3-06 悪役令嬢は訳アリ王子を化粧沼に墜とすみたいです!
化粧品メーカーに勤める七条愛美は、交通事故に巻き込まれて転生してしまった。
彼女が転生した先はルージュ・マキュアーズという悪役令嬢だった! しかも転生したタイミングが最悪で、告発され追放される真っ只中!?
その最中、とある令嬢(?)に気に入られてしまい、愛美の人生が大きく変わることに────。
可愛いは正義! 化粧を駆使して成り上がってみせます!
「新作の試供品貰っちゃった! 化粧は可愛くなれる魔法のアイテムだよね! 帰ったら早速試しちゃお~!」
七条愛美は上機嫌で会社から飛び出した。とあるロゴが印刷された手提げ袋は、彼女の感情を表現して振り子のように左右へ動く。
「部長も太っ腹だよねぇ。オイルタイプと乳液タイプの二種でほんのり香る柑橘系! このリップもブルべ肌の私に合うから楽しみ~! こっちの────」
その時だった。
クラクションが鳴り響き、信号無視したトラックが横断歩道上の少女へ迫り────手提げ袋が地面に落ち、中身が溢れる。
「危ないっ」
直後、全身を襲う凄まじい衝撃と共に、愛美の視界が暗闇で覆われる。
小柄な少女を突き飛ばしたことや、自分を轢いた運転手の経歴に傷が残る罪悪感を抱くが、不思議と少女を救えた満足感が残っていた。
そして、助けた少女が端正な顔立ちだったと思い出し、成長した彼女は化粧でさらに可愛くなるだろうなど、期待で胸弾ませ……目を覚ました。
「────だ」
「え?」
先刻まで暗闇だったため、突然の眩い空間へ視界が混乱する。いや、純粋に明るい空間ではない。
愛美は慌てた様子で周囲を見渡した。
値段が想像できない高価な装飾の施されたシャンデリア。室内の至る箇所に設置された黄金の装飾品。パーティ会場だろうか、テーブルに並んだ豪華な料理と年代物のワインボトルと、ドレスコードに身を包む貴族たち。
そして、国宝級の金髪碧眼長身イケメンが怒りにて顔の価値を低下させ、その視線の先に立つ愛美。
嫌な予感が脳裏を掠める。
「聞こえなかったか? ならばもう一度言ってやろう。俺は────ギアツ侯爵子息ことウルド・オルティネイトはルージュ・マキュアーズとの婚約を解消し、貴殿の妹御であるアイシャ・マキュアーズとの婚約をここに発表する!」
愛美は『ルージュ』と指差される。
どうやら、一部で流行りの異世界転生というやつに巻き込まれ、愛美はルージュという女性に転生してしまったらしい。確かに、トラックに轢かれて生きている方がおかしいため、愛美ことルージュは事態を把握した。
そして、金髪碧眼長身イケメンことウルドが声高らかに宣言すると、数秒遅れて会場内にどよめきが広がる。
彼らの混乱を諫めるように、ウルドの後方から朱色の髪を靡かせる女性が姿を現した。
「皆様、混乱を招き申し訳ございません。私は先ほど名前が挙がりましたアイシャ・マキュアーズと申します」
アイシャは見惚れるほど美しいお辞儀をする。
彼女が放つ威光に言葉を失ったのか、会場のどよめきはすぐさま収まった。
それにしてもアイシャはなんと小動物のように可愛らしい女性なのだろうか。ピンク系のチークを下地にし、アイラインを整えれば、リス顔メイクなんて似合うかもしれない。なんという原石が眼前にいるのか。
……などと、ルージュは緊張感のない妄想を膨らませ、涎が零れないよう細心の注意を払っていた。
しかし、彼女の態度が余裕そうに感じたのか、アイシャはルージュのみに見える角度で睨む。先ほどまで「アイシャにこの化粧が似合いそう♪」などとお気楽に構えていたルージュも、流石に背筋が凍った。
「本来であれば、ウルド様と我が愚姉ルージュの婚約発表のためにお集まりいただきました。しかし、ルージュは秘密裏にウルド様が所有する資産を横領していたのです! 他にも──」
アイシャが次々と、ルージュがしてきたであろう悪行を暴露し、会場内にどよめきが燃え広がる。
騒がしく思ったウルドがマントを翻して視線を集めた。公爵子息に相応しいカリスマ性溢れる姿である。
「俺は勇気を振り絞って告発してくれたアイシャに惚れた! 元よりルージュは、地位に溺れ傲慢な態度が目立っていた。マキュアーズ家の令嬢を嫁に貰うとの約束で長女のルージュと婚約する予定だったが、それは彼女でなくアイシャでも約束を違えたことにはならぬ!」
「さっさと私たちの視界から消えて下さい、お姉さま? うふふっ」
「………っ」
場の空気に耐え兼ね、ルージュはパーティ会場から逃走した。汗で化粧と髪が乱れ、美しく変身したルージュの魔法が解けていく。
その屈辱が胸へ突き刺さり、背後にのしかかる数多の視線たちは首筋まで這い回り、彼女の首を絞めるような気分の悪さだった。
エントランスの扉を蹴り開け、見知らぬ異世界の土地……ルージュの記憶を持たない愛美は、どうにでもなってしまえと自暴自棄になりながら走った。そして、気が付けば咲き乱れる薔薇庭園の中央に位置する、噴水の淵へもたれ掛かっていた。
「異世界にもこんなに綺麗な場所があるのね……。ルージュが善行をしてたら、もっと綺麗な光景に思えてたのかな……」
ポツリと呟いて、噴水の水面を覗き込み、反射した自分の顔を確認した。
涙と汗で顔がぐしゃぐしゃになり、折角の美しい顔が、メイクが台無しである。ルージュがどんな悪行をやらかしたか、転生したばかりの愛美に知る由もないが、先刻の居心地の悪い空間に疲弊し、無意識に涙が零れていたのだろう。
「メイクは女子の魅力を引き出す魔法……なんだけどな、あはは────ん?」
深呼吸して薔薇の空気を吸い込み、周囲を見渡し……東屋に腰をかける容姿端麗な令嬢と視線が交わった。絹のように滑らかな銀髪と、ルビーを嵌め込んだような瞳に目を奪われた。
彼女も不思議そうに見つめ返しており、自身の頬が徐々に熱くなる感覚を覚える。しかし、自分の状況を思い出して我に返った。
自分の泣き顔を凝視させてしまったことに罪悪感を抱いたルージュは、恐る恐る彼女へ近付いた。
「お、お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません……」
「…………」
失敗した、とルージュは思った。
それはそうだ。先程まで泣きじゃくってた悪名高い自分が突然接近し、どもりながら謝罪するのだ。怖いを通り越して不審者である。
銀髪の女性は少し沈黙し、口を開いた。
「君は僕が怖くないのかい?」
青年の声だった。
どこか儚げで幻想的な麗人は、女装した青年だった。
ルージュは眼前の情報を理解するまで、多少の時間を要した。その様子が面白かったのか、青年は皮肉交じりに笑う。
「君の反応から鑑みるに、『気味が悪い』より『知らなかった』といったところかな? おかしいな、自分で言うのもなんだけど、僕って悪い意味で有名人なんだけど────」
「きっっっれいいぃぃぃぃ!!!」
「え?」
ルージュは瞳を輝かせ、黒い手袋で覆われた彼の手を握っていた。
「え、お人形みたいに綺麗な色白肌……毎日のスキンケアを欠かしてないのね。うっそ、ファンデしてないし、ビューラーもしてないのにここまで綺麗なの!? シャドウと口紅だけかぁ。はぇ~、二重なの羨ましい……すげぇや。ピンクオークル系とか似合うだろうなぁ」
「待て待って、待ってくれ。君はさっきから何を言ってるんだ」
彼が秘める美のポテンシャルが刺さり、興奮して饒舌になったルージュはじゅるりと涎を垂らし、はしたなくドレスで拭った。恐らく令嬢に転生したことを忘れている。
彼女の圧に後ずさりする青年は、優しくルージュの手を離して質問した。
「君は僕が……オリビス・ヴィルヘルムが気味悪くないのかい? 呪いの子と呼ばれる僕が……怖くないのかい?」
「怖い? どこが? 私はあなたが綺麗で可愛いと思ったから、素直に感想を述べただけよ!」
「これを見ても?」
オリビスは戸惑いを隠せない様子で、やや眉間に皺を寄せつつ手袋を脱ぎ、近くの薔薇を一本手に取った。
直後、薔薇は一瞬で枯れ、残骸が東屋の机に落ちると同時に塵と化した。
「僕が手に触れたものは、こうして死んでしまうんだ。まるで僕の家系に泥を塗りたい輩が施した呪いのようにね。それに生まれつき病弱だから、死神が魂を刈り取る性別を誤認させる魔除けの意味で、昔から女装も命じられている。要するに、僕は関わっちゃいけない変人なのさ」
説明が終わると、オリビスは華奢で綺麗な手を隠した。彼にとって、余程見られたくない部分に違いない。
「……手に触れたら死ぬから何よ」
「え?」
「今はネガティブに捉えてしまうかもしれないけど、その力はあなたの個性なんだし、いつかポジティブに考えられるかもしれないでしょ? 私にとって、オリビスは化粧でもっと可愛くしたい、たった一人の人間よ」
「…………っ」
ルージュの言葉へオリビスは沈黙した。
何かまずいことを言ってしまったか、とルージュの内心に焦りが翳ると同時に、オリビスが明るい笑顔で翳りを吹き飛ばしてしまった。
「あはははっ、噂に聞いてたルージュ・マキュアーズよりも面白いね! 気に入った、僕と手を組もう!」
「え? どういうこと?」
「先刻の妹君の告発を聞いていたが、一部は濡れ衣だろうね。父君も動揺してなかったみたいだし、全員グルだろう」
まさか肉親の裏切りだったなんて。
ルージュの中で沸々と怒り込み上げる。
「私、あいつらをぎゃふんと言わせたい!」
「よし、契約成立だね。改めて自己紹介しよう。僕は第六王子ことオリビス・ヴィルヘルムだ。婚約者役、頼んだよ」
「はい! ……第六王子? 婚約? えっ、え?」
「あと、化粧も教えてくれよ? 僕はどうやら美しいからね」
オリビスはウインクした。