3-10 拝啓 義母様、私、代理の復讐に参りたいと思います
イリス・ホロウは道具として育てられた。感情も思考も封じただ一家のために人殺しさえ厭わない、兵器として生きてきた。そんな彼女が嫁いだのはまだあどけない少年当主だった。少年とその母に暖かく迎えられ、初めて家族の愛というものにイリスは触れ合っていく。しかしその平穏も長く続かなかった。
「あなたの怒りも! 悲しみも! すべて! 私が受け止めましょう。炎となって刃となってあなたの復讐を成し遂げて見せましょう」
イリス・ホロウは炎である。
イリス・ホロウは刃である。
そう、刻み込まれて育った。
『貴様は想うな。考えるな。その身を、その人生のすべてを我が一族に捧げよ』
父親の言葉が脳内に反響する。
対処は慣れている。
『無駄だ。貴様は戦渦からは逃れられない。これは我が一族の呪い。貴様が背負うべき宿命である』
うるさい。出てって。
「『ヒュプノス・ベル』」
覚醒途中の頭でそう唱える。
脳内に流れた鐘の音が、居座っていた悪意を押し流していく。
「目が覚めましたか。うなされていたようだけど体調に変化はない?」
目の前に心配そうに眉を曲げた女性がいる。
後ろに見える天井も見慣れない。
「ここ、は……」
「我が家ですけど……」
そうだ。思い出した。
私、嫁に出されたんだった。
未だ眠りの海底に沈んでいた意識が浮上する。
私が18になった翌月、ホロウ家は故セウロス大臣一族と契約を交わした。
一族を存続させるためにセウロス一家へイリス・ホロウを嫁がせる代わりに、ホロウ家への資金援助、国策会議への参加の許可という条件の契約を取り交わした。
つまり、私が寝ていたここはセウロス邸ということ。
そして私をおろおろしながら見下ろしている女性は、夫となる男の母。
「そうだった。全部思い出したから大丈夫」
「びっくりしたのよ? ずっとうなされていたものだから」
そういって私の義母様となる女性は抱き着いてきた。
彼女の身体からほんのりと石鹼のにおいが香る。
「体調には問題ないですから。悪夢には慣れてますし」
「そんな悲しいこと言わないの! 何か辛かったら言って? もう他人ではないんだから」
この家族は私を家族同然に扱った。
無視も怒鳴りつけもしない。
部屋も食事もみな同じく豊か。
罠かとも考えたが、一向に寝込みを襲う気配がない。
ただただ、不気味なもてなしが続いていた。
「ほら、朝ごはんができてますからいらっしゃいな」
私は顔を洗うと義母様に促されるまま、リビングへ向かった。
「あ、やっと来た! 寝坊はいけないよ?」
テーブルには先客がいた。
「申し訳ございません。シャルル様」
「いやいやいや謝ってほしいわけじゃないから! ちょっとしたからかいだって!」
バケットのなかのパンに手を伸ばしていた少年が慌てたように首を振る。
シャルル・セウロス。私の夫となるひとである。
私が少女であるのと同じく、夫となるひともまた若かった。
年齢は13歳。私の5歳下の少年はまだ高等学院にも行っていない。
まだあどけなさの残る顔を精一杯歪めてパンをほおばる姿はとても一家の当主になる男には見えなかった。
「ほら、座った座った。ぼくだけ食べてるのきまずいよ」
「すみません」
「だから謝らなくていいって」
その小さな手からはみ出すほどのパンが目の前に差し出される。
「あげる。いっしょに食べよう」
「あ、ありがとうございます……」
受け取ったパンはまだ少し暖かかった。
「今日は二人とも予定はないのでしょう? だったら街にでも遊びに行ってきなさいな」
「ちょうど買いたいものがあったんだ。イリスも行くだろう?」
二人の視線が刺さる。
こうしてみると似ている二人だ。親子である以上に、父親由来とみられるパーツが見当たらない。
栗色の髪に深緑の瞳。
身体から首の角度まで一緒。
黒髪黒目の自分がいかに異質な人間か鏡を見なくてもわかる。
「行かないの?」
「いえ、お供します」
「そうそう。かあさま、護衛いらないからね。いるとみんなおびえちゃって楽しくないから」
「だめ! 危ないでしょう? 最近、盗賊の被害が多いんだから。狙われたらどうすんのよ」
「大丈夫。イリスがいるから」
「えっ」
再びシャルル様の視線が私の顔面に突き刺さる。
無邪気な光を放つ瞳から私の技量を疑っているような視線は感じない。
「でも……イリス一人じゃ、何かあったとき対処しきれないかもでしょ?」
「平気さ。何とかしてくれるよね?」
何とかしなきゃいけなくなった。
「──大丈夫です。片時も離れるつもりはありませんので」
「そう? でも……」
「母様は心配しすぎ! 行こ!」
シャルル様に引きずられるようにセウロス邸を飛び出していった。
☆
セウロス領の中心街はセウロス邸から歩いて数分のところにある。
中心街といっても王都のように高級店や貴族の別荘が並んでいるわけではない。
メインストリートには肉や野菜の露店や酒場のテラス席がひしめき、領民でにぎわっていた。
シャルル様は雑踏の中をすり抜け、こじんまりとした店舗に入っていく。
そこは魔導書店だった。
壁一面の本棚には古今東西の文字で書かれた魔導書が所狭しと並んでいる。
シャルル様はまっすぐ店の奥へ向かうと、カウンターに座っていた老人に声をかけた。
「おっちゃん! 来たよ!」
「おうボウズか。ん? そこの。見ない顔だな」
店主であろう老人がこちらを覗いてくる。
「ぼくの奥さんになる人さ」
「……そうかい。ゆっくりしていきな」
「はい。ありがとうございます」
聞いたところによるとシャルル様が買おうとしていたのは水系統の生活魔法が記載されている魔導書らしい。
「これの中身全部覚えて母様とかみんなを手伝ってあげたいんだ。父様が死んじゃってからみんな忙しそうだからね」
「偉いですね」
「へへっ。でしょ?」
シャルル様はふわりと笑う。
「イリスもそういう風に笑えるんだね」
「と、いいますと……?」
「あれ、気づいてないの? 今、笑ってるよ」
頬に手を当ててみると確かに口角が上がっていた。
あれ? 私、笑えたんだ。
「おっちゃん! 代金は置いたから!じゃあね!」
「おう。気をつけて帰れよ」
店を出てすぐ、視線を感じた。
そこら辺の市民からの視線じゃない。首筋をチリチリと焼くような殺気に近い視線だ。
「イリス、どうしたの?」
「いえ、視線を感じたような気がして」
視線のほうを振り返ったが、市民に紛れているのか何も感じない。
「母様が言ってたみたいな盗賊とかじゃないかな」
「何があってもお守りしますので」
「ごめん。お願い。離れないようにするね」
そうして私たちは寄り添い合うようにして帰路に就いた。
☆
セウロス邸に戻ったが、誰も出迎えない。
耳が痛くなるほど静寂に包まれていた。
「かあさまー!」
シャルル様の甲高い声が夕暮れの庭園にむなしく響き渡る。
「誰も出てきませんね」
「忙しいのかな?」
忙しかったとしても衛兵の一人くらいは出てくるでしょうね。
「街でのこともありますし慎重に」
「えッ……?」
結局、玄関まで誰も出てこなかった。
ドアノブに手をかけ、ドアがきしまないように開く。
「まっくら……おかしいよ。なんでランプが消えてるの……?」
何も見えない。
「『ルミネ』。離れないでくださいね」
指先に火をともし、異世界のようになってしまった我が家を進んでいく。
一歩進むごとに違和感が増していく。
家の中にも誰もいないのだ。
家族で出かけていても衛兵が残っているはずなのに、気配すらない。
「サプライズだったら心臓に悪いよ……」
彼の背中に置いた手から震えが伝わってくる。
西日が差し込む廊下、その一つの扉が開いていた。
リビングから揺らめく明かりが漏れている。
「やっぱサプライズだったじゃん! びっくりしたぁ」
飛び出していこうとするシャルル様を強引に引き留め抱き寄せる。
違う。サプライズなんかじゃない。
なんで、鉄臭いの……?
「サプライズだとしても慎重に。怪我をしたら元も子もないですから」
「うん!」
いくらか明るい表情に戻った彼をかばうように、リビングの扉に手をかけた。
「あっ……」
瞬間、絶句する。
凄惨な現場だった。
床を流れる血の川の源流をたどっていくと、丘があった。
鎧のまま血まみれになった衛兵たちが折り重なる丘だった。
シャルル様の震える手がその頂点へ伸びていく。
「かあ、さま……?」
丘の頂点、突き刺された三本の槍が交わるように義母親の死体は掲げられていた。
神罰を待つ救世主のように。
儀式で捧げられる生贄のように。
夫の小さな手が力なく下がる。
「────!!!!」
耐えられなかった。
声にならない叫びが喉を駆け上る。
『貴様は戦渦からは逃れられない。これは我が一族の呪い。貴様が背負うべき宿命である』
私だ……私がいるからだ……。
私がいるだけで……みんな、いなくなるんだ。
私には家族なんて、贅沢すぎたんだ。
「イリス! ねえイリス!! みんなはもう助からないんだよね!?」
「すみませんシャルル様……!! すみません……!!」
夫の拳が私の胸を力なくたたく。
「なんでよ! なんでみんな死んじゃったんだよぉ!! なにも! 悪いことしてないのに!」
そうだ。彼らはただ幸せにつつましく暮らしていただけなんだ。
罪は、あるはずもない。
イリス・ホロウは炎である。
イリス・ホロウは刃である。
再び脳内に声が響く。
「イリス! なんとかしてくれよぅ!」
──たった一人の残った夫の形代となろう。
シャルルを抱きしめていた。
「あなたの怒りも! 悲しみも! すべて! 私が受け止めましょう。私はあなたの婚約者。その苦しみは私の苦しみ。捧げましょう。この身体をあなたに。炎となって刃となってあなたの復讐を成し遂げて見せましょう」
やはり私にはこうするしかないらしい。
仕方ない。これしか生き方を知らないのだから。