純愛宣言♡処刑待ちのあなたへ
翌朝、地下牢の空気はどこか甘ったるかった。
湿った石の匂いの中に、花の香水のような香りが混じっている。
カイ・アーデルは、静かに目を開けた。
眠ったのか気を失っていたのかも定かではない。
昨夜の出来事が夢だったのなら、どれほどよかっただろう。
しかし――
「おはよう、カイ様♡ 朝ごはん持ってきたわ♪」
鉄格子の向こうから聞こえてきたのは、あの高い声。
昨日の狂気と甘さをまとう、あの少女。
ミラ・ドラキュラ。
名乗るだけで王国民を震え上がらせる、吸血鬼の姫君。
だがその実態は、“恋する乙女”だった。
いや、少なくとも彼女自身はそう信じているらしい。
「今日のメニューはね、あなたのために特別に用意したの♡ 血のソーセージと、バターのたっぷり乗ったパンとスープよ。
どれも……人間たちにほっぺが落ちるって言われたわ♪」
にこにこしながら、彼女は一品ずつ紹介してくる。
トレイの上には確かに食事らしきものが載っていた。
「……それ、本当に人間向けか?」
「もちろんよ♡ さすがに内臓は抜いてあるから、初めてでも安心♪」
「…………」
カイは無言で壁に背を預ける。
昨夜のような“地鳴り”はない。
だが、彼女が何をしでかすかわからないという意味では、状況はまったく改善されていない。
「そうだ、今日はひとつ提案があるの♡」
ミラが両手をパンと合わせて、うっとりと微笑んだ。
「私たち、婚約しましょう♡」
言葉が空気を切り裂くように響く。
そして一拍置いて――
「……は?」
さすがのカイも、拍子抜けする。
「だって、処刑待ちってつまらないじゃない? だったら恋人になって、いっぱい思い出作ってから死んでもらったほうが、人生って豊かだと思うの♡」
笑顔のまま、彼女は言った。
天使のように無邪気な顔で、地獄のようなことを。
「俺の人生、勝手に終わらせるな」
「うふふ、じゃあ一生終わらせないように……吸血鬼にしてあげるわ♡」
カイは、この牢の中に“武器”がないことを、改めて呪った。
この姫は、理屈が通じない。 けれど、彼女の“愛”だけはやけにまっすぐで――
カイは天井を見上げた。
(……確かに、彼女のプロポーズを受ければ、ここから抜け出せるかもしれない)
もちろん、本気で結婚などするつもりはない。
けれど、“姫の婚約者”となれば、牢から出され、自由を得る可能性はある。
そこにわずかでも隙があるなら、魔王討伐の糸口になるかもしれない。
ただし、それは“彼女を騙す”ということだ。
この狂気に満ちたプリンセスを……
自分が捕虜にされたせいで、王国から多くの兵が失われた。
もうこれ以上、犠牲を増やすわけにはいかない。
「……その話、考えさせてくれ」
ミラの目がぱっと輝いた。
「ほんとに!? もう私、嬉しくて死んじゃいそう♡ ……あ、吸血鬼だからめったな事じゃ死なないけど♪」
くるりとスカートを翻し、踊るようにその場で回るミラ。
「わたしの初恋…純愛を貴方様に捧げます♡」
ミラはスカートの裾の端を、その細くて白い指先で軽くつまむとカイに深くお辞儀する。
その姿はまるで、恋する少女そのものだった。
けれどカイの心には、警鐘が鳴り止まなかった。
(気を抜くな。これは婚約ではなく、“監獄”だ)
囚われの騎士と、狂気のプリンセス。
この牢の中で始まった奇妙な駆け引きは、やがて世界の命運すら巻き込むものへと変わっていく――
そのことを、まだ誰も知らない。