序
――僕は、君を幸せにしてあげられないよ。
うっとりするような妖しい紅い瞳を細め、あの人は遠い目をしていた。
でも、まなざしは残酷なほどにやさしくて。
どこか、ひんやりとした空気がキラの肌にまとわりつく。
キラはゆっくりと歩きながら周囲を見渡した。日の光は生い茂る木々がありでほとんど入っていない。そのせいか、昼の森なのにどこか薄暗い。生まれてきてからずっと慣れ親しんできた森のはずなのに、まるで初めての場所を歩いているような感覚にキラは違和感を感じた。
「………………?」
不意に視界に入ってきたそれを見て、キラは足を止めた。
「あ……」
それは、奇妙な、そしてどこか妖しい雰囲気をまとっている木――だった。
キラの背丈より遥に高いその巨木はうっそりとキラより三歩離れた距離にある。恐らく、この辺りの木で一番古い木なのだろう。幹の太さは大人が数人手を繋がなければ届かぬ太さだ。樹皮のほぼ全体に緑色の苔が生え、ツタが絡み合い、不思議な影をキラの足元に落としている。
そして何よりキラの目をひいたのは巨木の、丁度キラの目線をより少し上のあたりに結びつけられている、白い勾玉だった。赤い編み紐で幹に結び付けられているそれは、変哲もなにもないただの石に見える。
キラはそっと木に歩み寄って勾玉を眺め、少し躊躇ったがそろりと勾玉に手を伸ばし、触れた。
ひんやりとした、石独特の冷たい感触を指に感じたキラは反射的に手を引っ込かけ、ふと勾玉を凝視した。
「……!?」
勾玉がいつのまにか、淡い虹色の光を放ちはじめていた。禍々しいたぐいのものではなく、その光はどこか優しい。勾玉の、キラの指が触れている部分はほんのりと温かくなっていた。光は、キラの目の前でどんどん広がってゆく。
「え?」
キラは急に感じた、背筋を這うぞろりとした感触に肩を震わせた。対照的に虹の光は輝きを増し、いまやキラの視界いっぱいに光は広がっていた。
そして。
キラは、己の身体が何かに引きずられたのを感じた。
――キラは、自分が何かに宙に放りだされたのを感じた。
身体が地面に叩きつけられる覚悟をし、ぎゅっと目をつぶった直後、水しぶきが上がった。
――え?
水の中でキラは呆然とし、だんだん息が苦しくなったので慌てて浮き上がって勢いよく顔を出した。
どうやら浅瀬だったようで、七歳のキラでも立てるほどの深さらしい。
「ふう……」
ぬれねずみになった自分の衣を見下ろして溜息をつくと、キラの耳に聞きなれぬ、そしてどこか面白がっているような響きを含んだ声が届いた。
「――あれ?君、どうやってここに入り込んだんだい?」
新作です。<リンダの翼><聖戦ロイア>と同じく<双狼大陸>が舞台の物語。
二作に比べてファンタジー色が強めです。
登場予定人物
キラ:主人公。<森ノ民>の少女
シリウス:ルスタ神と人間の女シリアの子。半神
アルフュス・ウォルフル:???