初デートは拷問室で♡
「では……婚約者様には、おくつろぎいただかなくちゃ♡」
ミラ・ドラキュラは満面の笑みを浮かべると、ぱん、と手を叩いた。
その音に反応するように、牢の鉄格子がギィイ……と音を立てて開いていく。
「……おい、何のつもりだ」
「お部屋、変えましょう? 婚約者様をこんなところに閉じ込めておくなんて、乙女心が耐えられないの♡」
乙女心の前に、常識を持ってくれとカイは言いたかった。
が、言えば面倒になりそうなので黙って従う。
「さあ、こっちよカイ様♡ まずは軽くお散歩から始めましょ?」
どこが“軽く”だ。
案内されたのは、悪魔城の地下庭園。
空など見えないのに、なぜか咲き乱れる赤黒い薔薇。 ひんやりした空気の中で、花びらは鮮血のように艶めいている。
「この薔薇、私のお気に入りなの。 人間の涙で育てたのよ♡」
「……人間の……涙?」
「そう!もちろん“愛の涙”よ♡」
話が通じる気配がまったくない。
だがミラは、まるで普通の貴族令嬢のように、腕を組んで歩きながら言った。
「ねえカイ様、私ね、あなたにぴったりなスーツを用意したの。 私とおそろいで、ちょっとだけ吸血鬼っぽくしてあるの。あと、今夜は舞踏会を開こうと思ってて♡」
「舞踏会? こんな牢屋みたいなところで?」
「失礼ね。牢屋じゃないわ、地下のプリンセスルームよ♡」
……同義語だ。
(――けど、やはり俺を“婚約者”として扱い始めている)
カイは冷静に観察する。 罠の可能性も、計略もすべて見極めねばならない。
「ねえ……その顔…やっぱり…すぐに死にたいの?」
ミラがぴたりと立ち止まり、カイの前に振り向いた。
「違う。ただの警戒だ」
「じゃあ、こうしましょう」
ミラは唇をゆるく吊り上げると、いきなり手を伸ばして、カイの手をとった。
「本当に心赦せるまで、絶対に離してあげないんだから♡」
それはまるで、契約の印のような、冷たくて熱い握手だった。
(……これは、ただの言葉じゃない、甘い呪いだ)
カイは眉をわずかにしかめながら、その小さな手を握り返した。
だが、その奥では考えていた。
いいだろう、吸血鬼ミラ・ドラキュラーーその挑戦受けてやるよ。
この仮初の婚約に、どちらが先に堕ちるか勝負だ。
その戦いは、まだ始まったばかりだった。
「さあ!着いたわ♡ ここは一番のお気に入りの場所、拷問部屋よ♡」
ミラが両手を広げて、まるで舞台の幕を引くかのように言った。
天井から吊るされた鎖、壁に並ぶ拷問器具、赤黒く染まった床石……。
そこは幾万人の死を紡いできた死臭が漂っている。
「……っ…うぐ…ゲホゲホッ…」
カイは思わず餌付く。
「ねぇカイ様♡ 今日はここで、ふたりの初デートをしましょう? 私、あなたと一緒に“痛み”を共有したいの……♡」
そう言って、ミラはうっとりとした瞳で彼を見上げる。
――この悪魔城に、まともなものなど何もないのだと痛感する。
カイは静かにため息をついた。
(……俺の任務、絶対に忘れるなよ、カイ・アーデル)
婚約ごっこは、命懸けの駆け引きだ。
「ねえ、見て♡」
地下の拷問室でミラは嬉しそうに笑い、 目を輝かせながら斧を手に取った。
「わたしの愛の証に……この薬指をあなたにあげるわ♡」
「……は?」
スパンッ!
乾いた音とともに、赤い雫が飛び散る。 ミラの左手の薬指が、まるで薔薇の花弁のように舞った。
「これで……私たち、“婚約”よね♡」
微笑む彼女の手からは血が滴り落ち、床に赤い花を咲かせていく。
「おい、バカか!? なにやってんだお前!!」
「うふふ、だってあなたはまだ指輪もくれないんだもの♡ だから、わたしの方から差し出すしかないでしょう?」
痛みの涙どころか、嬉し涙を浮かべながら笑うミラ。
その狂気に、カイは背筋が凍る思いだった。
(……この女、想像以上にヤバい)
なのに――
「じゃあ次は、あなたの番ね♡」
彼女は、笑顔のまま血塗れの斧を差し出してきた。
カイは、ぐっと奥歯を噛みしめる。
目の前の吸血鬼姫は、嬉しそうに斧を差し出している。
薬指のない左手を押さえもせず、赤く濡れたその笑顔は、まさに――
愛と狂気の化身だった。
「……いいかミラ、俺はまだ死ぬつもりはない。 だから、お前の“愛”も、もう少しマシな形で示してくれ」
カイは一世一代の駆け引きに出る。
「えっ、指……嬉しくなかったの?」
「嬉しいわけないだろっ!!!」
拷問室に、全力のツッコミが響いた。
「……人間って、難しいのね」
「いいから、そのちぎれた指をどうにかしてくれっ!」
「わかったわ。残念だけど……」
ミラは素直に落ちた指を拾うとーー
「リジェネ・フィンガール♡」
血の滴る指先がポン、と元通りに。
「…これが、吸血鬼の魔術かっ…」
息をのむカイ。
「ふふっ、じゃあ、人間の“正しい愛情表現”を、教えてくださらないかしら♡」
――騎士と姫の“初デート”は、まだまだ終わりそうにない。