3-01 モリアーティの系譜
謎解きゲーム制作会社『森ラボ』は、零細企業だ。
業界の元カリスマ森一茶と社員の西岩依恵のくだらない口喧嘩は、大学生アルバイトの孫和人にとっては日常のひとコマだった。
そんなある日、ひとつの依頼が届く。
それは『離島を舞台にした〝完全犯罪殺人〟を計画して欲しい』というものだった。
依頼主は映画製作会社で、実在の島を舞台に殺人事件を撮りたい、とのことだった。報酬はかなり高額な上に、取材のために島への無償旅行つき。
めんどくさがりな森は嫌がったが、旅行に目がくらんだ西岩が行こうと駄々をこねる。妹のためにボーナスが欲しい和人は、自分は参加しないが二人に行かせようとする。
三人の意見が割れるなか、西岩が強引に依頼受諾の返信をしてしまう。
めんどくさがり社長、不器用先輩、シスコン大学生の三人は島へと向かうことになったのだが……。
でこぼこトリオが送る、完全犯罪制作ミステリー。
「またダメって言った! ちくちくコトバはダメなんだよ!」
……またか。
孫和人は事務所のドアノブに手をかけながら、中から聞こえる喧騒にため息をついた。
謎解きゲーム制作会社『森ラボ』のオフィスは、小さなキッチンがついた一部屋だけの事務所だった。
所属するスタッフはたったの三人。正社員は代表の森一茶と、部下の西岩依恵の二人だけだ。和人は大学生で、ただのアルバイト。
いつものように口喧嘩しているのは森と西岩だ。
「そもそも『吹っ飛んだモノは次のうちどれ?』のどこが謎解きだ。それに、このヒントの四角い餅の絵は一体なんなんだ?」
「餅じゃなくて布団! 真心込めて描いたんだから理解してよ」
「あのな西岩、いくら真心込めても絵心がなけりゃ伝わらんのだよ」
「い、一生懸命描いたのにぃ」
長い睫毛に涙をためた西岩。素人目には落書きに見えるが、彼女は本気で描いたらしい。ダメ出しされて落ち込んでいた。
とはいえ和人も森と同じ意見だった。壊滅的な西岩の絵画センスはさておいても、本題が小学生レベルなのは苦言のひとつも言いたくなるだろう。
わが社の取引先には大企業がたくさんある。そんなダジャレ問題、間違っても公表できまい。
「森さん、お疲れ様です。いつもの買ってきましたよ」
「お、ワットか。来てたならさっさと声かけてくれよ」
「喧嘩に巻き込まれたくないんで」
和人はコンビニで買ったプリンを森の机に置いた。
ちなみにワットは和人のあだ名だ。
「ワットくん、また所長がいじめるんだけど~」
「……西岩先輩はもうちょっと勉強した方が良いと思います」
「ワットくんまで私をいじめる!」
心外だ。
和人も森も、西岩のことが嫌いなわけではない。正社員の先輩とはいえ同年代。それなりに仲良くやっていると和人は思っているが、それとこれとは話は別だ。
「じゃあ先輩、最近謎解きゲームはやりましたか?」
「え、えっと……コナンのやつなら……」
「コナンのどれですか? 新宿の大手の所ですか? USJですか?」
「……パソコンのやつ」
「ネットでありましたっけ?」
「ちがくて……その、タイピングのやつ……」
目を逸らして言葉尻を弱めた西岩。それは謎解きではない。
このひと、なんでこの会社に入ったんだろう。
「いいですか先輩、謎解きゲームを作るなら、まず自分でプレイしないと話にならないと思います。僕ですら週一回は遊んでトレンドを勉強してるんです。そもそも最近は単発で終わる謎なんてほとんどありません。リピーターは謎解きと同時に、ストーリを基軸とした伏線回収によるカタルシスを求めており――」
「代表~ワットくんがいじめる~」
「ワット、あまり西岩を弄ってやるなよ」
「あなたがそれを言いますか」
自分だけ悪者扱いされる理不尽を感じて、和人は息を漏らした。
これだから二人の喧嘩に口を挟むのはイヤなのだ。
「それより森さん、昨日の給料下さい。それとプリン代もです」
「あ~……西岩、俺の財布どこだ?」
「自分の財布の場所くらい憶えててよね。さっきここに置いてたでしょ」
「すまんすまん。西岩、ワットに渡しといて」
「もう。仕方ないわね」
西岩から昨日分の給料とプリン代を受け取る。
森も西岩も欠点だらけだが、給料だけは良いからここを続けている。手渡しなので扶養を誤魔化せるのも大きい。
「ねえワットくん、なんでそんなにお金貯めてるの?」
「妹の学費を稼がなければなりませんから」
「へ~偉いね、お兄ちゃんだ」
「当然です。兄という存在は妹の奴隷ですから」
「……まあ、価値観はそれぞれだよね……」
あれ、なんでドン引きしてるんだろう。
和人は首をひねった。
「ワット、掃除終わったらメールチェックしといてくれ」
「かしこまりました」
「コラ、寝転びながらプリン食べないの! こぼすでしょ」
「オカンかよ」
「やめてよ代表より十歳も若いのに! まだまだピチピチでしょ」
「ピチピチは死語だろ」
「……キャピキャピ?」
「もっと死語」
二人の声をBGMに、和人は仕事を始めた。
植物の水やり、掃除機がけ、トイレ掃除にゴミ出し。めんどくさがりの森と不器用な西岩の二人だけでは、この事務所はあっという間にゴミ屋敷になってしまう。
僕のほうがオカンだよな、と和人は思うのだった。
ひととおり清掃を終えたらパソコンの前に座る。
この事務所、狭いので仕事机はひとつしかない。あとはソファふたつとローテーブル、キッチンのそばに仕切られた休憩スペースがあるくらいだ。
森がソファにねそべっているのは、パソコン前を和人に譲るためでもある。決して彼が怠惰なだけではない……おそらく、きっと。
「森さん、仕事の依頼が来てますよ」
「断っといて」
「ちゃんと見て下さい。それで報酬のいい仕事なら僕にもボーナス下さい」
「はぁ、しゃーない」
ゆっくり腰を上げ、ダルそうに和人と交代する森。
こんな性格だが、森は業界でもカリスマ制作者だ。テレビに出るような有名な制作集団も森の影響を受けていると言われるほどだ。謎解きゲームがここまで流行っていなかった十年前から、森は第一線を走っていたのだ。
零細企業なのに依頼が絶えない理由もそれだ。昔からずっと、彼は評価され続けている。
「……なんだコレ」
そんな謎を作らせたら日本一と言われる森一茶は、画面を睨んで眉をひそめた。
和人と西岩も横から覗く。
依頼主は映画の製作会社だった。しかも誰でも知っているような業界最大手。
『概要:映画脚本に使うトリックづくり。
内容:とある離島を舞台に、完全犯罪殺人の制作をして欲しい』
要約すると、そんなことが書いてあった。
あからさまに顔を歪めたのは森。
「めんどくさそうだな……よし、無視しよう」
「ダメ!」
「ぐぇっ」
森の首を掴んで、ブンブン左右に振ったのは西岩。
「ほらここ見て。『実在の島を舞台にするため、取材旅行にご招待します。ホテルや旅客機の手配も含めて準備はこちらがご用意させてもらいます』だって! しかも旅費も滞在中の費用も全部向こう持ちだって! タダで旅行なら行くっきゃないでしょ!」
「ぐ、ぐるじい……」
「先輩、森さんが死にそうです。落ち着いて」
「あ、ごめん!」
危うく森が土にかえるところだった。
「まったく、旅行に釣られるなんて先輩は単純ですね」
「でも報酬も凄いよ。普段の依頼とはケタがふたつ違うし……これならボーナス出せるんじゃない?」
「森さん、これは行くしかありません!」
「え~……めんどくさ」
「お受けいたしますっと。はい送信」
勝手に返事を送信したのは西岩。
森は心底イヤそうな顔をした。
「何勝手に決めてんだよ」
「いつも甲斐性ないんだから、たまにはいいでしょ? 社員旅行しようよ」
「なんで俺が西岩の世話を焼く前提なんだ。むしろ俺の世話を焼け」
「ほんとダメ男ね。まあ、旅の世話はワットくんに任せるからいいけど」
「僕ですか。というか僕はバイトなので旅行には同行しませんよ」
「ダメ! ワットくんがいなかったら誰が私たちの世話を焼くの?」
「俺もワットがいなければ絶対行かない」
「僕は行きませんよ。大学もあるんです」
「特別ボーナス出す」
「行きます!」
つい条件反射で返事をしてしまいハッとする。ニヤニヤする森と西岩の顔を殴りたくなってきた。
和人は小さくため息を吐きながら、
「でも森さん、完全犯罪なんて作れるんですか?」
「ふふん! それくらいこの西岩先輩に任せなさい!」
「しかも指定はトリック型ですよ。いくら森さんが謎をつくるプロだからって……」
「所長がダメでも、この私が――」
「しかも離島が舞台、できることも限られてきます」
「だから私が、」
「僕には難題としか思えません。冷静に考えて、いまからでも断って良いかと」
「ワットくんがいじめる~!」
真面目な表情の和人に、森はしばらく考え込むような表情になった。
「……確かにな。トリック自体は問題ないが、正直胡散臭い話だよな。かなり大手だが何か裏があると見て間違いないだろう」
「では、お断りのメッセージを」
「ああ」
そう言って森が返信しようとすると、事務所の電話が鳴った。
すぐに和人が応答する。
「お電話ありがとうございます森ラボです」
『お世話になっております、株式会社東光の羅門麗奈と申します。今しがたお返事を頂いた映画脚本の件でお電話差し上げました。森先生はいらっしゃいますか?』
「すぐに代わります。……森さん、さっそく映画会社からですよ」
「はやいな」
森はめんどくさそうに頷くと、電話をスピーカーモードにして頬杖をついた。
「はい、森です」
『先生、お久しぶりです。羅門です』
「羅門!?」
驚いた森。どうやら知り合いらしい。
スピーカーから、羅門の色めいた声が響く。
『ふふ、お元気そうで何よりです』
「……そうか、お前か。だからこんな依頼を」
『先生なら簡単かと思いまして。ご旅行ついでに楽しんで下さればと』
「……羅門、悪いが」
『まさか断る気ではありませんよね? この程度の依頼など、片手間で終わらせられるはずですのに』
羅門という女は、クスクスと笑った。
「……だがな羅門。さっきの返事は俺じゃなくて」
『あら、困りますよ?』
羅門のネットリした声が事務所に響く。
まるで獲物を絡めとる蛇のように、耳の奥をゾクリと撫でる音だった。
『なんせ死体は、もう用意したのですから』