3-17 これから僕が一生かけて、君を殺す物語。
高校三年の頃、君と出会った。
文化祭の時は君に大層振り回された。
修学旅行の時は誤魔化すのに苦労した。
大学受験を控えた冬、君のせいで死にかけた。
大学に入って彼女ができたけど、君の存在がバレて、彼女と大喧嘩した。
大学三年の時、進路について君と一緒に考えた。
社会人になって君が身を置く世界の広さを知った。
働き始めて二年目で、過去最大のすれ違いを経験した。
その年の夏に君は消えて、一年近く会えなくなって。
翌年の冬に再会した。
それから。
長い間一緒にいた。
三十を過ぎて、四十を過ぎて、少しずつ年を重ねて。
今、目の前の君に最後の毒を盛ろうとしている。
いつからだろうか、最強だった君が衰える姿を悲観するようになったのは。
君の願いを、叶えたくないと思うようになったのは。
今まさに死の淵に立っている君を見ると、走馬灯のように思い出すんだ。
君と出会ってからあった、たくさんの出来事を。
死にたいんだ、圧倒的に。
こめかみを撃ち抜けなかった弾丸を眺めながら、ウェルシュミナ・リリアリスはため息をついた。
数十年前、数多の異形たちから恐れられたイモータルハンター、ハルカ・サンズガワが使っていた「銀の弾丸」。これも結局、まがいものだった。
かのアーサー王を殺した平和の剣、クレラントも。
始皇帝を殺した邪剣、毒匕寒月刃も。
八岐大蛇の首を引き裂いた妖剣、天羽々斬も。
聖十字が刻まれた炎剣、レーヴァテインをもってしてさえ、自分の命を絶つことはできなかった。
吸血鬼の始祖、ウェルシュミナ・リリアリス。
数えるのも億劫なくらいの歳月を生きた伝説の吸血鬼は今、ただひたすらに死を欲していた。
「やっぱ、あれを探すっきゃないかー」
長い、ブロンドの髪をかきあげてリリアリスは呟いた。
あらゆる武器は当てが外れてしまったけれど、それでも彼女にはまだ最後の希望が残っていた。
原初、人の存在がまだエデンの園にあった頃、人の命は永遠だった。
そんな彼らをエデンの園から追放し、命に終わりを与えたものがある。
誘惑の赤い果実。
林檎の皮をかぶった聖遺物。
通称――楽園殺し。
※
長生きがしたい、消極的に。
それが僕、三途川渉のたった一つのポリシーだ。
別に長生きするために大金を積もうとは思わない。
早寝早起きをして、バランスの取れた食事を摂って、こまめに体を動かして、清潔な部屋で毎日をストレスなく過ごす。
そんな些細な努力で、消極的に、細く長く生きていたい。
だって――
「おはよ。父さん、母さん」
机の上に飾った両親の写真に向かって、日課の挨拶をする。二人とも、僕が物心つく前に亡くなっていた。
だから、僕は知らない。
両親がどんな人だったのかを。
「せめて声くらい、聞いてみたかったよなぁ」
死んだらなにも遺せない。
それはひどく、悲しいことで。
だから僕は、慎ましく、健やかに、したたかに、長く生きたいんだ。
少しでも多く、この世界に何かを遺すために。
「じゃ、そろそろ行ってきます」
高校三年間、毎朝欠かさず作っている弁当をカバンに詰めて玄関へ。
ブレザーに腕を通し、靴を履いて、扉を開ける。
いつもの工程、いつもの習慣。
その過程に、
「見つけた」
明らかな異物が立っていた。
美しい女性だった。ブロンドの髪は絹のように風になびき、朝日を浴びて静かに輝いていた。
そして、
「ぁっ……!?」
僕は彼女に、突き飛ばされた。
いや、吹っ飛ばされた。
玄関に立っていたはずの僕の体は、廊下を突っ切りリビングのソファに叩きつけられた。肺が酸素を求めてビクビクと痙攣する。
「出せ」
そんな僕に馬乗りになって、ブロンド髪の女性は容赦なく首を絞める。
僕を見下ろし、女王のように睥睨する。
「出しなさい」
出せって何をだ?
自慢じゃないけど、貯金なんてほんとんどない。
「出しなさいってば」
あぁもう、さっきからうるさいな。
だから、
「なにを、ですかっ……!」
「楽園殺しよ。あなたが持ってるんでしょ?」
「え?」
「とぼけないで。サンズガワの家系が受け継いでるのは知ってるんだから」
楽園殺し。
その名前を聞いて、僕は戸惑った。
「えっと、ですね……」
「素直に渡せばこれ以上痛めつけるのはやめてあげる。私だって無力な人間をいたぶるのは趣味じゃないの」
「そうじゃなくて」
「言っとくけど、私強いからね? 抵抗しようなんて無駄なことは考えないこと。さぁ、分かったら大人しく渡しなさい」
「だから、渡すもなにも」
「お客さんなら最初からそう言ってください」
吹っ飛ばされ損だ、まったく。
僕はカバンから手早く輸血パックを取り出して、いつもの通り説明を開始した。
「これを一週間以内に必ず飲み切ってください。次の分は来週お渡しするので、月曜の夜六時に取りに来るか、配達希望の場合は住所を教えてください。吸血鬼は決まった住所がない方もいますし、大体の場所でも大丈夫です。後、これが一番大事なんですが――」
「ちょ、ちょっと待って」
ここからが大事なところなのに。
説明を中断された僕は、不承不承に口をつぐむ。
「えーっと……? 色々飲み込めないことが多いんだけど、その、なに? 君は私が吸血鬼ってこと、知ってるの?」
「えぇ。楽園殺し目当てで来る方は、皆さん吸血鬼なので」
吸血鬼というのは寿命がとんでもなく長いらしく、生きるのに疲れてきた吸血鬼が、楽園殺しの噂を聞いて僕の元を訪ねに来る。長生きしたい僕には理解できない感覚だ。
「じゃぁ、楽園殺しはあるんだね?」
「えぇ、ありましたね」
「ありました?」
「うちのじいちゃんが食べちゃったので」
「はぁ!?」
え。
もしかしてこの人、何も知らずに来たのか?
だとしたら一から説明しなくちゃいけないけど……面倒だなぁ。
「えーっと……じいちゃんが最強のイモータル・ハンターになりたくて食べたんです。禁断の果実、楽園殺しを。そしたら確かにじいちゃんの血に不死を殺す力が宿ったんですけど、じいちゃんは人なんで、普通に寿命で死にました」
「じゃ、じゃぁ楽園殺しの力は……?」
「安心してください。なんか遺伝するみたいで、僕の血にも宿ってます。ただ、世代またいでるからか効力が弱くて。だから」
輸血パックを軽く振って見せる。
「毎週欠かさず、一年通して飲んでもらわないと死なないんですよ」
150mlの輸血パックを一週間に一パック。それを一年の間、欠かさず飲み続けることで、あらゆる吸血鬼は死に至る。僕が数年かけて研究した結果、分かった事だ。
「……血、飲まなくちゃいけないの?」
「はい。ぐいっと飲んじゃってください」
「無理」
「お腹空いてないです? それなら後でもいいですけど」
「それも、無理」
「いやいや、無理ってことはないでしょう。これたったの150mlですよ。吸血鬼ならおやつ感覚で――」
「無理無理無理無理、ぜーーーーったいむり! だって!」
「私、血嫌いだもん!」
……。
…………。
はい?
「お姉さんは吸血鬼なんですよね?」
「そうよ! 私は吸血鬼の始祖、ウェルシュミナ・リリアリス! 超すごい吸血鬼なんだから!」
「なのに血は嫌い、と」
「だって生臭いし、美味しくないし……」
「なるほど」
僕はしばらく考えて、じっくりしっかり熟考した上で結論を出した。
「そんな吸血鬼はいません」
「いるのぉ! ここに! 今ここに、あなたの目の前に!」
ゆっさゆっさと肩を揺さぶられる。
いやぁ、そう言われてもなぁ……。
「ねぇ、なんとかしてよぉ! 私、死にたいの! それはもう圧倒的に、ぐうの音も出ないくらいに完璧に!」
「いやでも、血が飲めないと僕にはどうすることも……」
「言っとくけど、もし助けてくれないなら」
肩にかかっていた手が、喉元にせまる。
「殺すから」
「それは困るなぁ」
困る。とっても困る。
だって僕は、長生きしたいんだ。消極的に、細く長く、したたかに。
しょうがない、何か策を考えるか。
「例えばなんですけど、ちょっとだけなら飲めたりします? お薬感覚で」
「……まぁ、一滴くらいなら?」
一滴、大体0.1mlくらいだろうか。
僕が他の吸血鬼に渡している血の総量は大体7.5リットルくらいだ。これを毎日0.1mlで到達しようとすると、かかる年数は――
「210年かぁ」
「え、たったそれだけでいいの? それなら我慢する!」
「大変残念なお知らせなんですが、その頃には僕は死んでます」
人間の寿命を舐めないで欲しい。
しかしまずいな、このままだと僕はこの人に縊り殺されてしまう。
「うぅ……分かった。じゃぁ、三回までなら」
目をぎゅっとつぶって、震える指を三本立てて、リリアリスさんが言った。
「一日三回までなら、我慢する」
「本当に処方箋みたいになってきましたね」
しかし、その譲歩はありがたい。
もし一日に三回飲んでもらえるなら、かかる年数は単純計算で三分の一だ。
その場合彼女が死ぬまでにかかる年数は――
「だいたい七十年か……」
「それならいける?」
「まぁ、ギリギリなんとか」
今の僕が十八歳。大体八十八歳くらいで彼女を殺せる計算だ。
僕の目標は長生きすることだし、達成できそうな気がしなくもない。
しなくもないのだが……
「ほんと? よかったぁ、無駄な殺生せずに済んで!」
それはこれから一生、このやばそうな吸血鬼と関わり続けるってことなんだけど……仕方ないか。死にたくないし。
「じゃぁとりあえず、今日の朝の分、やっときますか」
「え」
僕は腕をまくり、針を取り出して刺した。
じわっと腕の上に血の玉が膨らむ。
その様を、リリアリスさんは恨めしそうな目で見ていた。あんたのためにやってんですよ。
「……本当に飲まなきゃダメ?」
「さぼりすぎると僕が寿命で死にますよ」
「うぅ……分かったよぉ」
そうしてリリアリスさんは。
しぶしぶといった感じで。
やはりここは吸血鬼らしく。
僕の腕に噛みつい……てないなこれ、舌先でペロってしてるだけだ。夏場のやる気のない猫みたいな飲み方だな。
舌をひっこめたリリアリスさんは、口をもごもごと動かすと、ものすごく渋い顔でつぶやいた。
「まじゅい……」
「他の吸血鬼のみなさんには、割と飲みやすいって好評なんですけどね」