血塗られた書状と偽りの勇者♡
――翌朝。
陽の差し込む石窓のそばで、ミラは魔界の草花を束ねていた。
控えめにノックの音が響く。
「ミラ。入ってもいいか?」
その声に、ミラの指がぴたりと止まる。
「……カイ様?」
そっと扉を開けたカイは、少しだけ照れたように立っていた。
「昨日、夢を見たんだ。
……昔、森で迷子になったときのこと」
ミラの瞳がわずかに揺れる。
「黒髪で、赤い瞳の少女に助けられた。……優しくて、あたたかい手だった」
「……え?」
「それが……お前だった。間違いない」
ミラは目を見開き、次の瞬間、手にしていた花束を落とす。
「……あの子、カイ様だったのね……!」
かつて魔界と人間界は、結界によって分断されていた。
だがミラは、人間界の草花が大好きで、時折結界を張り替え、人間の森へ入り込んでいた。
そこで出会ったのが、幼き日のカイだった。
「覚えてるわ…やっぱり、わたしの運命の人はカイ様なんだわ。」
目元に浮かぶ涙を隠すように、ミラは背を向けた。
「だからこそ、もう争わせたくないんだ」
カイの言葉は穏やかだったが、決意に満ちていた。
「…え?」
「……あの“密約の書”を、魔王に見せる。
真実を伝えたい」
「……ダ、ダメよ!!」
ミラが振り返り、思わず叫ぶ。
「お父様が人間から先に裏切られていたなんて知れば……もしかしたら、あなたを処刑するかもしれない!」
「それでも、俺は……真実を伝えたい!
今こそ、誤解と憎しみの連鎖を断ち切るべきだ!」
ミラは唇をかみしめる。
彼の覚悟が、本物であることはわかっていた。
「……なら、一緒に行くわ。わたしが、カイ様を守る。」
一方その頃、王国。
捕らわれたカイの処遇を巡る会議は終わり、“新たな勇者”を選定する準備が進められていた。
候補となったのは、かつてカイをライバル視していた冷酷な騎士・ゼクス。
王女の寵愛を受け、次代の英雄として仕立て上げられようとしていた。
「ふん……カイの裏切り。利用させてもらうさ」
ゼクスの笑みは冷たく歪んでいた。
――その日の夕刻。
カイとミラが魔王城の広間へ足を踏み入れると、そこには既に重々しい空気が漂っていた。
玉座に腰かける魔王デュランダルは、無言のまま一通の封書を手にしている。
その封は、王国の紋章で厳重に閉じられていた。
「届いたばかりだ」と、低く唸るような声。
デュランダルは書状を開き、にじむような筆跡で綴られた一文を読み上げた。
『魔王陛下へ
騎士カイ・アーデルの首を差し出していただければ、
我が王国は貴国との停戦に応じる所存です。』
――時間が止まったようだった。
広間全体が、沈黙に飲まれる。
「……なんてことを……!」
ミラが震える声を漏らす。
「一人の命で、何万の命が救えると……そう言いたいのね、王国はっ!」
カイが静かに言った。
「それが“平和”だと?」
デュランダルの瞳が、血のように光る。
「カイ・アーデル」
その名を、魔王は重く呼ぶ。
「貴様の首で、戦が終わるというのだ。
ならば、それもひとつの――」
「お父様!!待って!!」
ミラが叫び、勢いよく前に出た。
そして手にしていた、あの“密約の書”を高く掲げる。
「カイ様を差し出すくらいなら……これを見てくださいっ!!」
魔王は目を細め、ミラの手から書を受け取る。
ゆっくりとページをめくる指先に、やがて力がこもる。
記された過去の真実――
王国が交わしたはずの共存の契約を、一方的に破棄していたこと。
裏切りの始まりが、魔族ではなく“人間側”だったという事実。
デュランダルの手が震えた。
「……我を、欺いたか……!」
魔力が一瞬にして暴発し、広間の空気が歪む。
床の石が軋み、天井の燭台が震え、壁にかけられたタペストリーが音もなく崩れ落ちる。
「人間どもが……この我を、侮辱したか!!」
「お父様、違うの!!復讐じゃない!わたしたちは……!」
ミラの声も、怒りに呑まれてゆく。
「娘よ!お前までその人間に毒されたか!」
「違う!!あの書を見たでしょう!人間にだって罪がある。 でも、だからこそ争いを終わらせるべきなのよ!」
「そうだ」と、カイが叫ぶ。
「人間と魔族の誤解、憎しみの連鎖――もう終わらせたいんだ!」
だがその声に応じるように、外から――低く、魔王軍の出陣を告げる角笛が鳴った。
ついに、戦が始まる。
魔王は立ち上がり、黒きマントを翻す。
「ならば……決着をつけるとしよう。裏切りには、血をもって応える!」
その宣言は、開戦の号砲だった。
ミラは涙を浮かべ、カイのそばに駆け寄る。
「……わたし、絶対に止めてみせるわ。 カイ様がこの戦争の犠牲になんて、絶対にさせない……!」
カイはその手を強く握り返し、小さく頷いた。
「一緒に終わらせよう。今度こそ、本当に」
こうして、世界を揺るがす最終戦争の火蓋が――切って落とされた。