表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/27

3-14 いつかの春へ、ドアが続くなら。

 もしも、春につながる扉があるなら。

 あなたは、その先へ足を踏み入れますか?




 まだ肌寒さの残る二月初旬。

 夕陽がかげって、少女の顔に影を落とす。


 小学五年生の古谷(ふるたに) 蝶子(ちょうこ)は、大人しい女の子。

 引っ込み思案で、うっすらと先行き不安で。

 それでも、救われたい気持ちはあった。


 そんな日々のなか、見つけた「扉」。

 彼女は、未知の世界に向けて一歩を踏みだしてゆく。


 “少年”との出会いが、春へと至るヒントになると信じて。

 あ、みて。しろい()()()()がとんでるよ。

 指さす私に、ママは優しく微笑んでいたっけ。

 あれはちょうちょって言うの。蝶子、あなたの名前と一緒ね。……。




 夕焼け小焼けの公園で。

 友だちとはしゃぎ回る子や、手を引かれて帰っていく子を、ぼんやりと眺める。

 ぎぃ、ぎぃ。腰かけたブランコが、頼りない声で泣いた。


「やだ。まだみんなと遊ぶ」

「明日にしよう、タカシ。な? 家でお母さんがハンバーグ作って待ってるぞ」

「はぁい。じゃあお父さん、ボール持ってってよ」


 ……。

 私も、帰らなくちゃ。

 遅くなったらママだって心配するもん。

 それなのに。


(今日は、なんだか帰りたくないな)


 背負ったランドセルが、いつもより重たく感じる。

 ほんのちょっと地面を蹴って、見あげた空は茜色。

 薄手のワンピースだと、なんだか肌寒い。

 着る服、間違えたかも。


「みんなでブランコ乗ろうよ!」

「でも、誰か座ってるじゃん」


 遠くから聞こえてくる女の子たちの声。

 邪魔になっちゃ、いけないよね。靴底で揺れを止めてから立ちあがり、あてもなく歩きだす。

 もう、この公園にも私の居場所はない。

 どこか、知らないとこにでもいけたらな。


「……ん?」


 目の前をひらり、横切っていくちょうちょ。

 あまりにも綺麗な、宝石みたいに青い羽に視線を奪われる。

 こんな種類、初めて見たかも。


「待って!」


 別に捕まえたいと思ったわけじゃない。

 ただ、どこかに連れていってくれる気がして。

 宝石の羽は、ひらひらとはばたいて、みんなが「森」と呼ぶ公園の一角へ。

 高い木に囲まれてて暗くて怖いから、あんまり行ったことはないけれど。それでもついていく。

 草をかきわけ、小川の横を歩いて、違和感はすぐに。


「……あれ? こんなにここ、広かったっけ」


 外側を通ったときには、簡単にぐるりと一周できるくらいの距離だったのに。

 まるで本当の森のように、どこまでも続きそうな木々の緑。

 ちょうちょは遠ざかってゆくのをやめて、目の前を舞っている。

 進むのか戻るのか、聞いているみたいに。

 木洩れの夕陽は頼りない。

 怖い、かも。だけど。


「もうちょっと進んだら、出られるよね」


 自分に言い聞かせるように呟いて。右足を一歩、前に。


◇◆◇


 あれから、五分くらい経ったかな。

 辿りついた「森」の奥は、木々がひらけ広間みたいになっていて。

 その中央には、古い扉がひとつ。

 ……なんだろう、これ。


「もしかしたら、どこかに繋がってたりして」


 そんなことを呟いてみたりしても、状況は変わらない。

 ちょうちょは、扉の周りを飛び回っている。

 ここ、なの? あなたが連れてきたかった場所は。


「だったら、ちょっとだけ……」


 ざくりと土を踏み、近寄っていく。

 見たところ、木製のドア。茶色くて、アンティークみたいに細かい装飾がある。きれい。

 ところどころにつるや草の芽が出ていて、森と一体化してるように見える。側面に生えているこれは、桜のつぼみかな?

 ドアノブを握ってみる。えっと、壊れたりはしてない……よね。

 両手を添えて、ゆっくりと回していく。

 薄く開かれた扉の隙間から、しょっぱい風が流れてきた。


「え──」


 ドアの先には、ペールブルーの空。

 汐風。潮騒。……海!?

 足元には岩場が広がっていて、子ガニが横歩きしてる。


「うそ、でしょ?」


 それだけじゃなくて、ちょっと先には人の影。

 男の子、かな。見た感じは私と同じくらい。

 海に向かって座ったまま、じっとしてる。手に持ってるのは釣り竿かな。


「誰かいんの?」

「えっ。はっ、はい!」


 急に声をかけられて、びっくりしちゃった。

 彼がゆっくりと振り返る。


「ごめんね。集中してるみたいだから、声をかけちゃだめかな……って」


 その顔を見て、また驚いちゃう。

 ママが見せてくれた、昔のパパのアルバム。

 そのなかに出てきたパパと、そっくりなんだもん。


「そんなところで立ってないで、こっち来いよ。魚がかからなくて暇だから話でもしようぜ」


 つんつん尖った黒髪を片手でがしゃがしゃと掻いて、彼はそう言った。


◇◆◇


 波打ち際で、平らな岩のうえに並んで座る。

 半袖のシャツから覗く腕は、しっかりと引き締まってて、男の子なんだな……って。


「お前、名前は?」

古谷ふるたに 蝶子ちょうこ。ちょうちょの“蝶”に子どもの“子”」

「それならお揃いだな。俺はプシュケ。蝶って意味があるらしいぜ」


 プシュケくん、でいいのかな。

 外国人には見えないけど。英語……じゃないよね。どこの言葉だろ。


「呼びづらいだろ。適当でいいよ」

「じゃあ、ふーくん」

「なんじゃそりゃ」


 肩をすくめてみせる彼。

 なんだか、居心地がいい。


「釣り、好きなの?」

「おうよ。時間を忘れてのんびりやれるからな。見てのとおり、釣果は全然だけど」


 ふーくんの横顔を眺める。やっぱり、似てるかも。

 薄く焼けた肌。高くて綺麗な鼻。すこし垂れた目。

 そういえば、家にもたくさん釣り竿があったっけ。あれ、パパのものなのかな?


「こうしてると、辛いことや悲しいことも忘れられるような気がしてさ。えーっと、そのだな」

「ん……?」

「お前、なんでそんな泣きそうな顔してんだよ」


 やっぱり、わかるんだ。

 きっと、こんな表情を見せたらママが心配するもん。だから、帰りたくない。


「優しいんだね。だから、話をしようなんて誘ったの?」

「釣りのついでだよ、ついで。で、なんかあったのか?」

「私、学校でいじめられてるんだ」


 びっくりした。なんで、こんな話をしてるのかなって。

 なぜか、この子の前だとするっと言えてしまう。


「クラスメイトの美紀ちゃんって子に嫌われちゃってね。あの子は友だちが多いから、みんなに無視されたり、悪口を言われたり」

「陰険だな。それで?」

「今日も帰り際に嫌なことを言われてさ」


 蝶子なんてイヤミな名前。いつもお高くとまっちゃってさ、なに様のつもり?

 投げつけられた言葉が、いまも胸に刺さったまま。


「やられっぱなしじゃダメだよ。言い返さないと」

「言い、返す?」


 考えたことなかったかも。

 なにを伝えても、無意味だと思っていたから。

 でも、どう言い返せばいいんだろう。


 ──お高くとまってなんかない。

 違う。本当に否定したいのは、そこじゃない。

 もっと、嫌だったのは。


「私の名前を、悪く言わないでよ」

「……。なんだ、できるじゃん。それが本当に伝えたいことなんだろ?」

「うん。ありがと、ふーくん。おかげでちょっとだけすっきりしたかも」

「おうともよ。どうせ俺以外誰も聞いてないんだ、海に叫んでいったらどうだ?」

「それは……ちょっと恥ずかしい、かな」


 ゆったりと雲が流れてゆく。

 晴れた空は、見ていて気持ちがいい。

 いまなら、自然に笑える気がする。


「この名前は、私にとって大事なものなんだ。パパがくれた、一番のプレゼントだから」

「なぁ、それってもしかして」

「……うん。もういないんだ。私が生まれてすぐに、病気でね」


 だから、私はパパの声を知らない。

 思い出だって、なにもないんだ。

 この名前だけが、パパのいた証。

 あぁ、できることなら。


「普通の家族みたいに、いっぱい話をしてみたかったな……って」


 だめ。涙が溢れて、止まらない。


「そんなこと言っても、意味なんてないのに。思ったところで、叶ったりしないのにね。私、なんでこんなこと。迷惑だよね。ごめん」

「蝶子」

「……!」


 ぴしゃりと放たれた一言が、胸のなかを大きく揺らす。

 厳しくて優しい、そんな声音。

 そして、どこか懐かしい。


「その、なんだ。俺でよかったら話を聞くから。いつでも来い」


 ぶっきらぼうなセリフが、とても暖かくて。

 まるで春が訪れるみたいに。

 また一雫、涙がこぼれた。


「ふーくん、まるでパパみたい」

「ちげぇよ。そんな大役、本人以外に担えるか」


 今日は釣れないな、と竿を引きあげる彼。

 波打ち、しぶく。水滴がきらりと光って消えてった。


「その顔なら、もう大丈夫だろ。早く帰らないと心配されるぞ」


 ふーくんの指さす、扉の向こうは、いつの間にやら濃い緋色。


「……うん。そうだよね」


 転ばないように気をつけて立ちあがり、伸びをする。

 開かれたドアの前に立ち。


「……」

「どうかしたのか?」


 足を止めた私を不思議がったのか、背後から声が投げられる。

 なんでもないよ。そう呟き、振り返って。


「じゃあね、ふーくん。またここで」

「おうよ。またな」


 言えなかった。

 どうしてこの名前をつけたの、って。

 ずっとずっと、知りたくてしかたのなかったこと。

 そんなこと質問しても、ふーくんを困らせちゃうよね。

 ……でも。いつか、聞けたらな。


 ドア枠をくぐる。木々を走る肌寒い風が、そっと通り抜けていった。

 まだ、春の陽は遠い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  ▼▼▼ 第21回書き出し祭り 第3会場の投票はこちらから ▼▼▼ 
投票は5月11日まで!
表紙絵
― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです 雰囲気や登場人物の内心がしっかりわかって感情移入できました。 [気になる点] 春に繋がるという部分がわからなかったが、今後明かされるのでしょうか。 青春という意味な…
[一言] 【タイトル】郷愁がテーマの話なんだろうが、文字通りなのか比喩的な意味なのか。 【あらすじ】情報量を絞って雰囲気づくりに利用する、という選択か。 【本文】割とストレートな意味でドアが続いていた…
[一言] 自分の思いを的確に表す言葉を見つけた幼い蝶子の気持ちが、願いが溢れる。 家族には、家族だからこそ言えないし。 扉の内側にいるのはもう一人の自分? 誰しもの心の中にこんな場所があってほしいと思…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ