4話
チャリン…
机の上に五十音の書かれた紙を、コックリさんの儀式をしたであろう紙を広げると、教室の何処からか音が聞こえてきた。
「何の音?」
「なんとなく、小銭の音っぽいような。」
コックリさんのことが脳裏にあるせいで、余計にそう聞こえたのかもしれない。
「誰も落としてないよね。近くじゃなさそうだったし。」
私達は辺の床を探すが音の主らしき物は見つからない。生徒たちがちゃんと掃除しているのだろう、床は年季は感じるが綺麗なものだ。
「そういえばコックリさんの紙はあるけど、当時小銭は一緒に無かったの?」
私は秋津さんに質問する。珈琲店で見せて貰った時も、そして今日も秋津さんが持ってきたのは紙だけだった。儀式を終えた後は何らかの手段で小銭を手放すものだが、秋津さんはしばらく意識不明になり、記憶まで失っていたのだ。手掛かりになりそうなものは残しておくのではと考えたのだ。
「それが、残ってるのはこの紙だけ。倒れたままこれを握りしめていたこれだけで、小銭はなかったんだ。」
だとすると、どこかに落ちていたのを誰かが拾ってしまったか、誤って捨ててしまったか。そうなると再び見つけるのは不可能だろう。でもさっきの音は絶対気のせいではなかった。もしかしたらという思いで私は床を探しながら教室の後ろの方まで来た時だ。
「あれ、もしかして。」
最初に教室に入った時は感じなかったが、何かの気配を感じた気がした。あるいは呼ばれているような感じがした。私は教室の後ろにある、掃除用具の入っているロッカーの隙間に吸い込まれるように覗き込んだ。
「渡良瀬さん?何かあるの?」
「うん、『見える』よ。何かある。」
モノがハッキリ見えた訳ではない。幽霊とかの怪異に時折見える、靄と言えばよいのか、オーラ的なモノが見えた。隙間に入るくらい、小さく薄いモノが確かにそこにある。期待と不安が入り混じる。
「ちょっとどいて。」
秋津さんは黒板にかけてある大きな三角定規持ってくると、隙間に差し込んでモノを引っ掻き出した。
「まさか、それって。何年も、そこにあったってこと?さっきの音はそれ?でもどうして。いや、でも、その時のモノとは限らないし…。」
先生は少し動揺しているようだ。何年も前に失くしたのと思われる小銭が、10円玉が、たった今落とした様に音を鳴らし見つかったのだ。
私は、当時コックリさんに使った小銭だと確信した。怪しいオーラが見えるから。小銭と紙が揃ったからであろうか、教室の前方の机で広がる紙からも似たオーラが出てきている。明らかに『普通』でないことは『普通』でない私には一目瞭然だった。
「秋津さん、それきっと当時の10円玉だよ。ううん、絶対。そう『見える』よ。」
どうも私の方が秋津さんより霊感が強いらしいから、もしかしたら秋津さんは10円玉のオーラが見えていないかもしれない。だから、伝わるよう念を押す。
「…。」
秋津さんはそれには応えず、10円玉を見つめながらゆっくりと歩き出した。そして教室の机の一番後ろの列、その中央の机の前に立った。まるでコックリさんの最中、10円玉に導かれるように。
「あれ、あの紙いつの間に…?」
その机の上には前方の机にあった筈のコックリさんの紙が広がっていた。
「秋津さん?どうしたの?」
「あ…秋津さん!」
私と先生が呼びかけるも、秋津さんには届いていないようだった。秋津さんは10円玉を紙の上に置き、鳥居の絵の上まで指で運んだ。
「そうだ、アタシは此処で、此処でコックリさんをやったんだ。同じくらいの時間に、此処で、4人で。あの子もいて…。」
秋津さんは、当時の事を語り始めた。記憶を取り戻していた。フラッシュバックと言った方がいいだろうか。
「それで…コックリさんが終わらなくて、見返りを求めてきて。皆を名指しして…それから最後にアタシの名前を指そうとして…10円玉が『あ』に進んで…!」
彼女は震えていた。泣いていた。10円玉から指を離さずに、蘇る記憶に必死に耐えていた。
10円玉から放たれるオーラが濃くなっている。これ以上は何かマズい様な気がして、私は咄嗟に声をかけた。
「秋津さん無理しないで、一旦落ち着こう?10円玉と紙、仕舞わない?なんとなく嫌な感じがするというか…。」
「そうだよ、あの子がそう言った時に止めていれば良かったのに!アタシが無理矢理途中で止めたからおかしくなって!それで…それで…!」
私の言葉は余計に彼女を取り乱してしまった。先生が後ろから抱き抱えながら声をかける。
「秋津さん!秋津さん!大丈夫だから、無理に思い出さなくて良いから。落ち着いて!」
「アタシが、アタシが途中で離したから…!」
先生の声を無視し、彼女はしっかりと指で10円玉を押さえていた。このままでは彼女がおかしくなってしまうのではとさえ思うほど正気を失っていた。
無理にでも10円玉から離そうと、彼女の手を右手で握り、左手を10円玉に添えた。
その時、10円玉から一気にオーラが噴き出し、私達は10円玉から弾き飛ばされた。
***
「あれ、此処は…?」
気がつくと、私は薄暗い教室に倒れていた。確か秋津さんと彼女の小学校に来て、教室で10円玉を見つけてそれから…。
「そうだ秋津さんは!?」
私は起き上がりながら彼女を探すと、すぐ後ろに倒れているのを見つけた。
「秋津さん!大丈夫!?秋津さん!」
呼びながら軽く身体をゆすると、彼女はゆっくりと瞼を開いた。ひとまずは無事のようだ。
「秋津さん大丈夫?」
「…ひっ!」
彼女は私を見上げるなり小さく悲鳴を上げた。私もしかして怪異か何かと見間違えられてる?そりゃあ、あなたの様に整った顔はしてないけど、妖怪扱いされる程散らかってないと信じていたのだけど。
いや、そもそも彼女は私を幽霊から助けてくれたじゃない。
怖がる素振りなんて全くもって見せていなかった。彼女が怪異に怯えるとは、短い付き合いながら思えない。
彼女の視線は、目の前にいる私の更に先で焦点を結んでいた。一体何を見ているの?
彼女の目線を追う様に振り返る。そこには机があった。紙と10円玉が置いてある机。そしてその上に浮いているモノがある。足だ。色白で、小さな、年端もいかない子供の足が浮いていた。何も履いていない、裸足がぶら下がっている。
私は速くなる脈や呼吸を落ち着けながら、ゆっくりと見上げる。ソレはやはり子供で、血の様に赤い着物を着ていた。袖の裾など、ところどころ固まった血の様に赤黒い。長い髪が顔を隠し表情は見えない。
何より目を引いたのは、動物の耳と尾を生やしていることだった。狐だ、間違いなく、コックリさんだと確信した。
今まで何度も怪異を見てきたが、これほどハッキリ見えたのは初めてに思えた。コックリさんの力が強いのだろうか。今すぐにでも襲いかかってくる気配はないが、何があるか分からない。距離を取ろうと後退りした。
「わあっ!」
だが急に下から引っ張られ転倒しかけた。
「待って!」
「あ、秋津さん!?ビックリした。大丈夫?立てる?」
「待って…お願い…私のせいで…。謝るから…!」
まだ記憶が混乱しているのか、目の前のコックリさんと思しきモノがトラウマなのか、会話が成り立つ状態ではなかった。
「助けて!1人にしないで!やよいちゃん!!」
誰よその女。私は真夜ちゃんよ。
などとツッコむことなど出来なかった。私は半ば強引に、彼女を黙らせる様に抱きしめた。
「大丈夫だから!1人にしないから!私が一緒にいるから!」
クラスメイトの前で不思議ちゃんぶっているでもない、私の前で堂々と幽霊に立ち向かうでもない、恐怖に震える年相応の女の子を宥めるしかなかった。
私がしっかりしなくては。
私は秋津さんを抱きしめたまま振り返り、再び推定コックリさんを見据えた。
未だ襲いかかってくる気配はない。表情は見えないが、相手もこちらをじっと見つめているような感じがする。
私は覚悟を決めて、目の前の怪異に対し声を発した。
「あ、あなたはコックリさん…ですか?」
気が動転していたのか、碌な台詞が出てこなかった。ただ、相手がコックリさんであれば、質問を投げかけて最終的に帰ってもらうという流れにもって行きたい。
『はい。』
返答があった。男の子か、女の子か。どちらにも聞こえる子供らしい声だ。
「秋津さんが小学校の時に呼んだコックリさんですか?」
『はい。』
同一人物、もとい怪異だ、当時の紙と10円玉が揃ったからだろうか。なら当時の事を聞ける筈。そうでなくても相手はコックリさんだ。色々聞き出せると思った。
「コックリさんは秋津さんの記憶を戻せますか?」
『いいえ。』
「自力で思い出すしかないですか?」
『はい。』
「当時秋津さんとコックリさんをやった人の名前を教えてもらえませんか?」
『…。』
コックリさんは沈黙する。否定するでもなく、答えられない質問があるのか。
「じゃあ、当時子供達から要求したものって…」
「…やよいちゃん、やよいちゃん、やめよ?もうやめよ?帰ってもらお?」
私の腕の中で震える秋津さんが声を絞り出す。何か彼女の記憶に関してもっと手掛かりを得られればと考えたが、もう限界だろう。
コックリさんなら、この言葉で帰ってくれると信じて。
「コックリさん、お帰り下さい。」
私は目の前の怪異へ言い放った。すると、意外にもあっさりと、霧散して姿を消してしまった。
「よかった…!もう大丈夫だよ秋津さん!」
秋津さんは小さく頷き、私の胸を濡らした。
***
「今日は本当に有り難うね。」
最寄り駅から私達の家へ向かいながら、改まって礼を言われた。
コックリさんを帰した後、正気を取り戻した秋津さんと私は先生に見送られ帰路についた。先生はコックリさんが出てきた間気を失っていた。先生には、秋津さんが皆何か霊的なパワーにあてられ気を失っていた、その間少し記憶が戻ったと説明して納得してもらった。
「ううん、私なんかで役に立てたならよかった。また何かあったら言ってよ。」
先生にも、あなたのこと頼まれたからね。『渡良瀬さんて…。いや、何でもないの。秋津さんのこと宜しくね。』
なんて。多分、私が見える人だって気づいているんだろうな。でも不思議と不安は無かった。信頼できる人だと思えた。
「でも、その紙と10円玉いいの?お祓いとかした方が。」
「うん、アタシが今後も持っていようと思う。」
「でも…。」
秋津さんは例のオカルトアイテムをお守りに入れ持ち帰ってきた。再び当時のことがフラッシュバックしてしまわないか、心配だ。あのコックリさんがまた出ないとも限らない。
「正直怖いよ。けど捨てちゃったら2度とアタシの記憶は戻らない気がして。」
秋津さんはお守りを軽く握り締めた。
「あのさ、今日、本当ごめんね。」
「全然いいのに。」
「…やよいちゃんはね、当時の友達。思い出したんだ、完全に。黒絹弥生ちゃん。」
気にはなっていたが、聞いていいものか迷っていたことを彼女は話してくれた。私は黙って耳を傾けた。
「コックリさんにはね、参加してなかったの。コックリさんはアタシとあと3人、計4人でやったんだ。やよいちゃんはね、霊感があったんだ。今のアタシや渡良瀬さんみたいに。グループのリーダーがね、怖がるやよいちゃんを面白がってよく皆んなと肝試しとかに連れ回したんだ。コックリさんもその延長。」
話を聞きながら歩いているともう花が散りきった桜並木に、あの時秋津さんから逃げ出した場所にさしかかった。
「やっぱり似てるんだよね、渡良瀬さん。やよいちゃんと。見える人っていうのもあるけど。此処で渡良瀬さんに会った時に、もう何か思い出し始めた気もするし。」
そうだったのか。それであの錯乱した時何度も私のことをやよいちゃんと呼んだのか。しかも私達以外にも怪異を見える人がいたのか。探せばまだ仲間がいるのかもしれないと思うと、やはり嬉しかった。
「その子が今どうしてるかは分かる?連絡先とかは?」
「全然。中学にはいなかったから、引っ越したりしたのかも。当時連絡網も見つかんないだろうし、個人情報だからほとんど載って無いかもだけど。」
「他の子は?」
「他の子は名前もイマイチ思い出せなくて。どこで何してるかもさっぱり。」
すっかり日は沈み、街灯に照らされた歩道を私達は歩いて行く。夜道は怪異に出会いやすいから周りを警戒する。桜並木を過ぎ、件の交差点を過ぎる。
「なんか静かじゃん?夜だし、そうあって欲しいもんだけど。」
確かに、帰りは怪異らしきモノに出会わず此処まできた。学校での出来事で既にお腹いっぱいなので、充分だけど。
「じゃ、また何か思い出したら整理しておくからさ、また話聞いてよ。もうこんな時間だし。」
互いの家への分かれ道に着き、秋津さんは別れを告げようとしている。だが今日のあの様子を見たからだろう、このまま帰して大丈夫か不安になった。
「あ、うん!何でも聞くし、私でよければいつでも頼ってね。でも本当に10円玉とか、紙とか持ち帰って平気?なんなら私持ってようか?」
秋津さんはそれには答えず、小走りで近いてくると力強く私を抱きしめた。
「え、えっ?」
「真夜ちゃん、真夜ちゃん、真夜ちゃーん!」
名前を連呼すると、私を解放した。
「もう間違えないよ。…もう大丈夫だから。」
そう言うと、教室で見せた左右対称の美しいものとは違う、非対称で屈託のない笑顔を見せた。
「じゃあね、真夜ちゃん!」
「う、うん、バイバイ。」
「バイバイ、音色ちゃん!」