3-08 翠玉の事件簿 〜魔導人形は見た! 欠けた遺体の真実〜
新人の“流浪騎士”アキムは、ブラン辺境伯の息子・ディルクの婚儀を執り行うため、彼の別荘へと赴いた。
婚儀を7日後に控え、彼の別荘で事件が起こる。
一人は右腕を、一人は左腕を失っての、密室殺人だ。
“流浪騎士”は司法権を持つため、アキムは新人ながら、犯人探しもすることに……
そこでディルクは、特級魔導師で魔導造形師のニクラスに、監視ができる魔導人形の依頼をしろという。
執事・ヘルマンと共に、アキムもニクラスの元へ訪れるが、犯人を探すべく送り出されたのは、まだ齢14の彼の愛娘・ミアだった。
7日後にあるディルクの婚儀までに、事件を解決しなければならない。
果たしてアキムとミアは、特別仕様の魔導人形たちと共に、犯人を探し当てることはできるのだろうか?
──貴方はこのツギハギの結末に、きっと慄えるはずだ。
「ニクラス様、特級魔導師であり魔導造形師であるお力を、次期領主ディルク様のために、どうかお貸しください!」
煩雑な広い工房に、ぽつんと置かれたテーブルを挟んで、執事のヘルマンは呼吸すら惜しいほどに懇願していた。
だが当のニクラスは、未完成の魔導人形と並んで腕を組み、静かに唸っている。
それに気にもとめず、一方的にヘルマンは語る。
「あなた様の魔導人形なら、連続殺人鬼すら簡単に見つけられます!」
ニクラスは無言を埋めるように飴色の髪をかきあげ、苦く笑った。
傷痕の多い色白の左手だが、妻帯者の印である指輪はない。
見た目は40代前半。長い前髪が左目の眼帯を隠していたようだ。
あの目の傷は、8年前の国境戦争のものだろうか?
「頼みますよぉ。ディルク様の婚儀が7日後に控えてるのですぅ」
頷きもせず、足を組みかえた彼のズボンに皺はない。
魔導人形が彼の生活を少なからず支えているのが伺える──
アキムは熱弁するヘルマンの後ろに立ちながら、工房主のニクラスを眺めていた。
断る口実を探すニクラスに対し、諦めないヘルマンを見て、だんだん苛立ちがわいてくる。
(検死の続きがしたいなぁ……時間がもったいないよぉ……)
公平を謳う聖イジュス騎士団、通称“流浪騎士”であるアキムは、今年18歳となる新人騎士だ。
本来であれば、彼であっても容易い案件だった。
しかし現在、とても厄介なものになっている。
──ことの発端は、7日後のディルクの婚儀に関わる。
ディルクは、ラシャ帝国の辺境伯であるブラン卿の一人息子だ。
ブラン卿が治める渓谷をはさみ、となりに位置しているのが、小国ながらも高級織物貿易が盛んなリティン王国である。その国王の二女・マリーと、ディルクはこの度、婚姻を結ぶことになった。
両家の繋がりは今後の領土問題の解決に欠かせないのはもちろん、リティン王国にとって貿易を拡大する好機となる。
そこで流浪騎士の出番だ。
イジェス教では、国と国を跨ぐ婚儀には、司祭よりも流浪騎士が執り仕切る慣わしがある。
平穏な両国での婚儀なら、新人でも執り行うのは易しいとアキムが選ばれた。
……ここまでは良かった。
アキムがディルクの別荘に来たのは7日前、同時にマリーも別荘へ到着した。
アキムは、婚儀に関わる二人の禊ぎの準備のため、マリーは、ウェディングドレスの調整も兼ねてだ。
気難しいディルクと禊の準備を進めること4日後、事件が起こる。
右腕を失い亡くなっている侍女が密室で発見されたのだ。
さらに翌日、またも密室で、侍女が左腕を失くした状態で亡くなっていた……
流浪騎士は司法権を所有する。
そのためアキムは犯人探しもすることになったのだった──
「1日で構いません!」
ヘルマンは、ニクラスを絶対に連れて帰る気でいる。
ヘルマンにとってディルクからの命令は絶対なのである。
短気で偏屈なディルクの元に、何の成果もなく帰るなど、自殺行為そのものだ。
だがニクラスは断る気なわけで……
もどかしい気持ちで眺めていると、アキムの足元で何かが動いた。
『邪魔だな、こいつ』
アキムの革靴にじゃれる灰色の猫がいる。
こてんと転がる姿があまりにかわいく、アキムの顔がほころんでしまう。
ふと、猫がアキムを見上げた。
だが、アキムはつま先を猫から瞬時に遠ざける。
緑の目が、顔の中央に、たった1つしかなかったからだ。
さらに──
『俺っちの声、聞こえてたりしねーよな?』
「はぁ?」
アキムは口元を抑えるも、ヘルマンに睨まれ、脇腹をつつかれる。
「流浪騎士であるアキムがお守りいたします」
「こ、この身にかえましても」
アキムは応えつつ、床に目をこらす。
だが猫の毛1本、影すらも見当たらない。
連日の睡眠不足で幻覚でも見たのだろうか……?
眉間をもむアキムの前にティーカップが置かれた。
黒いレースをまとう腕を伝って、華奢な少女と視線がぶつかる。
「薬草茶ですわ」
少女を見たアキムは硬直した。
レースのフードからこぼれた銀髪は絹のよう。
陶磁器のように青白い肌に浮かぶ薄紅色の唇は春に咲く花びらだ。
なにより年下のはずなのに、少女の紅色の瞳から色気が止めどなくあふれている──
「あ、ありがと」
慌てて体裁を整えるアキムだが、彼女はアキムから視線を離さない。
ニクラスが小さく咳払いをした。
「ミア、失礼だぞ」
「ごめんなさいませ、お父様。でも、ひと目惚れですわ、騎士様の瞳に!」
彼女がニクラスの娘ということに驚きながら、アキムは怯えた表情で顔を伏せた。
だがミアは回り込むと、優しくアキムに微笑する。
「騎士様の瞳は深い湖の色のよう。美しいですわ……」
アキムは大袈裟にミアに背を向けて、胸元で揺れる翡翠のペンダントを握りしめた。
(魔術で目の色を変えてるの、バレてる……?)
イジェス教にとって、緑の目は悪の“深淵色”として禁忌であり、場合によっては処刑の対象にもなる。
だが、これさえなければ、アキムはただの冴えない男になれるのだ。
人より注意力が散漫で、少しだけ物覚えがいい、ただそれだけの男に。
アキムは戸惑いと一緒にカップをあおったとき、ニクラスがぽんと膝を打つ。
「ミア、アキム様についていきなさい」
「本当ですか、お父様」
ミアは嬉しそうにその場でくるりと回って跳ねあがった。
少し幼稚な喜び方に驚くも、今回の事件は少女が担当すべきではない。
一方、ヘルマンは、ニクラスにお辞儀と握手を求めている。
アキムは焦りながら、ヘルマンに声をひそめて問いただした。
「連れて行く気ですか?」
ヘルマンは、それがなんだと言いたげだ。
「ヘルマン殿、犯人を探すため、魔導人形を監視役にできないかと来ましたが、ミア殿は、その、……それこそ経験者を」
「適任ですわ」
アキムの言葉をさえぎり、ミアは言い切った。
「わたくし、魔導人形の操作はお父様より優れていてよ。それに一度お会いして見たかったの。人が人を殺せる人間って……」
バラが咲いたようだ。
見開いた紅い瞳が鈍く光る。
「わたくし、知りたくてよ」
アキムの背筋が粟立った。
未知の畏怖が肌を撫でてくる。
だが同時に、快感も這い上がる彼女の魅力に、アキムは息を飲む。
「用意してまいります」
ミアは軽い足取りで工房の奥へとひっこんでいく。
ニクラスは閉じた扉を見やり、心配そうに目を細めた。
「アキム様、ミアにはひと通りの魔術、教養は身につけさせておりますが、ここから出たことがなく……。まだ14の身。寛容にみていただきたい」
「私も18で、新人ですので」
「18歳で聖騎士団員とは! よりミアを安心して任せられます」
アキムは下手な笑顔でごまかした。
自分が騎士になれた理由を知ったなら、ニクラスはどんな顔をするだろう。
娘を任せるなど、絶対に言わない。
だからこそ、この身にかえてもミアを守らねば……
アキムは心の中で神イジェスに誓い、剣の柄を強く強く握りしめる。
「──用意、できましてよ」
数十分して、ミアは大きな鞄を2つ、右と左に持って現れた。
アキムは駆け寄り鞄に手を伸ばすと、ミアは赤い革鞄を手渡してくる。
「黒鞄は触らないでくださいまし。私の愛おしい妹たちがおりますの」
「わかりました、ミア殿」
「あら、アキム様、わたくしのこと、ミアとお呼びになって」
彼女はそう言い、父親の前で膝をつく。
「行ってまいります」
「ミア、アキム様の手と足に、そして目となりなさい」
「はい、お父様」
工房から颯爽と歩き出したミアだが、まっすぐ馬車に向かっていく。
アキムは早足で彼女の背を追いながら太陽を見上げた。
到着は正午を過ぎそうだ。
「ではミア、ペガサスの馬車だけど、到着はお昼過ぎだと思う。大丈夫かな?」
「狭い所に座るのは慣れてましてよ」
彼女の足に、棺桶のような長方形の黒鞄が乗っている。
荷台に積めないほど大事なものなのだとアキムは読み取ると、触れないよう窮屈なとなりに腰をおろした。
「出せ」
ヘルマンのひと声で、従者の鞭と同時に、ペガサスの大きな翼が羽ばたきだす。
馬車が軋む音をたてながら、ゆっくりと浮きあがった。
瞬く間に工房が豆ほどになるが、ミアは平然と座ったままだ。
歓声でもあげるかと思ったが、黙ったままのミアの姿にアキムは困惑していた。
ミアの心が、まるで読めないからだ。
女性らしくもあり、どこか子どもらしくもあり、なにか歪なものを少女の形にしたように感じてしまう。
不意にミアが、アキムに向いた。
「ご不安かしら」
アキムは自分の指先を絡めてこぼす。
「……ちがうんだ。君の心が少し見えづらくって」
「それほどわたくしのことを? 感動ですわ」
ぐっとアキムの鼻先にミアの顔が寄ったとき、ヘルマンの鞄から鈴が鳴る。
高級魔道具である伝石の通知音だ。
対となった魔石板を通して、魔石インクで書かれた文字を送ることができるのだが、ヘルマンは届いた文字を睨み、顔を上げる。
「……庭で、3人目が見つかった」
従者に怒鳴るヘルマンをよそに、ミアは恍惚の表情を浮かべながら、まだ冬から目覚めたばかりの森を眺めている。
「……どんな殺人鬼なのかしら……」
アキムの首筋がぞくりと逆立った。
これからの7日間、おぞましくも美しいものになると、アキムは確信した。