迫力があった。
「今度という今度は許さんぞ!」
今度? 何の話だろう。
対するソフィアは細い肩をびくりと振るわせて、隣にいた私の腕に抱き付いた。高価な香水の香りがかすかに鼻腔をくすぐる。
「大声をあげないでくださいませ……っ」
と震える声で言う美少女は哀れを誘い、並大抵の男ならすぐに謝罪しそうな可憐さがあった。しかしアルベールはいっそう眉をいからせた。意外な反応である。
「今更そんな演技が俺に通じると思うな!」
「――あら、演技だなんて人聞きが悪いですわ。男のひとの大声でシャルリーさまが怯えてしまったらお可哀想だと思いませんの? 大声を、あげないで、くださいませ」
今度はぴしゃりとした声色でソフィアが言い放つ。するとアルベールはちらりと私を見て、気まずそうな顔になり、頭を下げた。
「……それは確かにそうだ。すまない、シャルリー嬢」
「いいえ、とんでもございません……」
私は恐縮する。むしろ王子が他人に怒鳴っている姿よりも、自分に話しかけてきているということのほうが恐ろしいまであった。雲上人が雲の上で雷を生んでいようが隠れればいいが、自分と同じ地面に降りてこられては隠れようがないのである。
私たちはソフィアの家の庭園にいた。私がソフィアからお茶会に誘われて出向くと何故かアルベールが現れて、この糾弾が始まったのだった。
まだソフィアとアルベールは婚約者であるし、アルベールがリゼットと既成事実をつくったという話も聞いていない。小細工むなしくついにざまぁ展開が始まってしまったのかと私は思った。しかし、私の知っている物語では悪役令嬢の糾弾とは人目の多いところでやるもので、王子さまの隣にはヒロインがいるものなのだ。今、アルベールの隣にはリゼットがいるわけでもなければ、取り巻きがいるわけでもない。私は首を傾げて二人の様子をうかがった。
「それで、どうかなさいましたの、アルベール殿下」ソフィアが涼やかな声で言った。
「白々しい言葉を何度も聞かせるのはよせ。お前がアココの実を俺の飲み物や食べ物に混ぜているところを使用人たちが目撃している」
アココの実とは、乾燥させすり潰すと前世のココアに似た香りや味のする、この世界の果実である。以前一度食べてみたがココアそのもので、特に体への影響は感じられなかった。だが恋のまじない(媚薬)効果があるという噂がある。かなり高価なものなので噂に尾ひれがつくのだろう。
「アココの実の風味が素晴らしいから味わっていただきたかっただけですわ。ふりかける前に毒見役も通していますのよ」
「ああ、実に堂々とやってくれたな。おかげで聖女は恋のまじないに頼るほど婚約者とうまくいっていないのだという噂が広まっている」
「恋のまじない? アココの実にそんな効果があるのですか? 殿下はお忙しい方だというのに、恋愛ごとにお詳しいこと」
「ふん、『清らかな聖女さま』がそんなことを知っているはずがないというわけか? だが最近お前はやたらと俺とリゼット嬢を二人にしたがるし、そういう日にアココの実を持ち出してきていたのだろう?」
「まぁ、それではまるでわたくしが二人の関係を後押ししているみたいではありませんか」
何がなんだかわからないが、どんどんふたりが険悪な雰囲気になっていくので私は焦った。
「お待ち下さい! ソフィアさまはアルベール殿下の真意が知りたくてこのようなことをしてしまったのです! 愛する殿下が本当はリゼットさまと想いあっているのではないかと思って!」
私の上擦った声が庭園に寒々しく響いた。
「…………」
「…………」
ふたりは驚いたように黙って私を見ている。
王子と聖女の話し合いの邪魔をするなど不敬な行為だと遅れて気づき、私は慌てて王子の顔色をうかがった。……驚いているだけの様子だったので、すこしばかり胸を撫で下ろす。
今叫んだことは半分嘘なのだが、ソフィアの体面を保つにはそういう方面でいくしかないのではないかと考えたのだった。
ふいにソフィアは私の腕を改めて抱きしめて、さっと顔を隠してみせた。照れて顔を隠す淑女のように。
アルベールはそれを見て気まずそうな顔をした。
「ご、ご無礼を、お許しください……」
私が震えながら言うとアルベールはますます気まずそうな顔になった。
「いや、こちらこそすまなかった。今日は冷静になれないようだ。一旦退くとしよう……、だがソフィア、どういう意図があったにせよもうこのようなことはしないように。俺とリゼット嬢にはなにもないのだから」
「かしこまりました」
しおらしく、もしくは白々しくソフィアが頭を垂れる。アルベールはまだ色々と言い足りないという表情をしていたが別れの言葉を告げて去っていった。
咄嗟の嘘が思ったより効果的だったので私は驚いていた。――いや、ほんとうにそうだった可能もある。「真実の愛」がソフィアとアルベールにあるのだったらそれが自然なのだ。ソフィアとアルベールは口げんかをしていたが、けんかをするほど仲がいいという言葉もある。それに貴族同士の言い合いにしては言葉選びが素直すぎるように思われた。貴族として発言するならばもっと感情を隠すべきなのだ。
ちょっとした痴話げんか、犬も食わない、そういうたぐいの話だったのかもしれない。ケンカップルというやつなのかもしれない。
潮時ですわね、とソフィアが私を見て言った。
「シャルリーさまには色々とご相談に乗っていただきましたけど、この計画はもうやめたほうがよさそうです。申し訳ありません」
「私こそお力になれず……」
「色々と考えてくださったり情報収集してくださったじゃありませんか。それにたくさん話を聞いてくださいました。……シャルリーさまとはお友達ですけど、聖女じゃないと告げた時点で距離を置かれてしまうかも、と思っていましたのよ」
ソフィアはそこで言葉を区切り、高貴な貝紫色の瞳で私を見つめた。
「シャルリーさまはそれでもわたくしに微笑みかけてくださいましたね」
親しみを込めて微笑みかけられ、私も控えめに微笑み、頷きを返した。
私がそうできるのは友情からではない。彼女と心の距離を置いているからだ。彼女だけではなく、ただ一人の例外を除いて、どんな人間に対しても距離を置くように心がけているのである。否定も肯定も距離を詰めることにつながるので、私は何を打ち明けられても基本的に態度を変えたりしない。
だがそんな事実をソフィアに告げる必要はない。
ここから改めてお茶会をするのもなんなので、また今度と約束して私達は別れた。
後日私はルーカスのもとに足を運んだ。距離を置くことのできない唯一の例外のもとに。
「なにか心配事でもあるのかい、ルリ」
私のあだ名かつ前世の名前を使って呼びかけるルーカスは私の婚約者だ。王子に引けを取らない、いや私的にはそれ以上の美形だが、穏やかな表情と柔らかいはしばみ色の瞳が気持ちを和ませてくれる。ミルクティーベージュの髪は太陽の光を柔らかく取り入れて輝く。後光がみえる気さえする、私の唯一。
「ざまぁルートが消えた確証がないんです……」
私は気を落ち着けるべく目の前に置かれたミルクティーをひとくち飲んだ。ルーカスが唯一になってからというものミルクティーは私の好物だ。この世界の紅茶は前世の紅茶とすこし違う味わいなのだがそれにもすっかり慣れた。
「ルリの前世の物語では、『ざまぁ』をされると国が滅んでしまうのかい?」
私はルーカスにはぺらぺらとなんでも話してしまうため、前世のことも、本物の聖女はソフィアの姉のほう(らしい)ということも伝えていた。本来ならば頭のおかしい奴として判断されかねない発言もなぜかルーカスは受け入れてくれる。
「滅ぶこともあります。この国も教会に魔物を守ってもらっているそうですから心配で……」
「それについては心配いらないと思うよ」
「えっ?」
ルーカスが皿に乗ったクッキーを手にとり、私の口元に差し出す。親鳥に対する雛のように口をあけて甘味を享受した。今世の私は美少女だからこういったイチャつきも微笑ましいものになるのだ。
「聖女ひとりに結界を任せてるわけじゃないし、魔物については教会だけが頼りじゃないからね。軍隊だって日夜人々を守るために活動しているんだよ。結界は対人には効果がないから、隣国とのこともあって教会よりも軍のほうが権力が高いくらいだ。平民人気は教会のほうがあるけどね」
「まぁ……、そうなのですか。隣国との仲は良好だと聞いていますが……」
「軍がいるからこその仲だよ。それにリゼット嬢が聖女だとして、アルベール殿下と結ばれるのが幸せかというと……、どうかな」
「おふたりが好きあっているなら幸せなのではないですか? 平民ウケはいいでしょうから、王家的にもいいのでは?」
「殿下や聖女が一番相手をするのは平民ではなく権力者たちだよ。庶子では大変だろうね……、かつて平民で王家に嫁いだ人もいたようだけどストレスで精神を病んでしまったと聞いたよ。それを踏まえて平民を妻ではなく愛人にする貴族はいるようだけれど、アルベール殿下はそうしないようだね」
「はい。もしかしてソフィアさまはそれを探りたかったのかしら……」
私はソフィア側の話しか聞いていないので、リゼットやアルベールの気持ちなどわからない。ソフィアだってすべてを正直に打ち明けてた訳ではないだろう。
「私、勉強不足ですね。もっと学ばなければ。何がこの国の落とし穴になるのかもわかっていないのですね……」
「そんなに気負わなくてもいいんだよ」
「いいえ、ルーカスが幸せでいるためにルーカスの周りも平和であったほうがいいですから」
そう、私はソフィアのことも、リゼットやアルベールのことも、ひいては国のことも本当はどうでもいい。ざまぁされようが不幸になろうが一向に構わず、心乱されることは何もない。
しかしそれによってルーカスの平穏が脅かされるなら話は別だ。
私はルーカスを見つめた。ルーカスも優しい眼差しで見つめ返してくれる。私たちはしばらく見つめ合う。幼い頃からの習慣。
――この世界がもし原作のある世界だったとしても、国を乱すようなざまぁ展開は延期しつづけてもらわなくてはならない。
すべては私の唯一のために。そのためなら私は、どんな主人公も踏み台にする努力をするつもりだ。
良心が痛まない範囲で、ね。
数年前に書いて放置していたのを見つけて加筆修正しました。腹黒美少女萌えとケンカップル萌えで書いた覚えがあります。
読んでくださってありがとうございました。