静かなノイズ
夜の風が、少しだけ冷たくなっていた。
店を出ると、ガラス越しに映る自分がほんの少し遅れて動いた。
さっきまで笑っていた顔が、どこか知らない誰かの顔みたいに見える。
氷が解ける音が、耳の奥でまだ鳴っていた。
「ズレてるな…。」
思わず呟いた。
誰に言うでもなく、夜に吸い込まれていった。
スマホを取り出す。
ソラからのメッセージはなかった。
(いや、もう送る時間でもないか)
少し考えてポケットに戻した。
何かを確かめるように、胸の奥がざらついていた。
——―
家に帰る途中、赤信号がいつもより長く感じた。
風が一瞬止まって、世界が一枚の写真みたいに静止する。
音が消えた。
ほんの一瞬だったけれど、確かに”無音”があった。
耳を澄ませても、何も聴こえない。
その無音の中で、ソラの声だけが残っていた。
「例えば、気持ちがズレてたら上手に弾けても音には出るの」
あの子t場。
あの時は、何もわからないふりをした。
でも本当は、少し怖かったのかもしれない。
”ズレていたのは”、彼女の音じゃなく、自分の聴き方だったんじゃないか”
その考えが浮かんだ瞬間、信号が青に変わった。
まるで見透かされたようだった。
部屋に帰ると、ピアノのッ残響のように冷気が漂っていた。
暗闇の中で、自分の呼吸の音がやけに近く感じる。
呼吸のリズムも、音楽のテンポも、
どこかで少しだけズレていた。
それでも、世界は何事もなかったように回っている。
正しい音だけでできた世界は、きっとどこか遠くにあるんだろう。
でも、そこに行きたいとも思わなかった。
ズレたままでも、生きていける。
いや、ズレたままじゃないと、生きられないのかもしれない。
静かなノイズの中で、ようやく自分の音が聴こえた気がした。
修行中でした。




