青空にさよならを
十年後にこの桜の木の下で。華が散ったあの日に親友と二人、約束をした。二人分の華を散らすなら、散ってしまったことを惜しまないだけの何かが欲しくて、親友と二人、桜の木の下に死体を埋めて、不確かな未来の約束をした。
二人で死体を埋めた日から九回の冬を過ごした。あの日、どんなに時間が経っても親友だと思っていた私とあの子はいつの間にか疎遠になっていた。あの子はまだ覚えてくれているのだろうか。私と埋めたあの死体のことを。私はあの死体の片鱗を未だに捨てることが出来ずにいる。華はとっくに散ってしまって、新たな葉を身にまとっているというのに、散っていった華の破片を集めて大事に抱えて手放せないまま時を無為に過ごしている。もうすぐ約束の日がやってくる。彼女はあの木の下にやってきてくれるだろうか。連絡はない。私のスマホは彼女からの知らせを鳴き伝えてくれはしない。
彼女は今、どうしているのだろうか。キャリアを築いているのだろうか。それとも結婚しているのだろうか。子供がいるのだろうか。元気に生きているのだろうか。私は何も知らない。何一つ彼女の現状を知ることが出来やしていない。拝啓、あの頃の親友へ。なんて副題をつけながら文字を書いてみても結局矢印型のボタンは押せないまま、無残にも時は流れていった。
久しぶりにやってきた地元は懐かしい空気とともに真新しい、自分が知らない空気をまとっていた。彼女とともにふざけて歩いた通学路を一人なぞっていく。視界の端に映った桃色に笑みをこぼしながら私は、あの日の記憶を思い出していく。あの日の私は、こんなにも過去を愛しく思うことがあるなんて考えてはいなかった。華の破片を手放すことが出来ていない私を彼女はなんていうのだろうか。
死体を埋めたときに目印にした桜の木は、通学路にある小さな公園の中にある。私はだんだんと近づいてくる公園に胸の高鳴りを抑えられないでいた。懐かしさの残る曲がり角。そこを曲がった先にあるのは、あの公園だ。
小さな公園の中。未だに残されている僅かな遊具たちに私はいつの間にか詰めていた息を吐きだした。視界の端に映る桜の木。見える範囲に人はいなかった。時間の約束もしていないのだから彼女がいないことも当然かと落ちていく心をどうにか留める。少しだけ、少しだけ彼女のことを待とう。公園内に置かれたベンチに腰を掛けながら私はスマホを取り出した。やはりそこに知らせはなかった。時間つぶしにと開いてみたアプリも彼女のことが気になってろくに時間なんてつぶせやしない。公園を出入りする人を見かけるたび、彼女の可能性に縋ってしまい落ちつくことすらできなかった。
私が公園に到着してからおよそ一時間。私は少し迷って、彼女が来るのを待つことを諦めた。
私は、私だけであの日埋めた死体を掘り返すことを決めた。持ってきていたシャベルをカバンから取り出して、桜の木にそっと近づく。記憶を頼りに埋めたはずの場所をまっすぐに掘っていく。指先が埋まるくらいの深さまで掘ったところであの日埋めた死体の欠片が見えた。当時埋めた位置からほんの少しずれてしまっていたらしい。もしくは十年の中で私が私の記憶の位置をずらしてしまったのかもしれない。くだらないことを考える自分の頭に笑いながら、私は死体を掘り起こす。私と彼女が埋めた死体はほんの少しの錆をつけただけで変わらぬ姿をしていた。
懐かしさを感じながら死体についた砂を掃い落とす。死体を掘り起こすまでにそれなりの時間がかかったにもかかわらず、彼女はまだ現れない。私の携帯も何も言わなかった。
大した仕掛けなどあるはずもない死体をゆっくりと開いていく。そこには少し黄ばんだ封筒が二つと、それらよりも少しきれいな封筒が一つ入っていた。二つの封筒は死体を埋めたあの日、私と彼女が未来の私たちに宛てて書いた手紙だった。しかし可笑しい。あの日書いた手紙を入れた封筒は四つだったはずなのだ。それぞれが未来の自分と未来の互いに向けて書いた四つの手紙。しかしここにある封筒は三つ。よく見れば封筒に書かれた宛名は三つとも自分の名前で私は嫌な予感が現実にやってくるように感じた。
嫌な予感を振り払うように私は黄ばんだ封筒を手に取った。二つの封筒の内、自分の筆跡の面影を感じる封筒の封を開けた。そこに書いてあったのは、なんてことない未来の自分に夢想と心配を述べただけの手紙だった。今の私がさらに未来の私に書いても大差ないものになるだろうと思える内容に今の自分が過去の自分から全く進化していないように感じて呆れてくる。こんなもの、と私は自分からの手紙を乱雑に放り、もう一枚の過去の彼女から送られてきた手紙を手に取った。
過去の彼女の手紙には打ち明けられてない秘密があること、そしておそらく見知らぬ封筒が一つ増えているだろうことが書かれていた。過去の彼女では話すこと、ましてや書くことさえできなかった秘密が一つだけあると、その手紙には書いてあった。きっと見慣れない封筒に入れた手紙には書いてあるはずだから、彼女の手紙はそう締めくくられていた。
二つの手紙を読み終わった私は、見慣れない、少しきれいな封筒を手に取って封を切るべきか悩んでいた。ここに書いてあるのはきっと、私にとって本当の意味での死体だろう。開きたくない。開かなければ私はこの死体を知らないでいられる。しかし華の破片に縋っていきてきた私にとって、華である過去の彼女の言葉を無視することはできなかった。
そっと封が切られた封筒。そこに綴られていたのは華の彼女よりも少し変化した、彼女自身が変化したことがわかる文字列だった。
書き出しには今日という十年の約束を守れなかったことへの謝罪が書かれていた。そして勝手に自分宛ての手紙を持っていたことへの謝罪も。そこから先には華の彼女が書いていた秘密、というのが書かれていた。私にとって華であった彼女はずっと死にたい思いを隠して私と親友だと言っていたらしい。正確には生きていたくない、であったらしいが。それでも生きていたのは死ぬ勇気がなかったからだと、そこには述べてあった。相談しようにも彼女自身が言語化できていないことを私に伝えられるわけもなく、あの日の手紙には書けなかったそうだ。
生きたくなかった、でも死ぬ勇気もなかった彼女にとって変化が訪れたのは片親だった彼女の親が亡くなってしまった時だという。ろくに頼れる親戚のいなかった彼女にとって親の死は、彼女が天涯孤独になった瞬間であり、最大の心の拠り所であった存在を失った彼女が絶望へと運ばれることが決定した瞬間でもあった。彼女にとって生きたくない、が明確に死にたいに変わった瞬間らしかった。
それでも彼女自身が死んでしまっては親に面目が立たないと思い直し、私に助けを求めることで生きようとしていたらしい。しかし、助けを願う文字を打ち込むたびに寂しさや虚しさが心に募ってしまい、書き上げることも送信のボタンを押すこともできないまま諦めてしまったそうだ。幾度かの再考と諦観の繰り返しの中で、諦観が強くなってしまった彼女は、未来で約束をした私に何も言えないままであることを少し申し訳なく思い、消えてしまう前にこの手紙をあの日埋めたタイムカプセルの中に入れることを思いついたと、書かれていた。自分宛ての手紙は残したままでもよかったが、どうせなら読まれないまま終わるよりも死ぬときに一緒に持っていって死ぬ前にでも読もうと思ったからなのだとか。
色々なことが書かれた手紙を読み終わった私は知らない彼女だらけだったはずなのに心の隅で、やっぱり、と思った。気づかない振りをしていた。知らない振りをし続けたかった。けれど、まめに返信をくれる彼女が、元気がないのではないかと心配を綴った私のメッセージになにも反応しないまま一日、三日、一週間……と過ぎていくうちにいなくなってしまったのだと、気が付いていた。それでも華だった彼女に縋らないと生きていられなかった私は疎遠になっただけ、彼女には彼女の生活があるだけだからと、見ない振り、気づかない振り、知らない振りをし続けたのだ。これはきっと目を逸らし続けていた私への罰なのだろう。
華だった彼女はもういない。
それだけが真実だった。とっくの昔に誰もいなくなったトークルームを大事に、大事にしているのは今日で終わりにしよう。データが亡くならないようにと新しくすることをためらっていたスマホも今日を限りで別れを告げよう。私はもう華に縋るのを辞める。いつまでも花に隠れて縋っている幼虫ではいられないのだ。成虫にならなくてはいけない時が来てしまったのだ。
けれど今日は、今日だけは。華の茎にくっついて成虫になる準備をしよう。幼虫だったころを忘れるための前準備。
さようなら、私の親友。
さようなら、大切だった私の華。