90.色気付く
おや、ユーリちゃんの様子が……?
鏡の前で身体を捻り、自らの格好を確認する。
今の私はDPで生み出した日本の衣服を身にまとい、年相応のお洒落をしていました。
理由は何となくで、特に深い意味はありません。
これまでの人生でお洒落をしようなんて考えはなく、またその余裕もありませんでしたが、アークが肉の器を得てから少し興味を持ったのです。
アークの見た目が変わったせいで、私も無意識に自分の見た目や身嗜みを気にするようになったのでしょうか。
【お? いつもと格好が違うな】
「……ノックして下さい」
【は? いつもはしねぇじゃねぇか】
確かにそうですが、何故だかそんな理由では納得できず、思わずアークを軽く叩いてしまいました。
【なにすんだよ】
「……それよりも、せっかく来たのですから見てください。どうですか? 似合いますか?」
アークの当然とも言える抗議の声を受け流し、誤魔化すようにその場でクルッと回ってみせる。
今の私は真っ白のワイシャツにブラウンのロングスカートという、非常にシンプルな装いです。
【あ? まぁ、似合うんじゃねぇか?】
「……そうですか、では一度部屋から出て下さい」
【なんでだよ?】
「着替えるので」
【前は気にしなかったじゃねぇか】
「早く」
困惑するアークを部屋から追い出し、きちんと鍵をかけてから服を脱ぐ。
次DPで生み出した衣服は、少しばかり派手な物にしてみます。
丈の短い柄シャツに黒の皮ジャケット、網目の大きいタイツに黒のミニスカート、厚底のブーツで統一感を出してみる。
髪は後ろで一つに纏め、キャップ帽を被ってサングラスまで掛けてみたりして。
「入って良いですよ」
【……お? 先ほどと随分変わったなぁ】
「似合いますか?」
その場で両手を広げて一回転し、続いてサングラスを少しズラしてアークを見上げてみる。
【似合うが、足を出し過ぎじゃないか?】
「年寄りみたいな事を言いますね」
【一万から先は数えてねぇな】
「そうでした、お爺ちゃんでしたね」
【おいコラ、人間の尺度で測んな】
女神とやらに敗れたのがもう既に数千年前でしたね。
そんな存在に年寄りみたいだとか言う方が馬鹿なのでしょう。
「分かりました。ではまた部屋を出て下さい」
【おいこれ毎回やんのか?】
「早く」
アークを追い出して服を脱ぎ、今度は足の出ない服装を選んでみましょう。
クリーム色のドルマリンスリーブに丈の長いデニムパンツ、薄桃色のミュールサンダルを履いて、髪は三つ編みシニヨンに纏めてみる。
「良いですよ」
【……お、明るい雰囲気になったな。日向が似合いそうだ】
「そうですか」
なるほど、ウケは悪くなさそうですね。
【ただなぁ……】
「なんですか? 言いたい事があるならハッキリと仰ってください」
【いいのか?】
「どうぞ」
濁される方が気持ち悪いですからね。
【そのズボン、ピッチリしててケツの形が丸分かりじゃねぇか】
「もう少し言い方なんとかなりませんんか?」
【下半身のラインがバレバレでございましてよ】
なるほど、アークの好みと言いますか、感性がだいたい分かって来たように思えます。
「段々と掴んできました。ではまた部屋を出て下さい」
【これ何時までやんだ?】
「早く」
アークを再び部屋から追い出し、服を脱いでいく。
彼は古い存在ですから、恐らく現代的な装いが性に合わないと言いますか、どうしても女性の露出に違和感を覚えてしまうのでしょう。
ふと、夢の中に出て来た女性の姿を思い浮かべてみる……彼女の格好はいつもゆったりとしていて身体のラインを隠し、肌の露出も顔と手くらいしか存在しませんでした。足先もスカートに阻まれて見えない徹底ぶりです。
アークと会う時の記憶しか思い出せないので普段からその格好だったのかは分かりませんが、アークにとってはあの様な格好の方が馴染みがあるのでしょう。
――ぎりッ
何となく、何故だか無性に気に入りませんが……仕方がありません。記憶の中の彼女の格好を参考にしましょう。
ゆったりとして丈の長い真っ白なワンピースを着て、腰の辺りを大きなリボンで縛ってラインを隠す。
上から薄いシルクの小さなケープを羽織り、透けて見える刺繍が白のワンピースに彩りを与えると同時に、首から鎖骨にかけての肌色を誤魔化してくれる。
ヒラヒラとした袖口から指先を伸ばし、揺らめくスカートがパンプスを履いた足を遮っているのを確認……髪型はハーフアップにしましょう。
「……」
鏡の前で自分の姿を確認する。まるで自分が清楚で純粋な女の子に成ってしまったかの様な錯覚を覚えて思わず目を逸らした。
気合いを入れ過ぎたと思われないだろうか、似合ってないと笑われてしまうだろうか、私らしくないだろうか、急におかしいだろうか、こんな事をしている暇はあるのだろうか、私は何をしたいのだろうか、彼は似合っていると言ってくれるだろうか、彼は喜んでくれるだろうか、彼に嫌われないだろうか、彼が顔を顰めたらどうしようか、彼が気に入ってくれなかったらどうしようか、彼が夢の女を思い出したらどうしようか――気が付けば、私は涙を流していた。
【おい、流石に遅せ、ぇ……ぞ……】
背後から聞こえた声にハッとして振り返る――そこには片目を見開いたアークが立っていた。
いつの間に部屋に入って来ていたのか、どれだけ私は思考に没頭していたのか、兎にも角にも声を出さなければ。
「……、ぁ……っ」
何か言わなきゃいけないのに、言葉が出て来ない。
こんな私を見ないで欲しい。彼に何を言われるのか分からなくて、嫌われたらどうしようって、感想を聞くのが怖いの。
そんな怯えから、一歩後退った私の手を彼が握る――
【――綺麗だ】
嬉しい。嬉しい嬉しい。嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい。嬉しい嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい、嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい。嬉しい嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい嬉しい、嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい――
「良かっ、た……」
顔が熱くって、舌が回らなくて、たったそれだけしか言えなかった。
【何があったか知らねぇが、お前はずっと綺麗だよ……今回の服装は俺好みだったが】
「あ、ぅ……」
良かった。良かった良かった。良かった良かった良かった良かった良かった。良かった良かった、良かった。良かった良かった良かった良かった良かった良かった。良かった。良かった、良かった良かった良かった、良かった。良かった良かった。良かった、良かった。良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった良かった――
「嬉しっ……♥」
顔が熱い? いや、眼が熱を持っている。
彼の美しく、足下まで清流の様にラピスラズリのような青い髪に手を伸ばす。
【魔眼が暴走してんな】
そんな私の手を、彼は優しく握り返した。
淡く、優しい微笑みで、片目を瞑ったまま仕方なさそうに……いつもの笑みを浮かべる。
そんな彼に熱の篭った視線を投げ掛け、小さな勇気を振り絞って背伸びをした。
【その先はまだダメだ】
背の高い彼を、久しぶりに会えた愛しい存在を見上げていた私の視界は、彼の大きくて温かい手に遮られた。
【早く脳髄を手に入れて全てを思い出せ――■■■■・■■■■■■】
耳朶に響くその言葉を最後に、私は深い眠りに落ちた。
どうやらユーリちゃんの魔眼が暴走すると、夢の中の彼が視える様ですね。