92.遭遇
そろりそろり……
「ダンジョンの気配は感じられませんね」
ジェノヴァ市に続いてミラノ市でもダンジョンの気配は感じられず、同族を警戒しなくても良いという事が分かりました。
隻眼や鎧筋のように、街を支配しているダンジョンが存在したらとても厄介な事になっていたので運が良かったです。
【ってことは、ここも早く終わりそうだな】
「えぇ、忍び込んでさっさと領主を配下にしてしまいましょう」
人間の領主をそのままアンデッドにするのはこれで二度目です。失敗は有り得ません。
眠っている領主を殺害し、その遺体をダンジョンの戦利品として回収、そして遺体を素材としてアンデッドを生成するだけの簡単な作業です。
アンデッドを作成する際にDPを多く注ぎ込めば生前の人格や能力を、そっくりそのまま再現した個体が創れるのは便利で素晴らしい。
忍び込む方法はいたって単純なもの……ᚦの逆文字で小さくなり、続いてᛏの逆文字で自らの存在感を低下させるだけ。
まるで本物の鼠に化けたかのようにスルスルと歩哨の足下をすり抜け、ᚱのルーンが示す方向へと歩いていけば簡単に領主の寝室に到着です。
ルーン文字の前では扉の鍵など有って無いようなもの……さっさと扉の向こう側、部屋の中へと転移してしまいましょう。
「……ぐっすり寝ていますね、そのまま永眠して貰いましょう」
小人状態のまま、ベッドの上へと高く跳躍する。
ベッドの脇から慎重に、起こさないように領主の身体を登り、その顔の上で座り込む。
後は簡単です。額に逆文字のᚱを描き、脳への血流を滞らせていくだけ。
脳死状態にしたところで胸へと移動し、ここでも逆文字のᚱを描いて心臓と肺の動きを停める。
先に胸に描くと胸の苦しさから飛び起きてしまいますからね、先ずは脳を停止させる必要がありました。
「――さぁ、私の配下に成りなさい」
領主の遺体を素材に創り出したアンデッドへと、スキルオーブを与える。
これによって《日光耐性》と《詐術》、《演技》を獲得させ、生前と同じように過ごしていても周囲に違和感を持たれない様にする。
「はい、これでお終いです」
【二度目だが、呆気ないな】
「呆気なくて良いんですよ」
それよりも誰にも気付かれないうちに、さっさと街を出てしまいましょう。
「あ、それとなくダンジョン攻略の妨害をするように」
『……』
眠ったまま、配下は無言で頷いた。
「さぁ、教皇領を目指しましょう」
「昨晩までは順調だったのですが」
【尾けられてるな】
ミラノから教皇領へと向かう道中、左右を森に挟まれた林道で人の気配に気付く。
視界には入らないほどの遠くから、けれど確実に私を意識して動いているのが分かる。
気配を消す事に長けているのか、中々その距離感と正確な位置は掴めませんが。
「まだ距離は遠い筈ですので撒きます」
気の所為だったのなら、それで構わないと脚に力を込めて駆け出す――同時に相手の速度も上がったのが分かりました。
「追い掛けて来ますね」
ならばと、脚に刻んだᛏを励起させて走力を上昇させる。
一気に加速し、左右の木々が凄まじい速度で流れていく。
「これでもまだ諦めませんか」
【完全に狙われてんな】
「相手の正体に興味が湧いてきましたね」
ジェノヴァとミラノについては誰にも、まだ何か事が起こったとすらバレていない筈。
私がダンジョンの関係者であるとも知られていませんし、何処かの組織に所属している重要人物という訳でもない。
勇者の一人という事はルツェルンで勇者たちとその関係者に知られたでしょうが……もしやその線で私を追い掛ける理由が?
直前まで私に気配を悟らせず、ルーンで強化した逃げ足にも対応する様な強者がなんの情報もない小娘一人を追い掛けるとも思えません。
「逃げられませんね、このままだと追い付かれます」
【ᚱは?】
「残念ながら、長距離転移はまだ難しいです」
下手なところで練習なんて出来ませんからね。
「仕方ありません、迎撃します」
方向を急転換し、素早く横の森へと入る。
「相手も追って来ていますね」
【完全にロックオンされたな】
これはもう偶然でも何でもないでしょう。相手は故意で私を尾けていたのです。
「――ᚱ」
木々の乱立する環境を高速で駆け抜けるため、私の歩みが阻まれないようにルーンを描いて対処する。
枝葉に顔を叩かれなくなり、根元に足を取られそうになるという事がなくなり、進行方向にある木々を避けるのがスムーズになる。
【――来るぞ】
凄まじい速度で気配が近付いて来る。恐ろしい事に、その勢いは森に入ってから更に加速した。
「――ᛏ」
全身とカッターナイフに刻んだルーンを一斉に励起させ、森の奥から人影を視認すると同時に刃を振るう。
「ッ!!」
出会い頭の攻撃は簡単にいなされ、即座にカウンターとして槍の突きが放たれる。
横から槍の柄を殴る事で軌道を逸らし、すぐさまその場から跳躍して距離を取る――速いっ!!
私が地に足を付けるよりも先に、背後へと回り込まれる。
「――ᚦ!!」
カッターナイフの刃を巨大化させる事で盾とし、ギリギリ攻撃を防ぐ事ができた。
「――面妖な」
初めて耳にする声。年老いた男性のもので、聞き覚えはもちろんない。
巨大化させたカッターナイフの刃は、神速ともいえる連続突きで簡単に砕かれた。
「貴方は――」
ᚨによる呼び掛けで隙を作ろう――そう考えていた私の首元に槍の穂先が突き付けられる。
まさかここまで一方的にやられるとは思ってもみませんでしたね。まだまだ対人戦闘の経験が少ないという事でしょう。
【ピンチだな】
(アークの笑い声がムカつきますね)
仕方ありません、少しばかり本気を出して――何故か、目の前に居る老人は驚愕の表情を顔に張り付け、酷く狼狽していた。
「……っ、……ぁ」
手の震えが、槍の穂先にまで伝わってしまっている。
先ほどまで冷静に対応していたのに、この反応は異常ですね。
「――どうかしたのですか?」
しかしながら、これはチャンスでもある。この機を逃さず、私はᚨで老人に呼び掛ける事にした。
「……あ、あぁ……いや、すまない……悪魔の気配がしたから追い掛けたのだが、こんな少女だったとは……気の所為だったようだ……」
果たしてルーンの効果なのか、それとも別の理由があるのか……あれだけ冷徹に、問答無用とばかりに私を追い詰めていたのが嘘のように老人は槍を下ろしながらそんなに事を言う。
向こうが武器を収めたのならコチラもと、警戒はしつつも表向きは武器をしまってみせる。
「すまなかったな」
「いえ」
交わした言葉はそれだけ。この短いやり取りの先は続かず、痛いほどの沈黙が場に訪れる。
老人は俯き、怯えた様子でチラチラと何か言いたげに私の様子を窺っている。
「もう用が無いならこれで」
「待ってくれ!」
何もないならそれはそれで構わないと、その場を立ち去ろうとすると呼び止められてしまった。
【さて、どうする?】
本当に、どうしましょうかね。
おじいちゃんつよーい