3-12 犬と香りとイノベーション!
「種族のミックスナッツ」と呼ばれる多種族国家、リオネア合衆国。世界経済の中心たるこの国では、何千もの企業が日夜熾烈な市場競争を繰り広げている。
自称敏腕女社長、アルマ・ラウリーンが経営する『フレグランス&フレーバー社』――通称フレフレ社もその一つ。
社員、総勢2名!
創業、割と最近!
収支、ちょっと……かなり……大分カツカツ!
そんな彼らの業務内容は、「においの何でも屋」。
多様な種族、多様な民族が入り乱れるこの国に、へっぽこ企業がイノベーションを巻き起こす!
ちょっと笑えて思わず応援したくなる経済ファンタジー小説、ここに開業!
「さぁ――イノベーション・タイムの始まりよ!!」
「……アルマ。毎回思うんだがそのキメ台詞、相当ダサいぞ」
「ダっ、ダサくないわよ! ……ダサくないわよね?」
敏腕社長アルマ・ラウリーンの華麗なる一日は、シャワーから始まる。
「冷たっ!?」
なお節約のため、シャワーは冷水だ。春先の今はマシだが、冬場はこれが本当に辛い。お湯を湯水のように使える日を夢見ながら、彼女はスレンダーな体を小一時間かけて洗っていく。
シャワーを終えて着替えると、特製の香水を一振り。それから備え付けのポットでお茶を淹れ、事務室の社長用デスクに着く。そして街を一望しながら、淹れたての一杯を味わうのだ。
「フフフにっっが」
なお節約のため、茶葉は使い回す。大体30回前後で味も風味も消えるので、空き地の雑草をブレンドする。今日の一杯はドクダミのパンチが効いていた。
「おぇ、今日のニュースは……」
吐きそうになりつつ、アルマは新聞を開いた。敏腕社長たるもの、情勢には常にアンテナを巡らせておかねばならない。このリオネアにおいて、情報の遅れは命取りだからだ。
「『エリックス製薬、新技術の特許申請へ』、これは要チェック。『企業強盗、被害相次ぐ』、ウチの近所じゃない。戸締り確認しとかないと」
紙面に目を通していると、不意に事務所のドアが開いた。顔を上げたアルマの瞳に映ったのは、犬耳と褐色肌が特徴的な少年の姿。彼は視線に気づくと、普段通りの仏頂面で口を開く。
「戻ったぞ」
「おかえり、カヴィル。巡回ご苦労様」
新聞を畳み、アルマは帰還した部下を労った。敏腕社長たるもの、社員への心配りを忘れてはならない。雰囲気づくりのため、カップを持ちあげることも忘れてはならない。
「最近、近所で強盗が多発しているらしいわ。警備担当として、一層気を引き締めて業務にあたって頂戴」
「問題ない。さっきウチに押し入ろうとしてたから、シメて警察に突き出しといた」
「ブフォッ!?」
衝撃の事後報告。アルマの口から噴き出したお茶が、虹のアーチを描く。
「ちょっと、そういうことはすぐ報告してって前に言ったわよね!?」
「しただろ、今。あとそれ、昨日の新聞だぞ」
「嘘っ!?」
ポストから回収した今日の新聞を手渡すカヴィルに、アルマは頭を押さえた。
「……ひとまずお手柄よ。よくやったわ、カヴィル」
「まぁな」
そう返すカヴィルの尻尾が、得意げに揺れる。そのまま応接用ソファに腰を下ろすと、彼は赤い三白眼を上司へ向ける。
「今日の予定は? 外回りという名のバーゲン巡りか、資金調達という名の内職か」
「いいえ、今日はどっちもなし。仕事よ、新しい依頼がきたの」
「……珍しいな」
その言葉に、カヴィルは意外そうに呟く。
アルマの『フレグランス&フレーバー社』――通称フレフレ社は「においの何でも屋」だ。においが絡めば料理に調香、清掃からモンスター駆除まで何でも請け負う。
だが、ここは企業合衆国リオネア。大手も老舗も、それぞれの専門店は星の数ほどある。需要なし、信用なし、ついでに社長の胸もなしと無い無い尽くしのフレフレ社に、当然仕事などあるはずもなく。新規依頼など、実に2か月ぶりの快挙だ。
「なるほど。じゃあ、さっきからドアの前にいるのはそいつか」
「へ?」
目が点になるアルマを尻目に、カヴィルはスンと鼻を鳴らす。それから先ほど自分がくぐったドアを見やった。
「入れよ、ドアなら開いてる」
「……し、失礼しまーす」
一瞬の沈黙の後、第三者の声と共にドアが開いた。そこに立っていたのは、赤毛とそばかすが印象的な少女だった。
※※※
「粗茶です」
「あ、おおきに」
応接用テーブルの上に、アルマがティーカップを置く。礼を言う少女に、カヴィルは「安心しろ」と声をかける。
「茶葉は変えた。普段コイツが飲んでる青汁じゃない、正真正銘の粗茶だ」
「正真正銘の粗茶って何よ!? あとせめて薬湯って言って!?」
まったく、とぼやきつつ、アルマはすぐに営業スマイルに切り替えた。敏腕社長には演技力も必要なのだ。
「弊社へお越しいただき、ありがとうございます。私は代表取締役のアルマ・ラウリーン。こちらは警備担当のカヴィル・ロフ」
「よろしく」
営業スマイルのままド失礼な部下を小突き、アルマは対面の少女に尋ねる。
「貴女が依頼人のスズリさん?」
「はい、スズリ・アロイ言います! よろしゅう頼んます!」
礼儀正しく頭を下げるスズリに「こちらこそ」と返しながら、アルマは彼女を注意深く観察していく。
身長は130cmほど、幼い顔立ちは小学生にも思える。だがその体格は、服の上からでも分かるほどに屈強で頑健――典型的な鉱人種の特徴だ。
「早速ですが、ご依頼を伺っても?」
前置きも早々に、アルマは本題に切り込んだ。ドワーフは頑固で気難しく、職人気質の者が多い。若いドワーフは必ずしもそうではないが、率直な会話選びに間違いはない。
加えて彼らは自主性を重んじ、滅多なことで他人を頼らない。ならばこの依頼、当人にとって深刻な悩みの筈。早いうちに全容を掴むが吉と判断したのだ。
「……体臭を、なんとかしたいんや」
果たして、見立ては正しかった。俄かに表情を曇らせ、スズリはポツポツと話し始める。
「ウチの家、ビンボーやねん。父ちゃんも母ちゃんも働いてるんやけど、生活は苦しくて。せめて学費くらいはって、ウチもゴミ収集のバイトしてるんや」
「努力してらっしゃるのね」
「そんなんやない。時給高いし、皆ええ人達やし、やりがいもあるから続けられてるだけ。ただ、一つ問題があって……ゴミの臭いが体にうつるんよ」
そう言ってスズリは、カヴィルを見やる。
「そっちの警備員さん、ドア開ける前にウチに気付いたやろ? 自覚ないんやけど、そんくらい臭うんやろね。この間なんか、学校で皆に「くさい」言われてもて」
恥じ入るように告白し、少女は僅かに俯く。
「こんな見た目やから、色々言われんのは慣れとる。なんなら、臭いがつくのも覚悟してた。ただ、いざ言われるとショックで……情けない話やけど」
たはは、と。スズリは乾いた笑みを浮かべた。その手を、血が滲みそうなほど強く握り締めながら。
「自分でも、色々やってみたんよ。でも石鹸も消臭剤も、脱臭魔法も駄目で……そんな時にここのチラシを見てな、思い切って来てみたんや」
スズリはカバンから布袋を取り出し、テーブルに乗せる。その中に入っていたのは、リオネア銀貨。学生の所持金としてはかなりの額だ。
「これがウチの、全財産。もし足りんかったら、バイト増やしてでも払う。だから、助けてほしい――ウチはもう、くさいって言われとうない」
消え入りそうな声で懇願し、スズリは深く頭を下げる。あまりにも切実な独白――それを聞き届け、アルマは真剣な面持ちで口を開いた。
「貴女の気持ち、よく分かったわ……その依頼、受けましょう」
「! ほんまか!?」
勢いよく顔を上げるスズリに、「勿論」と彼女は頷く。
「それにお代も結構。そのお金は、貴女と家族のために使って」
「――アルマ」
咎めるような部下の声に、アルマは「分かってる」と返す。
「でも、放っておけないの。だってこの子、昔の私そっくりなんだもの」
「昔?」
思わず首を傾げたスズリに、アルマは「ねぇスズリさん」と問いかける。
「私の種族、何だと思う?」
その意図を測りかねながらも、スズリはアルマを見つめた。肩まで伸びた緑交じりの金髪と、その所々に咲く白い花。この特徴を持つ種族は――。
「アルラウネ、やと思いますけど」
――花人種。それは花や果実の特徴を体に宿す、リオネアで最も香り高い種族。全てが高貴でかぐわしい、まさに高嶺の花……というのが、スズリのイメージ。
「私はね、ドリアンのアルラウネなの」
「ド……!?」
それをぶち壊す発言に、スズリは思わず絶句した。フルーツの王様と呼ばれるドリアンは、強烈な悪臭を放つことで有名だ。その臭さはリオネア中のホテルや空港が、施設内への持ち込みを禁止にするほど。その体臭を持った少女がどんな目に合うかは、想像に難くない。
「けど、そんな臭い……」
「しないでしょ? 今はケアしてるもの。頻繁にシャワーを浴びたり、香水を振ったり、臭い消しのお茶を飲んだり、色々とね」
アルラウネの少女は優しく微笑むと、ドワーフの少女の手を取った。
「貴女の辛さはよく分かるわ。でも大丈夫、貴女はちゃんと変われる。だから安心して、私達に任せて頂戴」
こうなったアルマは意地でも自分を曲げない。それをよく知るカヴィルはため息を吐き、「俺からも二つ言わせろ」と口を挟む。
「まず、勘違いするな。俺は犬人種、元々鼻が鋭い。お前に気付いたのはそれが理由だ。それともう一つ」
カヴィルの赤い瞳が、スズリを真正面から射抜いた。
「確かにお前は、汗とゴミの匂いがする。ただそれは、お前の努力の匂いだ。お前をくさいっていう奴は、鼻か性根が曲がってる。だから自信を持て、お前はくさくない」
「っ、はいっ……!」
二人の言葉に感極まり、泣きじゃくりながら頷くスズリ。そんな彼女の前で、アルマは貧相な胸を張った。
「『においを変える、笑顔に変わる』――それが我が社のモットーよ。私達フレフレ社の威信に懸けて、必ず貴女を笑顔にして見せる!」
そして自信満々の笑みと共に、敏腕社長は高らかに宣言するのだ。
「さぁ――イノベーション・タイムの始まりよ!」





