2話
「渡良瀬さんも本当は見えているんでしょ?」
「覗かれてたもんね、こんなふうに。」
彼女、秋津音色さんは私の顔をじっと覗き込む。教室であの女の人が、幽霊が、見えないはずのモノがそうしていたように。
彼女は見えていたのだ。私と同じ、『普通』ではないのだ。
「見えないフリしてたのは、クラスの皆を不安にさせない為でしょ?アタシも無視するの大変だったよ。入学初日から教室に幽霊いるなんてね。」
「あ、えと…。」
「見えてるんでしょ?渡良瀬さん、そうなんでしょ?」
そう言いながら彼女は私の両腕をしっかりと掴み、真っ直ぐな視線を向けてくる。
動機がする。手足が痺れる。目を逸らしたいのに、彼女の瞳に魅入られるように、吸い込まれるように見つめ合っていた。
「み、見えない。」
「え?」
「見えないって言ってるの!」
彼女の手を振り払おうと腕を振り回す。
「嘘だよ、絶対見えてた。何で隠すの?アタシもみえるんだよ?仲間じゃん。」
「見えないし、幽霊だの、オカルトだの、そんなのいる訳ないよ!意味分かんない!気持ち悪い!」
私は、せっかく出会えた自分と同じ『普通』でないかもしれない仲間に対して、かつて自分が言われていた言葉を投げかけていた。自分でもおかしいと思う。秘密を共有出来る仲間になれるかもしれないのに、彼女を受け入れられなかった。過去のトラウマからか、初対面だからだろうか。
彼女の手の力が緩み、私は再び距離をとった。
「それに、もし私が見えるって言ったら、クラスの皆に言うんじゃない?自己紹介でカミングアウトしたように。たとえ私が本当に幽霊が見えたとしても、言いふらされたくないこと言われそうで信用できないよ。」
「でも皆、私が幽霊見えるって言っても受け入れてくれてたよ?皆興味深々だったし。だから渡良瀬さんも…」
「そんなわけない!」
目頭が熱くなり、視界がぼやけていく。
「あなただから皆受け入れた!いいよね、可愛くて、美人で、明るくて。あんなこと言っても人気者になれる。私じゃ絶対気味悪がられただけだよ!」
そう吐き捨てると、私は立ち塞がる彼女の横を走り去った。そのまま振り返らず、桜並木を駆け抜けた。
しょーもない、情けない。秘密を共有できる友達ができるチャンスだったかもしれないというのに。初めて自分以外の『普通』でない人に出会えたのかもしれないのに。
私が恐れているのは、幽霊やら妖怪やらの怪異じゃない。人間なのだ。結局、環境が変わってもネガティブで疑心暗鬼な自分は変わらなかったのだ。
私は1人自己嫌悪に陥りながら家に向かった。
***
「ま、まってよ…」
少女は、走り去った自分と同じ『普通』ではないであろうクラスメイトを追おうとしていた。
しかし、強烈な頭痛に襲われその場にうずくまった。忘れていた記憶が、クラスメイトに置き去りにされた記憶が蘇ってくる。
「待って…やよいちゃん…。」
***
私は酷く後悔していた。初対面の、入学初日に出会ったクラスメイトに、対してなんて事をしたのだろう。幽霊なんて見えないと主張するだけで良かったし、せめて怒鳴って走り去ったりせず穏便に済ませることは出来たはずだった。
明日クラスで色々言われるだろうか。仲良くしようと声をかけたの訳の分からない癇癪起こしたとか。
ああ、まただ。自分の都合ばかり考えて。1番傷ついたのは彼女、秋津さんだろう。せっかく仲良くしようと声をかけたのにこの仕打ち。本当に酷いことをした。
オカルトの話題を振った後、彼女は明らかに雰囲気が変わった。アレが本性で、彼女も彼女なりに『普通』ではない自分を偽って周りに溶け込み努力をしているのかもしれない。自己紹介で堂々とカミングアウトし、見える人を募集していたくらいだし、正直に私も見えることを伝えれば喜んでくれないだろうか。非礼を許して貰えるだろうか。
交差点に差し掛かった。ちょうど赤信号になったところだ。明日どうしたものか。それともまだ会えるかもしれないし来た道を戻って今日中に詫びるべきか。そんなことを考えながら、なんとなく振り返った。
そのとき、見覚えのある顔が急に目の前に現れた。
忘れもしない。
今日、教室で、自己紹介のときにいた、女の人。
私が振り返った瞬間目が合った。いつからいた?ずっと私をつけていた?それともたまたま?
見えている、ということがこういった幽霊等にバレるとロクなことがないのは経験上知っている。面白がって付き纏われたこともあった。だから今回も目が合った事を悟られないように、すぐに逸らしてまた信号を見つめる。
早くどっかいけ、と念じながら信号が変わるのを待つ。しかし私の願い虚しく、女の人は背後に陣取り、そして…。
『見えてるでしょ』
背後から声がする。周りには誰もいない。私と、女の人以外は。間違いない、女の人が私に話しかけているのだ。怪異の声を聞いた事は幾度かあったが、直接声をかけられる経験はそうそうなかった。怪異を見慣れてしまった私が、怖いと本気で思ったのは久しぶりだったかもしれない。
『見えてるでしょ』
耳元から声が聞こえる。冷や汗が止まらない。悪寒がする。なにより、教室では感じなかった悪意のような、邪悪なモノを感じる。とにかく早く信号が変わって欲しかった。ただただ赤い点灯を睨みつけるしかなかった。
すると信号が急に見えなくなってしまった。信号だけでない。視界が真っ暗になってしまった。何かに視界を、顔を覆われていた。
『見える?見えない?』
真上から声が聞こえる。見るべきでないと分かっていたが、視界を奪われたこともあり咄嗟に見上げてしまった。
顔だ。女の人の顔だ。後ろから首を伸ばして真上から私を覗き込もうとしていた。視界を奪ったのは女の髪だった。
女は徐ろに私の腕を掴んだ。氷の様に冷たい。もう我慢の限界だった。
「いや!離して!」
冷たい手を払い除けながら、背後の幽霊から逃れるように駆け出した。
右側からクラクションとブレーキ音が聞こえる。私は赤信号を待っていた事など、恐怖で頭から吹き飛んでいた。
***
「危ねーな!何考えてんだ!!」
停車したトラックから怒号が聞こえる。当然、信号無視して急に飛び出した私に向けてだ。あのトラックに轢かれていたらと思うと血の気が引いた。私は助かったのだ。歩道に座り込んだまま、自分の身に起きた事を思い出していた。横断歩道に飛び出した瞬間、後ろに引っ張られたのだ。
でも誰に?さっきまで幽霊以外誰もいなかった。では幽霊が?脅かすだけで命まで危険に晒すつもりはなかったから助けた?
いや、違う。さっき私を掴んだ冷たい手ではなかった。暖かい、生きた人の手だった。
「はあー、間に合った。てか、死ぬかと思った。」
声のする方を振り返ると、そこにいたのは…。
「あ、秋津さん…何で…?」
「追っかけてきたのよ。あと、帰り道普通に同じっぽい。」
そこにいたのは、桜並木に置いてきた秋津さんだった。私を引っ張った勢い余ってか、歩道に同じく座り込んでいた。
「おい、お前たち!何処もぶつかってねえな!?大丈夫なんだろうな!?」
トラックからいつの間にか降りてきていた運転手が、私達の前に来ていた。
「大丈夫です!転んだ時ちょっと擦りむいたくらいです!」
秋津さんが何ともない事をアピールし元気良く立ち上がりながら返答する。
「あ、私も、平気です…。」
「本当にぶつかってないだろうな!?何ともないんだな!?」
あのまま走り去らず、私達の無事を確認する為にきてくれるあたり、すごく良い運転手さんだ。驚かしてしまい、悪い事をしたな。
「急に蜂が飛んできてね、咄嗟に振り払ってバランス崩してちゃったんだよね?でしょ?」
秋津さんに手を引かれながら私は頷いてみせた。
「そうか、何ともないならいいが。てっきり…や、なんでもねえ。」
そう言うと運転手はトラックに乗り込み、去っていった。
「あ、秋津さん、その、ありがとう。」
「ホントだよ。アタシ、ガチの命の恩人だかんね?でも…。」
秋津さんは後ろを振り向き、かの幽霊をはっきりと見据えた。
『見えてる…!』
「一件落着とするにはまだ早そうね。」
やはり彼女も、秋津さんも見えているのだ。目の前の幽霊が。私しか見えないと思っていた怪異が。
「秋津さん、私、私ね、本当は…。」
「後にして。あいつ、さっき渡良瀬さん助ける時邪魔だったから突き飛ばしたんだよね。」
そういえば、今の今まで、運転手と会話している間も幽霊はいなかった。秋津さんが突き飛ばしたせいだったのね。というかそんなことできるの?向こうから触られても、こっちから攻撃できた試しは、私はこれまでなかった。
『見えてた…殴った…!』
幽霊からは悪意のようなモノが、オーラ状になり可視化して見えるほど強くなっていた。近づきながら、秋津さんへ向かって両腕を伸ばしてくる。
「あ、危ない!」
秋津さんはいたって落ち着いていた。怯えるでもなく、その場に構えた。
「もう、こうするしかないか。」
秋津さんはカバンのポケットから何かを取り出した。そして何かを襲い来る幽霊の顔に押し付けた。
『ぐ、ぎぃいあぁあああ!!』
幽霊は、まさにこの世のモノとは思えぬ叫び声をあげ、その何かにみるみる吸い込まれてしまった。
私は、目の前で繰り広げられる光景にただただ唖然としていた。幽霊だの、怪異だのは不本意ながら見慣れていた。だがこんな光景は初めてだった。幽霊を、ましてや自分と同い年の女の子が退治してしまうだなんて。
「お、ちょうど青信号だよ。ほら行くよ。」
カバンのポケットに再び何かをしまい、秋津さんは横断歩道を渡り始める。
彼女に言われるがまま、私も横断歩道に踏み出した。
彼女に言わなければならないことが沢山ある。聞きたいことが沢山ある。頭の中で整理しながら、彼女の細い、しかしあまりに頼もしい背中を追いかけた。