3-09 ちょっとお祈りメールに喧嘩売ってくる
<令和六年に入社試験を受けた者全ての採用をお願いいたします。なお警察に通報しても構いません>
都内企業“小佐向コーポレーション”に奇妙な文書が投函された。新米刑事の薗木彰子は、社長の子息であり人事部長の小佐向和斗に捜査の協力をもちかける。不採用者の逆恨みだと信じて疑わない彼は全てを彰子に一任するのだった。
一方、苦学生の吉國明生は崖っぷちだった。数十にものぼる不採用通知、書き損じた履歴書の山。人生に絶望しているさなかスマートフォンがショートメールの着信を知らせた。それが希望の光、失意の闇どちらになるか……ぜひあなたの目で見届けていただきたい。
これってもう録音始めてる? ふーん。ついさっき挨拶したばっかりなのに警察っていつも強引だよな。ゴメンゴメンこっちの話。……なんだよ、その目は。あぁ、敬語? 俺の方が年上なんだしこのままが楽なんだよ。社会ってもんは厳しいって事をとーちゃんかーちゃんに聞いてみな。あんたどうせ新卒だろ? 二年目って大して変わらねーじゃん。大丈夫。ここにはちゃんと監視カメラ付いてるし変な事しねーよ。相棒さんもムキになるなって。
はいはい、時は金なりってやつね。親父がよく言ってるよ。社長の息子って言えば聞こえはいいけど、この人事部長ってポジションに付くの結構大変だったんだぜ。完全実力主義な場所だから重役になるのは何十年先だろうな。
悪い悪い、いつもハゲたおっさんとか息臭いジジイの相手してるもんで女と話すの久しぶりなんだよ。……で、なんだっけ。そうそう、これね。データ化が進んでる今時紙なんてめずらしいよな。
<令和六年に入社試験を受けた者全ての採用をお願いいたします。お受けできない場合はペナルティを設けさせていただきます。明日また文書を投函いたします。なお警察に通報しても構いません>
読み上げるのも馬鹿馬鹿しいだろ? 初めて見た時の状況? そりゃあ、始業前に社長秘書の四方田がビルポストに入ってるのを見つけて俺に渡したんだよ。あぁ、もちろん証拠ってやつだから持ってってくれ。俺や四方田の指紋がベタベタついているから当てにならないだろうけどな。
心当たり? 警察のくせにわからないのか? どうせ入社試験に落ちたやつの逆恨みだろ。ご丁寧に『令和六年』なんて年数まで指定してやがる。つまり今年受けた全員を調べれば犯人を特定できるんじゃないか?
……しかし、この犯人は暇なんだな。一つの不採用通知くらいで落ち込むより、さっさと新しい履歴書用意するとかあるだろうに。どうせ『お祈りメール』なんてテンプレートから適当に作ってるだけなんだから気にするだけ無駄。『こちらからお断りしようと思っていたところなので手間が省けました』とかメール返信ってバカだろ。大学に知らせれば終わりだっていうのに、目先の事しか考えないからふるい落とされるんだ。人事って漢字の通り『お前の人生なんてひとごと』なんだよなぁ。
お、もう昼か。ま、今日はこんなところで。むしろあんまり来ないでくれるかな。今回みたいに時間を無理やり作ってたんじゃ体がもたねぇ。今年の採用希望の履歴書は親父が持ってるから、そっちで勝手に確認とってくれよ。
お疲れ、薗木サン。
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デスクに積まれた履歴書のコピーの束を見て私は絶望した。三十五人分……令和六年になってから半年足らずでこれだけの人数をふるいにかけたという事か。あのキザ男は何人敵を作っているんだ。
「ただでさえちっこいのに余計縮んでるぞ。シャキッとしろシャキッと」
業務の多さにうなだれていると、上司の八月朔日さんが声をかけてきた。ぬっと目の前に突き出された太い腕の先には缶ジュースが握られている。「ん」とそれをこちら差し出すので厚意に甘え受け取った。
「ありがとうございます……オレンジジュースなんて八月朔日さんに似合わないですね」
「子どもにはオレンジかリンゴって決まってるだろうが」
「子どもって……私ちゃんと警察学校卒業しています! それより、この件どうします? まだ文書しか送られてきてない段階ですけど」
そういうと八月朔日さんは笑顔のまま文書をビニール袋越しに触れた。
「んー、特にあの企業近辺で大きな事件は発見されてないから、履歴書の確認とパトロールの強化で大丈夫じゃないか?」
「そんな呑気な考えでいいんですかね。『ペナルティを設ける』とか物騒な事書かれていますし」
「今の段階でできない事はできないんだから仕方ないだろ。じゃ、俺は一服ついでに報告行ってくるから先によろしくな」
「……いってらっしゃい」
私はぐうの音も出ぬまま彼の背中を見送った。苦労して警察官になれたのはいいものの、154cmの身長のせいで子ども扱いされる事がしょっちゅうだ。しかも捜査を組む事になった八月朔日さんは180cm以上ある長身で私と並ぶとその差は歴然だ。私くらいの年の子どもがいるそうで、父親としての貫禄があるからかもしれないけれど。
「ふぅ……」
溜息をつくと幸せが逃げるとよく言うが誰にも見られなければ問題ない。これは深呼吸、と自分に言い聞かせる。オレンジジュースのステイオンタブを指にかけ一口すすると、爽やかな酸味が穴にぬける。鬱屈した気分とは正反対だ。
(さぁ、やりますか)
缶を飲み物用の定位置に置き両肩をグルグル回すと、件の企業である小佐向コーポレーションのホームページを開いた。
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ピチョン……
台所の蛇口から一滴したたり落ち、水のはった焦げたフライパンに波紋を作る。もう何日も洗っていないせいでハエの羽音が不快だ。掃除しなくてはと思うものの、布団から全く動けない。
部屋に散乱した数十にものぼる不採用通知、書き損じた履歴書の山、大量のゴミ。親からの仕送りも残りわずか。この春に内定が決まらないと申し訳がたたない。
ピコン♪
埃が漂う薄暗い室内と不釣り合いな通知音が軽やかに鳴り響いた。そうだ、今日は小佐向コーポレーションから内定通知が届く日だ。特に思い入れもなく製品も買っていないがある事ない事を盛りに盛った履歴書に面接。俺とそこまで変わらない歳の面接官の見下した態度に嫌気がさすが入社してしまえば結果オーライだろう。世の中のサラリーマンなんてほとんどそうなんだろうから。社長とも粗相がないよう話せたつもりだし、きっと大丈夫……いや絶対大丈夫。
俺は意を決して、点けっぱなしにしているパソコンのメール画面を凝視した。テンプレートの部分は飛ばして読み進めていく。
『さて、書類選考の結果についてですが、面接でお伺いした内容を踏まえて弊社にて検討をした結果、誠に残念……』
残念……残念……
…………
「ああああああああああああ‼‼」
考えるより先に己の口から怒りが叫びとなって吐き出した。どうして、自信あったのに……社長とも仲良く話せたのに……
ドンドンドンドン!
「うるせーぞ!」
隣の部屋に住むチャラ男から容赦なく壁に拳を打ち付け罵声を浴びせられる。……なんだよ、お前だって毎日のように女を連れ込んでいるじゃないか。こっちが黙っているからって調子に乗るんじゃねぇよ。
壁から何世代前か忘れてしまうくらいオンボロのパソコンに視線を移すと、相変わらず無機質なフォントが配列されていた。通知は数秒読むだけで人生をガラリと変えてしまうから恐ろしい。
……
…………
どうやら現実逃避をしていたらしい。ハッと思考を戻すと、なにやらメールに返信を書き込んでいたようだ。選考通知に返事は必要ないはずなのにどうし……
『ふざけんなふざけんな死ね死ね死ね死ね』
これを俺が……? 過去企業に嫌がらせメールを送り大問題になった学生がいるらしい。『企業側から今後一切そちらの学生を採用しない』と。感情に身を任せると取り返しのつかない未来が待っていると就活サイトにも書かれていた。俺だけは絶対にしないと信じていたのに……
もう疲れた……
あと何回この行動を繰り返せば報われる? そもそも堅苦しい文章で結果を伝えるのが間違っているのではないか。試験IDとパスワードを入力した後、採用不採用かわかる仕組みにするなんてどうだろう。まぁ、俺にそんな行動力ないけど。
全てがどうでもいい。高校卒業後期待にとやる気に満ちていた一人暮らしと大学生活。しかし今はどうだ。彼女どころか友達にも恵まれずバイト先を転々とする日々。内定先なんてすぐに決まると過信し四年の今までなまけていた。そのツケが回ってきただけ……それはそうだ。今更後悔してももう遅い。明生というこの名前に腸が煮えくり返る。明るく生きるなんて小学生習字の見本のようだと何度も笑われた。
ピコン♪
今度はスマートフォンに通知が鳴り響く。LINEのようだが母親と企業の公式アカウントにしか登録していない。母親だとしたら進捗の確認だろう。いつもは適当にはぐらかしているがそろそろ限界かもしれない。……いっその事実家に帰ってしまおうか。しかしLINEだと思ったその通知はSMSだった。暗証番号変更する時など任意の電話番号を入力すると送られてくる簡易的なメッセージ。誰だ?
『お祈りメールに喧嘩を売ってみませんか?』
やはり通知は数秒で人生を変えるらしい。