001.
地下鉄に乗り込む。
ラッシュの時間帯は外したつもりだったが、車内は人でごった返していた。膨らんだ通勤鞄を前身頃に抱えて一息つける。読みさしの文庫本を取りだすこともできずに視線を巡らせて──なんだ?
私の視線の先にいたのは、真っ黒な鞄の塊だった。
(でかい)
一拍おいても、
(でかいぞ)
私はギュゥっと目をつむり、また開ける。
ぱん、ぽん。
のんきな音を立てて扉が閉まる。車両が動きだすのに合わせて、どこかのマスコットにも思える鞄の塊もぬうらりと傾いた。傾いて、傾いて──ぼすんと隣の客に当たって、止まった。
そのすぐ脇に立っていた壮年のサラリーマンは眉を顰めて、「あの、鞄、迷惑なんですけど」と周りに聞こえる程の声でいきり立った。
「…………」
「あの、聞いてますか」
「…………ぁす」
鞄の塊の中から声。どうやら中に誰かいるらしい。
「カー、バー、ン! 鞄です! 背負いすぎでしょう! 邪魔ですよ!」
何もそこまで、と思ったが邪魔であることは確かだった。他の乗客も同じ気持ちのようで、仲裁にはいるでもなく鞄とサラリーマンとを見比べている。
「すみません、すぐ降りるので……もうあと三つです」
顔は見えなかったが、申し訳のなさそうな男の声が鞄塊の中から響く。
「三つじゃねえぞ!」と引くに引けないサラリーマンが怒鳴った。
* * *
用事を終えて家に帰ろうと駅までやってくると、行きしな見かけた大量の鞄が改札のすぐ近くに散らばっていた。
(露店か何か……)
と思えば、散らばった鞄のすぐ脇に二人の男が立っているのが目に入る。気になった私は、切符を買うふりをしてその二人のすぐそばに近づいた。
「また随分持ってきたなあ」
「ええ、そうでしょ。そうでしょ」
得意げな顔をしている方がさっき電車にいた男らしい。車内で聞いた声とは裏腹に、なかなかどうして男前な顔立ちをしている。
しらじらとその様子を眺めていると、急に男達が私の方に向き直った。
咄嗟のことで「すみません!」と声をあげそうになったが、男達の視線の先をよく追うとそれが杞憂であったとすぐにわかる。
「お客さん。ここ、公共の場所だからねえ。これ売り物? 許可は取ってる?」
「ああいえッ、すみません。すぐどかしますんで……」
私はこれ幸いと男達の合間を抜け、改札にカードをかざした。