夢の森と密約の花園♡
――重なりそうだった唇の距離を、落ちてきた一冊の本が断ち切った。
カイは一瞬まばたきし、手元のページに目を落とす。
『第一次魔人戦争の真実――魔王と聖王の密約』
「密約……? これは……平和条約か?」
「……こんな本があったなんて……」
ミラの呟きに呼応するように、ページの文字が淡く光り出す。
そこにはかつて、魔王と聖王が交わした非戦の契約――
争いを避け、共に未来を築くための“共存の誓約”が記されていた。
だが、記録は続く。
その誓約は、王国側の“裏切り”によって、一方的に破られていたのだ。
「……そんな……聞いてない……!」
カイは拳を強く握りしめ、唇を噛んだ。
信じてきた正義が、音を立てて崩れ落ちる。
「どうして……なんで、こんなことに……!」
肩が小刻みに震える。
ミラはその横顔をじっと見つめ、そっとカイの手を握った。
(落ち込んでるカイ様を……なんとか、元気づけなくては!)
「……あのっ! カイ様。とびきりの元気回復法、知ってますの♡」
地下の厨房では、ミラが張り切って料理をしていた。
「できましたわ♡」
嬉しそうにおぞましい何かを皿に乗せて、跳ねるようにカイの前に差し出す。
「串焼きトカゲは、パリパリ感が命ですのよ!」
「…………」
「それとも叫ぶスープにします?
煮るたびに『アーーー!!』って魂の叫びを聞かせてくれるんですの♡」
「…………」
「……じゃあいっそ、私の首でも転がして差し上げましょうか♡」
「それは本当にやめてくれ」
どれだけミラが珍料理やブラックジョークを披露しても、
カイの瞳に宿る陰りは、消えなかった。
笑おうとしても、笑えない。
真実の重さが、心を覆っていた。
その夜――
カイは客間のベッドで眠っていた。
夢の中。
彼は、霧深い森の中を彷徨っていた。
――あれは、幼い頃。
剣術訓練の帰り道、森で迷子になった時の記憶。
泣きそうになったその瞬間、どこからか声がした。
『こっちよ。……泣かないで』
黒髪の少女。
血のように赤い瞳。
優しくて、不思議に温かい手。
それが――ミラだった。
目覚めたカイは、はっと息を呑んだ。
「……あのとき……ミラに、助けられてたんだ……?」
記憶が繋がる。
ばらばらだった思い出が、ひとつの運命のように形を成した。
そして彼は、深く息を吐いた。
「……魔族だけが悪いわけじゃない。争いを……終わらせなければ!」
迷いはもう、なかった。
その瞳には、静かで強い決意が宿っていた。
一方、王国――
玉座の間では、捕虜となった騎士カイの処遇をめぐる会議が行われていた。
「武力をもって奪還すべきだ!」「時期尚早だ。情報が不足している」「魔族の術にかかったのでは……?」
激論が交わされる中、静かに前へ進み出た男がいた。
白い聖衣に身を包んだ司祭――セント・モーデント。
その声は静かでありながら、議場の空気を凍らせた。
「――もはや、英雄騎士カイ・アーデルは“魔族の手先”となり果てたのです」
玉座の間に、重苦しい沈黙が落ちる。
物語は、新たな局面へと動き出そうとしていた。